3 姉弟
薬を持ち込んだ犯人がわかったのは早朝だった。
物音で目が覚めた俺が部屋を出ると、皆はすでに起きて廊下に顔を出していた。
「おい、なんの騒ぎだよ?」
「ネズミがでたのよ。」
遠くからオリヴィアが答えたと思うと、見知らぬ少年がこちらに向かって走ってくる。
「お前だれだ?」
少年は俺の顔を見ると、奇声を上げてこちらに向かって飛びかかる。
「止まりなさい。」
襲いかかってきた赤毛の少年は、オリヴィアにあっさり負けて地面に押さえつけられた。
「離せよ!おれはその男に恨みがあるんだ!」
「ならなおさらあなたを離すことはできないわ。彼を守るのが私が受けた命令だもの。」
オリヴィアは少年に絞め技をかけた。
ナターシャはきぃきぃと悲鳴をあげる少年を顎でさす。
「坊ちゃんあの子になにしたのさ?」
「覚えがねぇよ。」
少年はかっと目を見開く。
「ふざけんな!ねぇさんを返せ!」
少年の言葉にナターシャは顔を青くする。
「げぇ、坊ちゃん人攫いはだめだよ!」
「やってねぇよ!」
言い争っていると、操縦室で出発の準備をしていたアイリスがきた。
「君たちは朝から元気がいいね、どうしたんだい?」
その赤毛の長髪をみるがいなや、同じ髪を持つ少年は「アリスねぇさん!」と目を輝かせる。
一方で呼ばれた方は顔を青くする。
「アイリス?なんでここに…。」
赤毛の操縦士は少年を"アイリス"と呼んだ。
「知り合いか?というか、"アイリス"はお前じゃなかったのか?」
俺の言葉に少年はまた叫ぶ。
「その人はおれのねぇさんだ!おれが本物のアイリスだ!」
アイリスと名乗っていた操縦士は少年ではなく、少女だったらしい。
少女は少年に近づくと、ぱんと軽く頬を打った。
「何しに来たんだ、私の邪魔をしないでくれたまえ。」
少女は少年ほど再会を喜んでいないようだった。
少女は振り返って、頭を下げた。
「すまないね、愚弟が無礼を働いたようだ。」
「これはあなたの弟なの?」
オリヴィアが少年を押さえたまま聞くと、少女はうなづく。
「それじゃアイリスってのは弟であんたは弟になりすましてきたねぇちゃんないのかい?」
ナターシャに少女は頷いた。
「そういうことだ。私の本当の名はアリスだ。私は弟のかわりにこの遠征に参加したのだが、愚弟が何を勘違いしたのかついてきてしまった。」
「だってねぇさんがおれを守るために身代わりになるなんていやだ!」
「お前のためなわけじゃない。私は自分で選んでここに来たんだ!」
「こんな危険な旅に喜んで参加するなんておかしい!きっとそこの不埒なやつがねぇさんをたぶらかしたんだ!」
弟はきゃんきゃん叫んで俺を指さす。
それを聞いたまたナターシャが声を上げる。
「げぇ!坊ちゃんあんたよそのお嬢さんたぶらかすなんて最悪だよ!」
「やってねぇよ!ナターシャお前いい加減わざとだろ。」
まったくの言いがかりだ。この弟はずいぶん思い込みが激しいらしい。
呆れた姉は「いい加減にしろ。」とまた頬を打って弟を大人しくさせた。
「アリスはなんでわざわざ弟になりすましてまでこんなとこに来たのさ?舞踏会へいくってんじゃないんだよ?」
ナターシャに聞かれたアリスは冷めた声で答える。
「女として売りに出されるよりはるかにましだろう。」
貴族とはいえ貧しい家庭であったのは本当らしい。
戦いに出たほうがマシ、というのもやるせ無い話だ。
アイリスはアリスの言葉に項垂れてしまった。
アイリスがこれ以上暴れないことがわかると、オリヴィアはようやっと彼を解放した。
労働させられた腹いせに「あなたの家はよほど警備が薄いのね。」と嫌味をいった。
アリスは嫌味には気づかないようすで、「口減しに子どもを遠征に出したんだ。2人減ればより得だと考えたんだろう。」と答えた。
「薬を持ち込んだのはお前か?」
俺の質問をアイリスは無視したが、オリヴィアがふたたび締め上げようとすると慌てて答えた。
「そうだよ、おれだよ!そこの坊ちゃんが捕まればいいと思って!」
解放されたアイリスを、ノアは見下ろすようにして脅す。
「ここまで来たらもう君を下ろすことはできないよ、アイリス。君もここで働いてもらう。」
「なんでおれが!」
かみつくアイリスをアリスが制する。
「黙りたまえ、私たちはこのルーカス様に雇われる以外食事にはありつけないぞ。」
ノアはアイリスにさらに顔を寄せて睨む。
「これだけの薬を持ち込んでこちらに危険を負わせた責任はとってもらうよ。」
「いやだといったら?」
「君の大事な姉さんが人質になるだけだよ。」
ノアは歯を食いしばるアイリスを突き放した。
「なぁ、ちょっと厳しいんじゃないか?子供だぞ。」
俺がノアに囁くと、ノアは顔を顰める。
「僕とそんなに変わらないよ。君は危機回避能力が足りないんじゃない?あの子はきっと簡単に裏切るよ。」
しかし、わからないことがある。
「アイリスはどこから薬をもちこんだんだ?」
これにはアリスが答えた。
「私たちの家からだろう。うちの一族はもとは商人で、この薬を製造して財をなしていたんだ。王に薬が禁止薬にされると、製造した罰として財産を取り上げられたんだ。一方で数年後貴族の称号が与えられた。私は跡取りでないから詳しいことは教えられてないが、いまだに製造は続けていて、王家に上納していたんだろう。私が船の操縦を仕込まれたのも、薬の運び屋にさせるためだ。」
「坊や、お姉さんの読みはあたっているのかしら?」
オリヴィアがアイリスに聞くと、彼女が怖いアイリスは不機嫌そうに頷いた。
「おれは親に船の操縦だけじゃなく薬の製造法も製造場所も教えられてる。納品先もな。」
レニーは納得いかないというように首を傾げた。
「でもよぉ、王家に薬買ってもらってんなら儲かってんじゃねぇの?貧乏なのおかしくねぇ?」
ノアはそんなレニーに少し呆れた顔をする。
「君は相変わらずだね。薬を製造した罪で財産を没収されたって聞いたでしょ。貴族にしたのは王家が囲うためだ。上納された薬に報酬は支払われてないんだ。存在していないはずの薬だからね。買うことはできないってことさ。」
「この薬はどうやって捨てるんだい?持っているだけで犯罪なんだろ。」
ナターシャの問いかけにノアは「捨てないよ。」と言う。
「王家は"アイリス"が勇者の遠征に同行する時点で薬が持ち込まれることを予想していたはず。表向き力のない貴族の息子を同行させたのは薬を持ち込ませるためじゃないかな。」
「なんのためにだよ。俺を薬の所持罪で捕えるとか?」
「さあね。なんにせよ、手に入ったものはうまく使わなくちゃね。」