4 仮面の脱獄囚
12時をすぎる頃、汽車は辺境の駅に着いた。
人気のない真っ暗なホームに、その男はひとりで立っていた。
私がその男に気づいたのは、彼が乗り込んだのが私と同じ1号車だったからだ。
この汽車は三両編成で、1号車が1等車両である。
2号車、2号車に比べて割高なこの1号車には、身分の高いものや裕福な者が乗る。
しかし真夜中に乗り込んできたこの男は、他の乗客とはまるで違っていた。
革靴は擦れた跡がいくつもあり靴底が減っている。
裾がへたれたコートには靴あとさえある。
何よりも異質なのは、男の顔を覆う仮面だ。
仮面の男は2等寝台の4部屋の前を通過し、1等寝台の1号へと入っていった。
2等寝台は上下に2つずつ寝台が並んでおり、1等寝台は寝台は一つだけである。
1等寝台をみすぼらしい身なりの仮面を付けた男が使用するのは異質なことである。
私は仮面の男が部屋に入るまで、息がとまってしまった。
彼こそが、かの囚人だ。
10年もの間、監獄に閉じ込められていたあの囚人。
訪れた村の住人を皆殺しにした囚人。
彼こそが、この国の運命を変える人物。
彼こそが、私がずっと会いたかった人。
けれども私はその場に凍りついてしまい、彼に声をかけることができなかった。
どれほどそうして立ち尽くしていただろうか。
「ここにおられたのですね。マーガレット嬢。」
突然後ろから名前を呼ばれ、身体がこわばった。
「そんなに警戒しないでくださいよ。僕らは仲間でしょう?」
声をかけてきた男はへらりと歯を見せる。
30代前半でどこか女慣れしたいやらしさのある男は知り合いにいなかったと首をかしげかけたが、男は「いやだなぁ、小さい頃はダンスのお相手をしたのに僕を忘れたんですか?」と笑った。
覗いた八重歯には覚えがあった。
「男爵でしたか。申し訳ございません。」
最後に会ったのは10年以上前で、この男もまだ青さの残る青年であったから気づけなかった。
男爵は「そんな、謝らないでください。僕も最初はあなたがあの小さなマーガレット嬢だと気づけなかったから。」と笑って距離を詰める。
「だって、あなたがこんなにも美しくなっていたから。」
耳元で囁かれて思わず悪寒が走る。
男爵はこの10年で随分と女遊びをしていたらしい。
この10年間、私の家と同様男爵も苦しんだと考えれば納得はいくが、だからといって馴れ馴れしい態度を許容する気は無い。
私は男爵から距離をとる。
「昔のままではいられなかったのでしょう。私も、あなたも、彼も。」
「かつての婚約者のあんな姿に幻滅しましたか?」
男爵の言葉に私は首を振る。
「いいえ。けれども、彼がどんな10年を送っていたのか考えると胸が痛みます。」
あの人が監獄に閉じ込められている間、私は何も出来なかった。
だから後ろめたくて、声をかけられない。
本当は会いたかったのに。
「あなたも十分に苦しんだでしょう。けれどもそれもここまでです。僕たちでこの国を変えましょう。」
そうだ。
このつらい10年ももう今日で終わりだ。
新しい時代がはじまるんだ。
私には、言葉を交わさずともわかる。
どれほど姿が変わろうとも、
監獄へ閉じ込められ虐げられようとも、
あの人の心までは変わっていないこと。
彼こそが、この国の王になるべき人だ。




