【第二話】異世界の森で、最初の一歩
森の中を歩き続けて、どれくらい経っただろう。
空を覆う木々の隙間から、柔らかな日差しが降り注いでいる。
空気は澄んでいて、肌を撫でる風も心地いい。
だが、油断はできない。ここは、俺が知っている世界とは違うのだから。
(まずは、情報を集めないと)
何も知らないまま動くのは危険だ。
現世でも、プロジェクトを成功させるためには「情報収集」と「状況把握」が最優先だった。
ふと、足元の草を見つめる。
小さな白い花が咲いていて、茎は細く、葉は薄く柔らかい。
現代の植物に似てはいるが、どこか違う。
(試してみるか)
意識を集中する。
すると、スッと意識の中に"対象を選択"する感覚が生まれた。
目の前の草にそっと手を伸ばし、心の中で念じる。
《解析》
――直後、目の前に小さなウィンドウが浮かび上がった。
――――――――――
【名称】ヒーリンググラス
【効果】葉を乾燥させて煎じると、軽度の外傷を治癒する薬草となる。
【備考】過剰摂取すると眠気を引き起こす。
――――――――――
(……すごい)
本当に解析できた。
しかも、効果や使用方法までわかる。
俺は慎重に何本かヒーリンググラスを摘み取って、シャツの裾を縛って簡易的な袋に入れた。
(こんなスキル、現世でも欲しかったな……)
笑いながら歩を進める。
少しずつだが、周囲の植物や地形、空の色、太陽の位置を観察していく。
こういう地味な積み重ねが、後々命を救うことになる。
現世で、どれだけギリギリの案件を生き延びてきたと思ってるんだ。
そんなことを考えていると――
カサリ。
耳に、かすかな音が届いた。
反射的に身を低くし、音のする方向へ視線を向ける。
茂みが揺れている。
小動物か……それとも、もっと大きな何かか。
(さて……どう動く?)
戦うべきか、逃げるべきか。
まずは、敵かどうかを見極めなければ。
じっと息を潜め、待つ。
やがて、茂みから顔を出したのは――小さな、ウサギだった。
……いや、ウサギ、ではない。
耳が長く、毛並みは青白く光っている。
なにより、瞳が赤く、どこか鋭さを帯びていた。
(念のため……)
《解析》
――――――――――
【名称】ルーンラビット
【属性】魔獣(下級)
【特徴】跳躍力が高く、危険を感じると魔力を纏った突進を行う。肉は食用可。
――――――――――
(……魔獣、か)
つまり、ただのウサギじゃないってことだ。
だが、下級魔獣なら、なんとか対処できるかもしれない。
(問題は――)
俺は、自分に武器がないことを思い出して、内心頭を抱えた。
魔法も、まだ使えない。
素手で勝てる保証はない。
(となると……)
俺は、地面に落ちていた枯れ枝を拾った。
短く、手頃な太さだ。これを臨時の武器にするしかない。
手のひらで重さを確かめながら、ゆっくりと腰を落とす。
(戦い方は、現世の自己防衛術と同じだ。無理に力押ししない。相手の隙を突いて、一撃で終わらせる)
呼吸を整え、集中する。
ルーンラビットは、こちらに気づき、体を低くした。
次の瞬間――飛んできた。
素早い。だが、動きに直線的な癖がある。
(来る!)
突進してきたルーンラビットの軌道を、ギリギリでかわす。
同時に、持っていた枝を叩きつけた。
バシッ!
鈍い音とともに、枝が折れた。
ルーンラビットは、地面に転がってぴくりとも動かない。
(……やった)
勝った。
折れた枝を投げ捨て、ルーンラビットに近づく。
幸い、致命傷になったらしい。
俺は、そっと手を合わせた。
「ごめんな……ありがとう」
命を奪った重みを、忘れないために。
ふと、《解析》をかけてみると、肉と皮が利用可能だという情報が表示された。
現世でも、食材加工の基礎知識くらいはある。
知識を使えば、食糧も確保できるはずだ。
(まずは火を起こして、肉を焼こう。生食は危険だ)
俺はルーンラビットを抱え、小さな焚き火を作るために、枯れ枝と石を探し始めた。
小さな、小さな、第一歩。
でも、この一歩が、きっと未来を変えていく。
──俺は、生きるために、ここで戦っていく。