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『壁の向こう側へ - 選別された未来』

作者: 小川敦人

『壁の向こう側へ - 選別された未来』


プロローグ

西暦2487年、地球は崩壊の危機に瀕していた。大気中の二酸化炭素濃度は1000ppmを突破し、海面上昇は50メートルを超え、かつての大都市のほとんどは水没していた。極端な気候変動により、地表の約70%が人間の居住に適さない環境となっていた。

人類は存続のため、木星の衛星エウロパへの大規模移住計画「アーク・プロジェクト」を開始した。宇宙船の建造は進んでいたが、約100億人の人口のうち、移住できるのは僅か50万人だった。誰が救われ、誰が見捨てられるのか——その選別は人工知能「セレクト」に委ねられていた。


そして、地球統一政府の初代大統領ガブリエル・チェンは、その選別過程を人々に向けて宣言した。

「我々は、新たなる星への旅路において、科学と論理に基づいた選別を行います。宇宙船内の限られた資源の中で人類が生き延びるため、そして新たな星に到着した後、少ない人数で種の保存を可能にするため、この選別は必要なのです」

世界は、歴史上最大の淘汰の瞬間を迎えようとしていた。


第1章 壁の向こう側

トランプ一族の本邸は、防護壁に囲まれた人工島「ニュートランピア」に建っていた。かつてはマンハッタンと呼ばれた土地の上に浮かぶこの島は、海面上昇から守られた数少ない安全地帯の一つだった。

ドナルド・トランプ17世は、自身の執務室の窓から人工島を囲む巨大な防護壁を眺めていた。壁の向こう側には、海に沈みつつある旧ニューヨークの廃墟と、そこに住み着いた難民たちの姿が見える。壁は彼らを締め出すためにあった。皮肉なことに、彼の先祖が国境に建設を命じた壁と同じように。


「選別の結果はいつ来るのですか?」秘書のマイケルが尋ねた。

「今日だ」トランプ17世は自信に満ちた声で答えた。「我が家は世界最高の遺伝子を持っている。選ばれるのは当然だ」

彼は窓から離れ、広い執務室の中央に置かれた家系図の前に立った。そこには初代から17代目までのトランプ家の栄光の歴史が描かれていた。初代ドナルド・トランプが米国大統領を務めていた事実は、家族の誇りだった。

「先祖は偉大だった」トランプ17世は呟いた。「彼は強い国境を築き、弱者を締め出した。我々もその教えに従ってきた」

マイケルは黙って頷いた。彼の家族はトランプ家に三代にわたって仕えてきた。

「選別通知は何時に届きますか?」

「正午だ」

時計は11時45分を指していた。


第2章 セレクト

地球統一政府本部、選別管理局では人工知能「セレクト」が稼働していた。それは地球上で最も巨大なコンピューターシステムで、人類の遺伝情報、身体能力、知能、社会的貢献度、そして最も重要な「生存効率」を計算していた。

効率責任者ユンは、選別プロセスの最終確認を行っていた。

「基準は明確です。宇宙船の限られた資源を最大限に活用するためには、体格が基準内の個体が優先されます」とユンは新人アナリストに説明した。「具体的には、男性は身長175cm以下、体重65kg以下、女性は身長155cm以下、体重55kg以下が理想的です。これは単純な物理的効率性の問題です。少ない資源で長く生きられる人間が優先されるのです」

「それだけですか?」新人は驚いた顔で尋ねた。

「もちろん、遺伝的多様性も考慮します。近親婚を繰り返した家系は、遺伝的多様性が低いと判断されます。また、過去の差別行為や排他的政策に関わった家系には、社会的安定性の観点からマイナス評価が与えられます」

