【第六話】防壁と最初の異変
朝靄が晴れきらないうちから、村は慌ただしく動き出していた。
男たちは木材を運び、女たちは食料と水をまとめ、子どもたちは指示に従って荷物を運んでいる。
小さな村なのに、こういう時の団結力は驚くほどだ。
俺も、ガルドたちと一緒に、防壁作りに加わった。
◆ ◆ ◆
「リク、そっち持ってくれ!」
「ああ!」
ガルドが指差したのは、切り倒された太い丸太だった。
俺は全力で押し、二人でそれを畑の周囲へと運ぶ。
呼吸が荒くなる。
体力には自信がなかった。現世でも、デスクワークばかりで鍛えた覚えはない。
(……でも、ここでは、動かなきゃ生きていけない)
俺は歯を食いしばり、丸太を引きずる。
手のひらが痛みで熱を持ち、汗が目に滲む。
「よし、そのまま押し込め!」
ガルドの号令と同時に、丸太を地面に立てる。
ズズン、と鈍い音が響き、簡易的な防壁がまた一つ増えた。
「ははっ、いい腕してんじゃねえか!」
ガルドが笑って肩を叩く。
俺も、苦笑しながら頷いた。
(こんな汗のかき方……いつ以来だろうな)
現世で、空調の効いた部屋に座りっぱなしだった日々を思い出す。
苦しい。でも、今ここにある"生きている実感"は、あの頃とは比べものにならない。
◆ ◆ ◆
防壁作りは、夕方まで続いた。
簡素ではあるが、畑をぐるりと囲む高さ二メートルほどの木壁が完成する。
村人たちの表情にも、少しだけ安堵の色が見えた。
それでも、まだ気は抜けない。
魔獣は夜に動くことが多いと、ガルドは言っていた。
「今夜は見張りを立てる。交代でな。
リク、悪いが、お前にも頼む。夜明け前の最後の見張りだ」
「わかった」
少しでも役に立てるなら、それでいい。
こうして、俺は村での初めての"夜の仕事"に就くことになった。
◆ ◆ ◆
深夜。
焚き火の小さな火が、パチパチと音を立てている。
空は雲に覆われ、星も月も見えない。
あたりは、まるで息を潜めたように静かだった。
俺は防壁の外れに立ち、じっと森を見つめる。
昼間の疲れはあったが、不思議と眠くはなかった。
(この静けさ……)
胸騒ぎがする。
何かが近づいている。
そんな、根拠のない確信。
──カサリ。
わずかな、草を踏む音。
俺は、腰のナイフに手をかけた。
目を凝らす。
暗闇の中、何かが動いた。
四つ足の、獣の影。
いや、違う。
影の輪郭は、何か不自然に歪んでいた。
まるで、煙が生き物の形を取ったような、異様な存在。
(《解析》だ!)
瞬間的に、スキルを発動する。
《解析》
――――――――――
【名称】ダスクウルフ(魔力異常体)
【状態】高濃度魔力汚染/異常興奮/危険度:中
――――――――――
(間違いない……昨日のやつだ)
しかも、より危険な状態になっている。
冷たい汗が背中を流れた。
すぐに、背後の見張り台へ駆け寄る。
「ガルド! 起きろ! 来る!」
「……!?」
ガルドが飛び起き、斧を手に取る。
「魔獣か!?」
「間違いない。ダスクウルフ、魔力にやられてる!」
その瞬間、村のあちこちから緊急の鐘が打ち鳴らされた。
子どもたちを避難させ、戦える者たちが防壁の内側に集まってくる。
防壁の向こう、暗闇の中で、何かが吠えた。
喉を引き裂くような、異様な咆哮。
それは、村の夜を裂き、誰もが息を呑むような緊張を生んだ。
(……俺も、戦うのか)
ナイフを握る手に、力を込めた。
震えは、ない。
恐怖も、ある。でも、それ以上に──
(ここを、守りたい)
ただ、その想いだけが胸にあった。
──村の運命を賭けた、初めての夜が始まろうとしていた。




