2 騎馬
勇者の遠征に参加するまで、ルーカスの屋敷の料理見習いだった俺は1人で屋敷を出ることはほとんどなかった。食材調達は見習いの仕事だけれど、市場に行く時は目利きの教育をしてくれる兄弟子と一緒だった。屋敷から1番近い市場の店主はみんな顔見知りだった。俺は狭い世界で、いつも守られながら生きていたのだ。
今この瞬間、俺は強くそう感じている。
数ヶ月前までは平穏に暮らしていたのに、今俺はおっかない奴らに追いかけられながら、鉄でできた馬の背に乗ってバザールを駆け抜けている。
「逃げるなぁ!この泥棒!」
追ってきたバザールの店主たちが叫ぶ。
「泥棒じゃねぇよぉ!代金払ったじゃねぇか!」
"泥棒は全員で袋叩き"というバザールの掟のせいで、冤罪だろうがなんだろうが捕まれば殴られる。
言いがかりをつけられたのはこちらなのに。
「へへへっ!あいつら怒髪天をついてるね!」
俺を鉄の馬に乗せて助けてくれた青年はこんな状況だというのに笑っている。
「なんであんたはそんな楽しそうなんだよぉ!」
「だって面白いじゃないか!それに馬で走るのはいつだって最高だよ!」
鉄の馬はバザールを飛ぶように駆け抜けていく。全身に風を感じながら進むのは確かに爽快かもしれない。
と、思った矢先、走っている道の数メートル先が塀になっていることに気づいた。曲がり道はない。完全に行き止まりだ。
「おい!前見てくれよ、行き止まりだぞぉ!」
馬を操る青年の背に声をかけるが、彼は「この程度の高さなら簡単に飛び越えられるね。」と余裕そうだ。
後ろから、「おい泥棒、その先は崖だぞ!もう逃げられねぇぞ!」と怒鳴り声がする。
この先が崖なら、馬が塀を飛び越えられたとしても進めない。追い詰められた。
俺は焦るが、青年は馬を走らせるのをやめない。
それどころかさらに速度を上げて塀に向かっていく。
「おい、どうすんだよ!」
「無問題!振り落とされるなよ!」
青年は足で馬の腹を叩く。歯車が音を立てて回転し、脚が地面を蹴り上げる。俺と青年を乗せた鉄の馬は高く飛び上がった。
「うわぁぁ!」
塀を飛び越えて、馬は宙を舞う。
空が近く感じて水平線が見えた。
かと思うと急降下し、馬は崖を一気に駆け降りた。
崖のふもとまで来ると青年はようやく馬を止めた。
「ここまでくればもう追ってこないだろうね。災難だったね。」
青年はひらりと身柄に馬から降りる。
「助かったよ、俺はレニーってんだ。」
俺が名乗ると、青年は「我はユーシェン。」と手を差し出して俺を馬から降ろしてくれた。
「脚が震えて力がはいんねぇ…。」
「へへへっ!初めて馬で崖を下る子はみんなそうなるさ!」
ユーシェンは膝が笑って立てない俺を面白がった。
「どうだい、馬に乗るのは楽しいだろう!」
「ああ、おかげで袋叩きにならずに済んだぜ。助けてくれてありがとうな。」
礼を言うとユーシェンはニィッとして顔を近づける。
「お代は我の頼みを聞いてくれれば結構!」
猫のような笑顔に冷や汗が垂れる。
無償で助けてくれた親切なやつじゃなかった!
やっぱりバザールで会うこの手の商人はぼったくりだ!
「えっと…頼みってぇのはなんだ…?」
恐る恐る聞くとユーシェンは、「さっきの紋章入りのハンカチは本物なんだろ?」と俺の肩を掴む。
友好的だが逃さない気だ。
「レニーの主人に会わせてくれ!」
俺には断ることなんてできなかった。