巨大な画面には無数の名前が流れていた。アルゴリズムは冷酷なまでに論理的だった。

「家柄や富は考慮されないのですか?」

ユンは笑った。「過去の権力や富は、宇宙では何の価値もありません。生き延びるのに必要なのは効率性と協調性だけです。それがセレクトの基本原理です」

時計は11時59分を指していた。


第3章 選別の瞬間

正午の鐘が鳴り、世界中の端末に選別結果が一斉に配信された。

トランプ17世は自信満々に自分の端末を開いた。

「さあ、見てみよう。トランプ家の栄光の瞬間だ」

画面には一行のメッセージが表示された。

トランプ、ドナルド17世:不適格

彼は目を疑った。再読み込みボタンを何度も押したが、結果は変わらなかった。

「何かの間違いだ!」彼は怒鳴った。「すぐに政府に連絡しろ!」

マイケルは自分の端末を確認して、顔を青ざめさせた。「お館様、トランプ家の全員が不適格判定を受けています」

「そんなことがあるか!我々は米国の大統領家系だぞ!」

マイケルは静かに言った。「理由も記載されています。『遺伝的多様性の欠如』、『体格基準不適合』、そして...」

「そして何だ!」

「『過去の選別行為による遺伝的マイナス因子』...とあります」

トランプ17世は椅子に崩れ落ちた。「意味が分からん」

マイケルは続けた。「補足説明によると、あなたの家系は数世代にわたる近親婚により、宇宙環境での生存に不適な特徴を持つようになったとのことです。さらに、先祖の排他的選別行動が『歴史的マイナス因子』として記録されているようです」

「馬鹿げている!」トランプ17世は叫んだ。「私の先祖は国を守るために行動したのだ!」

その時、窓の外から騒がしい音が聞こえてきた。島の防護壁が開き、難民たちが押し寄せていた。


第4章 壁の崩壊

ニュートランピアの防護壁は、選別結果の発表と同時に機能を停止していた。それは地球統一政府の命令だった。選別されなかった者同士の間に壁は不要だったのだ。

「何が起きているんだ!」トランプ17世は窓から身を乗り出して叫んだ。

マイケルはニュースフィードを確認した。「選別されなかった土地は公共領域として開放されるという発表が出ています。壁で囲まれた私有地は、残された人々の共有財産になるとのことです」

「そんな!私の財産だぞ!」

部屋のドアがノックされた。ドアを開けると、マイケルの家族が立っていた。彼の妻と二人の子供たち。彼らの顔には喜びの表情があった。

「マイケル、私たちは選ばれたわ!」妻のアナが興奮した声で言った。

マイケルは自分の端末を見た。確かにそこには「適格」の文字があった。

「どうして...?」トランプ17世は呆然としていた。

「我々の家系は何世代にもわたって多様な文化的背景を持つ人々と結婚してきました」マイケルは静かに説明した。「私の曽祖父はメキシコからの移民でした。かつてあなたの先祖が建てた壁を越えてきた人々の子孫です」

トランプ17世は言葉を失った。

「さらに」マイケルは続けた。「私たちは体格が小さく、少ない資源で効率的に生存できるとセレクトに判断されたようです」


第5章 審判の日

選別の日から一週間が過ぎた。トランプ17世はもはやニュートランピアの主ではなかった。島には様々な難民が住み着き、かつての豪邸は共同住居となっていた。

トランプ17世はかつての執務室の片隅に小さなスペースを与えられていた。彼はそこで過去の記録を眺めていた。初代ドナルド・トランプの演説、メキシコとの国境に建設された壁の映像、そして「アメリカ・ファースト」と書かれた古びた赤い帽子。

これらの遺物を前に、トランプ17世は生まれて初めて深い後悔を感じていた。先祖の行いが、今の自分の運命を決めたのだと思い知らされたのだ。

「私の先祖は、『アメリカ・ファースト』を掲げて、壁を建て、人々を分断した」彼は呟いた。「そして今、人類存続の危機に際して、私たちは除外されてしまった」

彼は古びた記録を再生した。そこには初代トランプが「我々は最高の人々だけを国に入れるべきだ」と力強く主張する姿があった。

「なんて馬鹿げていたんだ」トランプ17世は頭を抱えた。「『最高の人々』などというのは、単なる幻想だった。彼の政策は差別と貧困を生み出しただけだった。そして今、同じ論理によって、私たちトランプ家は『最高の人々』の中に含まれていない」

「歴史的な審判の日だったと言えるでしょうね」

声の主は歴史学者のラミレスだった。彼はメキシコ系アメリカ人の子孫で、トランプ家の記録を研究するために島にやってきていた。

「あなたの先祖は、体格が良く、金持ちで、特定の肌の色を持つ人々が『より優れている』と判断しました。今回の選別では、体格が小さく、少ない資源で効率的に生きられる人々が優先されたのです」

