【第九十二話】灰の渓谷、侵食の兆し
岩と砂塵が支配する灰の渓谷に、靄のような瘴気が漂い始めていた。腐食した大地の裂け目からは、淡く紫がかった煙が立ちのぼり、見上げた崖の影からは異様な鳴き声がこだました。
調査団の一行は、岩陰を縫うように慎重に進んでいた。リクは先頭に立ち、今や彼の目は地形や気流、魔力の乱れを数式と構造式で読み解く、まるで別次元の視界を持っているかのようだった。
「……この空間、歪んでますね。何か、転位の痕跡がある」
リクがつぶやくと、ゼルド隊長が眉をひそめた。
「転位だと? ……まさか、封印が解けた影響ってやつか」
「はい。僕の解析スキルで断言できます。ここは“何か”が無理やり封じ込められていた……あるいは、ここを通じて別の場所と接続されていたようです」
「おいおい、そんなに軽く言うもんじゃねえぞ」
ゼルドの声には呆れが混じっていたが、リクは真剣なまなざしで谷底を見据えていた。解析能力が封印の解除と同時に飛躍的に進化していた。今のリクは、生き物の動きだけでなく、魔素の流れや空間の揺らぎまでも読み解くことができた。
彼の視界には、まるで透視図のように灰の渓谷の下層が広がり、岩盤の内側に隠された巨大な構造体が浮かび上がっていた。
「……地下に“器”があります。正確には……魔力を溜め込み、何かを培養するような装置です」
「それを誰が置いた? 古代人か、あるいは――」
「解析結果から判断すると、装置自体は数百年前のものですが、現在も“誰か”がメンテナンスしています。おそらく……今もここに」
直後、岩陰から黒い影が走り出た。異形の腕を持つ怪物――かつて封印されていた存在の一部だろう。ゼルドが咄嗟に剣を構えるが、それよりも早く、リクが手を前に出した。
「【解析・完全展開】」
彼の掌から、数式と符号が霧のように広がり、相手の身体構造と魔力回路を瞬時に解明。その情報を元に、相手の魔力核を的確に破壊する魔術を逆算し――
「【崩断式・閃断】」
光の線が走り、異形の身体が音もなく崩れ落ちた。
「なっ……いまのは何だ?」
「僕の“解析”は、ただ情報を見るだけのスキルじゃありません。今はもう、解き明かしたものを“再構成”し、逆手に取ることもできます」
ゼルドが口笛を吹いた。
「お前、どこまで化ける気だ……?」
リクは答えず、再び足元の地面に視線を落とした。その瞳には、今この瞬間にも活性化していく地下構造――まるで心臓のように脈動する“何か”の存在がはっきりと映っていた。
(これが……封印の真の目的だったんだ)
リクの能力はすでに、人間の枠を超え始めていた。




