【第八十三話】語り部の老人
階段の上から現れた老人は、静かに降りてきた。
ローブの裾を引きずり、石を踏みしめるたび、かすかな音が響く。だがその足取りには、確かな意思があった。
「ここへ来た者を見るのは、もう……何年ぶりかのことじゃろうな」
老人はそう言いながら、封印された扉の前に立つリクたちを見渡した。
「君は……誰?」
ミナが声をかけると、老人は答える。
「わしの名など、もう忘れ去られた。それでも名乗るなら……“扉守の末裔”とでも呼ぶがよい」
「扉守……?」
「かつてこの地で行われていた禁忌の研究を見張り、封じるために選ばれた者たちじゃ。だが、同胞は皆、時の流れに飲まれた。今や残っておるのは、わし一人だけじゃ」
老人の声には疲れと寂しさが滲んでいた。
リクは一歩前に出る。
「この封印の中に、“魔源体”がいるんだね?」
その問いに、老人は頷いた。
「そう。“在る”のじゃ。ただし、それが今もなお“生きている”のかは……わしにも分からん」
「けど、波動は感じる。微弱だけど確かに」
メイが続けて言うと、老人は目を細めて言った。
「それが“希望”であると同時に、最大の“災厄”でもある。……あの存在は、“人”であったもの。王国が最後に創り出した、最も純粋な“魔の器”じゃ」
リクはその言葉に息を呑む。
「人間を……魔源体にした……?」
「そう。生きたまま“器”として造り替えた。しかも、それは“自ら志願した者”だったのじゃ」
語られる真実に、ミナもメイも言葉を失っていた。
だが、リクの目だけは深く沈み、何かを探るように揺れていた。
「……それは、“誰”?」
リクの問いに、老人は首を振る。
「その名は、今では記録からも消された。だが、唯一残されている言葉がある。“彼”が最後に遺したものじゃ」
そう言って老人は懐から小さな石板を取り出し、そっと地に置いた。
《希望は、絶望の先に宿る。だから――誰かが、扉を開かなければならない》
その文字を見た瞬間、リクの中で何かがはじけた。
「……俺、知ってる。これ、“あの夢”で……見たことがある」
思わず口をついて出た言葉に、メイとミナが同時に振り返る。
「リク?」
「……前に見た。炎の中で、何かを守ろうとしてた人の記憶。あれって――」
扉の奥から微かに響く鼓動のような音。
それはリクの心臓と共鳴しているようだった。
そして、老人は言う。
「お前が、“記憶の残響”を聞いたのなら、選ばれし者なのかもしれん。扉を開く資格を持つ者……」
「開けるよ」
リクは即座に言った。
「俺は、ただ怖いからって逃げる気はない。この中に何かがいるのなら、ちゃんと向き合いたい。……それが、たとえ絶望だったとしても」
静寂の中、老人の口元にわずかな笑みが浮かんだ。
「ならば、お前にすべてを託そう。封印を解く方法……それを教えよう」
そのとき――
どこか遠くから、地響きのような音が聞こえた。
次の瞬間、風が逆巻き、空気が揺れる。
「……まずい、誰かが来る。封印の存在に気づかれた!」
老人が慌てて立ち上がる。
リクはメイとミナを振り返る。
「二人は階上へ戻って。ここは俺が――」
「馬鹿言わないで」
ミナが遮った。
「一人で背負うなんて、もうやめなさいよ。ここまで来たの、私たち三人ででしょ?」
「共に進むと誓った」
メイも短く告げる。
リクは目を伏せ、そしてゆっくりと頷いた。
「……わかった。じゃあ、共に行こう。封印の奥へ、“彼”の真実を確かめに」