部屋の窓からは、発射の準備をしている巨大宇宙船「アーク1」が見えた。マイケルと彼の家族も、そこに乗り込むことになっていた。

「先祖が分かっていれば...」トランプ17世は絶望的な声で言った。「自分たちの利益だけを追求する社会は、最終的には自滅するということを。『アメリカ・ファースト』の愚かさが、今の『トランプ・ラスト』を生んだんだ」

「終わりではありません」ラミレスは言った。「残された私たちには、新たな社会を築く機会があります。壁のない社会を」

「選別されなかった者たちの社会か?惨めなものだな」

「いいえ、平等な社会です。あなたの先祖が築いた壁の多くは、実際には必要なかったのかもしれません。むしろ、私たちを弱くしただけだったのです」


第6章 新たな始まり

エウロパへの移住船団は、2488年の春に地球を離れた。全10隻の宇宙船には、厳選された50万人が乗り込んでいた。マイケルとその家族もその中にいた。

出発の様子は、地球に残された人々のために生中継された。地球では、99%以上の人々が取り残されていた。

しかし、予想に反して社会は崩壊しなかった。選別の公平性が認められたためか、暴動や大規模な反乱は起きなかった。むしろ、残された人々は協力して生き残るための新たな社会秩序を構築し始めていた。

トランプ17世も、その一員となっていた。選別に落ちた彼には、もはや特権も権力もなかった。彼は初めて、自分の手で労働することを学んでいた。

「壁を建てるのはやめて、橋を作ろう」

それは新たな地球共同体のスローガンだった。皮肉なことに、初代トランプが建てようとした壁の建材は、今や洪水対策の堤防や共同住宅の建材として再利用されていた。

ラミレスはトランプ17世と共に、かつての防護壁の残骸の上に立っていた。

「あなたの先祖は、壁によって人々を隔てようとしました」ラミレスは言った。

「しかし、歴史は皮肉なものです。その壁の建材が今、人々をつなぐ橋になっているのです」

トランプ17世は初めて心から笑った。「因果応報というより、歴史の修正と言うべきかもしれないな」

「それも悪くない言い方です」ラミレスは同意した。

「人類が生き残るために、過去の間違いから学ばなければならないのでしょう」


エピローグ

30年後、エウロパに到着した移住者たちは、新たな文明を築き始めていた。彼らは「セレクト」の選択が正しかったことを証明するかのように、厳しい環境の中で効率的に生き延びていた。

一方、地球に残された人々も、予想を超えて適応していた。限られた資源を共有し、排他的ではなく包括的な社会構造を作り上げていた。皮肉なことに、トランプ家の土地は最も成功した共同体の一つとなっていた。

老いたトランプ17世は、若者たちに囲まれて自分の人生を振り返っていた。

「私の先祖は壁を建てました」彼は語った。「彼は自分たちを守るために、他者を排除しようとしたのです。しかし、私たちが学んだのは、真の強さは壁の中に隠れることではなく、互いに支え合うことにあるということです」

若者たちは熱心に聞いていた。彼らにとって、壁は過去の遺物に過ぎなかった。

「セレクト」は私たちに公平な選別を行ったのでしょうか?」一人の少年が尋ねた。

トランプ17世は微笑んだ。「公平とは何かを定義するのは難しい。しかし、セレクトは私たちに重要な教訓を教えてくれた。私たちが何世代にもわたって作り上げてきた壁は、結局のところ私たち自身を閉じ込める牢獄になっていたということをね」

彼は空を見上げた。そこには、かつての地球の大気が失われつつあるにもかかわらず、美しい星々が輝いていた。エウロパもその中の一つだった。そこには、かつての召使いの子孫が、新たな人類の一員として暮らしている。

「壁の向こう側には、常に新たな可能性がある」トランプ17世は囁いた。「私の先祖が知っていれば、歴史は違う道を歩んだかもしれないね」

それは、選別を経て生まれた新たな哲学だった。壁を建てる者は、最終的にはその壁の中に閉じ込められる。そして、開かれた心を持つ者は、星々の間をも自由に渡り歩くことができる。

因果応報と呼ぶには壮大すぎる。それはむしろ、人類が長い時間をかけて学んだ、宇宙の真理だったのかもしれない。

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