【第六十二話】奥深き声の源へ
広間に降り立つと、ほの暗い燐光がぼんやりと視界を照らした。
水滴がどこか遠くから滴り落ち、ぴちゃりと響くたびに反響する。リクは呼吸を整えつつ一歩踏み出し、足元に広がる紋様に目を落とした。
「これは……古い結界の一種、かな」
呟きに、メイは視線を床に落とし、ごく静かに応じる。
「そうかもしれない」
その声には熱も冷たさもなく、ただ視界に入る情報をなぞるだけの響きがあった。リクはその淡々とした様子に一度だけ頷き、慎重に先へ進む。
その後ろからミナが身を寄せる。
「リク、あんまり無茶しないでね。私も一緒に見てるから」
柔らかい声にリクは肩の力が少し抜ける。
「ありがとう、ミナ」
広間には数本の石柱が立ち並び、その隙間にかすかに魔素の気配が漂っていた。それは外界とは質が違い、どこか重たい感触を伴っている。
さらに奥へと歩みを進めると、広間の突き当たりにぼんやりとした青白い光が見えた。その光に導かれるように三人は近づき、やがてそれが大きな水晶球に封じ込められた魔法陣であることに気づく。
リクは足を止め、目を凝らす。
「これが……魔源体に関わる装置、なのか?」
問いかけにメイはほとんど視線を動かさぬまま、かすかに首を傾けた。
「魔素の流れが違う。きっと特別な役割がある」
ミナは二人を見つめて小さく息をつき、ゆっくりと水晶に近づく。
「触れてみても平気かしら?」
その問いにリクは注意深く魔素の流れを読み取ろうとする。
「少し待って……もうちょっと見させて」
手をかざすと、水晶球は微かに輝きを増し、内部に小さな影がゆらめいた。それはゆるやかに形を変え、かすかに人の輪郭に見えなくもない。
リクは息を呑む。
「これ、ただの記録じゃない……意思があるみたいだ」
その言葉にミナがびくりと肩を震わせる。
「意思って……魔源体の?」
リクは目を細め、深く魔素に意識を溶かす。
「いや……たぶん、魔源体そのものではない。でも、それにとても近いものが……この中にいる」
視界にぼんやりと現れる幻影の中で、無言のままメイはじっと水晶を見つめていた。その横顔には一切の感情がなく、それでいてその瞳には淡い光がちらりと反射していた。
場に響き渡るような声はない。ただ三人の静かな呼吸と、魔法陣から響く低い鼓動のような音だけがその場を満たしていた。
リクは一度唇を結び、そっと手を下ろす。
「これ以上深追いする前に、一度準備を整えたほうがいい。きっとこれは……何かを目覚めさせるきっかけになるから」
ミナが頷き、ゆっくりと一歩後退する。
「そうね、今は無理に進めないほうがいいと思うわ」
メイは少し視線を伏せてから顔を上げる。
「賢明な判断」
その短い一言に、リクとミナは一瞬だけ視線を交わす。その静かな響きにどこか後押しされたような感覚を覚え、三人はゆるやかに広間から退き始めた。
螺旋階段に再び足をかける頃には、燐光に照らされる空気が少し冷たさを増したようにさえ感じられる。それでも、三人は後ろを振り向かぬまま、一歩一歩その場を後にする。
答えはまだ、奥にある。
けれど無闇に手を伸ばすには早すぎるとリクは理解していた。そしてその選択を、静かに受け入れるようにメイが傍らに続き、ミナが見守る。
次に再びあの広間に戻るとき――きっと今よりもずっと深い闇と向き合うことになるだろうと、リクは心に誓っていた。




