【第七十九話】風の終わりと山の影
風渡りの平原の北端に近づくにつれ、草原は次第に荒れ、地表には細かな岩が目立ち始めていた。
遠くにはすでに、山脈の稜線がくっきりと見えている。幾重にも重なった黒い影は、まるで空を裂くようにして天へと伸びていた。
それは、灰の山脈――“かつて災厄が封じられた地”とされる、忌避の地だ。
だが、今のリクたちはその地を目指して歩いている。
平原の風は、もう背中を押してくれはしない。
吹きつける風は乾いていて、時折、地面の砂を巻き上げながら横切っていった。
「なんか、空気が変わってきたね……」
ミナがふと立ち止まり、草むらに手を伸ばしてしおれた花を見つめた。
「植物の密度が下がってる。気温も少し低い」
「……地脈が浅くなってるからだ。魔素の流れが不安定なんだよ、この辺」
リクが答えながら、背負った荷の中から地図を取り出し、風の記憶に重ねて見比べる。
「このあたりで一度、休んだほうがいい。山の入り口に着くのは、たぶん明日になる」
「了解」
メイは短く応じ、荷物を下ろして腰をおろした。動作は無駄なく静かで、草の揺れすら起こさない。
リクも腰を下ろし、空を見上げる。
雲がゆっくりと流れていく。平原を覆っていた風は、もう背後に遠ざかりつつあった。
「……なんか、名残惜しい気がするよな。風の声」
ミナがぽつりと言った。
「そうかもな。あいつ、ずっとここにいたんだよな。たぶん、何百年も」
「ずっと、誰かを待ってたんだろうね。リクたちみたいな……誰かを」
リクは答えずに、焚き火の準備に取りかかった。
乾いた枝を組み、火打ち石を鳴らす。すぐに、ぱちりと小さな火が生まれた。
「風の記憶にあった地図……あれ、途中で途切れてた」
「うん。たぶん、意図的に“そこまでしか見せられなかった”んじゃないかな」
「制限?」
「それとも、あの“声”自身が、それ以上を知らなかったのかも」
ミナが焚き火に手をかざしながら、小さく息を吐いた。
「……リク、怖くないの?」
「怖くないわけないだろ。だけど……」
リクはふと笑った。
「……今さらだし。ここまで来て戻る方が、よっぽど怖い」
「……バカだなあ」
そう言いつつも、ミナも微かに笑っていた。
夕陽が地平線に沈む頃、彼らの背にはもう風の囁きはなかった。
夜の静けさだけが、焚き火のはぜる音とともに、世界を包みこんでいく。
だがその沈黙の中で、メイがふいに顔を上げた。
「……何者か、接近」
リクとミナが同時に反応する。
「数は?」
「単独。速度早め。……直進してる」
リクはすぐに《感知:魔素流》を展開した。
確かに、魔素の流れを乱す“何か”が、一点から迫ってきている。
「……追ってきた、のか?」
「それとも、偶然?」
ミナが短剣に手をかけた。
風の終わり、山の入口に近いこの場所で――新たな“出会い”が、彼らを待っていた。




