1 鉄の馬
バザールは人でごったがえしている。
土地勘がないというのに、こうも人が多く視界が悪くては余計に迷ってしまう。
「それじゃ、あたしは洗濯石鹸を買いに行くから。あんたはちゃんと食料を買うんだよ、レニー。」
と、俺に釘を刺してついさっき別れたナターシャの姿がもう見えない。これでは合流するのに手間取るだろう。早く買い物を済まさなくては。
けれど買うものは多いのだ。
この街を出てしまうとしばらく食料を仕入れることが難しくなる。
船に乗っているのは食べ盛りの子供ばかりなのだ。なるべく長く保存のできる食品を安く大量に仕入れなければ。
ビスケットを買い終えて、次の店を探していた俺は前を見ていなかった。
「哥哥、危ないよ!」
「うわぁ!」
目の前に突然鉄色の獣の顔が現れた。
この鉄でできた獣にぶつかりかけたのだ。
「哥哥、ちゃんと前見てないとぶつかるよ。」
「すんません!」
鉄の獣の背に跨った青年にいわれ、俺は頭をさげた。
その鉄の獣は、顔が縦長く人の顔の倍ほどある。
四つ足の体は大きく、それぞれの足の付け根に大きな歯車が回っている。
「興味深々だね。」
まじまじと見てしまった俺に青年が言う。
「悪い、鉄の獣は初めて見たからよぉ。」
青年はそんな俺を見てニッと笑う。細まる目と三角に口角が吊り上がる。猫によく似た笑顔だ。頭の後ろで細く編まれた長い髪が尻尾のように揺れる。
「こいつは馬だよ。乗ってみる?」
ニヤリと誘いかける青年にまずいと気づく。
バザールで出会うこの手の誘いは乗ってはいけない。ぼったくられると決まっている。
「残念だけど俺ぁ急いでんだ!またな兄さん!」
俺は足早に立ち去った。
進んだ先でなんとか肉屋を見つけた。
燻製肉の塊を2つ注文し、店の女に銀貨を4枚渡した。
「おい、これじゃ足りないよ!」
銀貨を数えた女は俺をにらんだ。
「そんなことねぇよ、きちんと4枚やったろ!」
「あんたの代金は銀貨6枚だよ!ひとつ銀貨3枚ってちゃんと値札に書いてあるだろ!」
女はびしりと値札を指差す。
しまった、俺は値札を読み間違えたんだ。
「すんません!俺ぁ文字が苦手なんだ。ちゃんと払うよ。」
追加の銀貨を払おうとするが女は納得しない。
「お前さん、誤魔化そうとしたんじゃないだろうねぇ。泥棒じゃないってんなら身分を証明しな。」
面倒なことになった。
俺は仕方なく紋章いりのハンカチをだした。
雇い主の紋章の入ったハンカチは使用人にとって身分を保証するものとして持つことが許可されている。
女は俺がきちんと身元を証明できると思っていなかったのだろう。見たところ大衆を相手する商人な女は、紋章だけで俺がどこの使用人かはわからなかったらしい。
女はしぶしぶ銀貨を受け取り肉を俺に渡した。
「おいてめぇ、待ちな!俺のカミさんを騙せても俺はだませねぇぞ!」
女の後ろから主人が出てきた。主人は大男で凄まれた俺はひるむ。
「さっきおめぇが見せた紋章、ありゃぁ王家のもんだろ。王家の使用人が文字が読めねぇはずがねぇ!ニセモンにきまってらぁ!」
こんなことなら真面目に親方に文字教わっとくんだった!
俺は男の目の前にびしりとハンカチをつきだして、
「ほんもんだ!紋章だけじゃねぇ、この青い色だって王族の色だろぉ!」と叫んですぐ引っ込めた。
こういうタチの悪い輩にハンカチを奪われると、汚されるなり破かれるなりしていちゃもんつけられるに決まってる。
代金ははらって肉も受け取ったんだから逃げるに限る。
買ったものを鞄に仕舞い込むと、俺は一目散に駆け出した。
「おいこら待てこの詐欺師が!」
男は大声で叫んで追いかけてくる。
「なんで追いかけんだよぉ、ちゃんと代金払ったろうがい!」
男が叫んだせいで他の店の店主も追いかけてくる。
バザールでは盗人があれば店主たちは全員で袋叩きにするのだ。
これはまずいことになった。
「哥哥、のりな!」
「あんた、さっきの!」
俺を呼んだのはさっきの猫に似た青年だ。
青年は俺の腕をぐんと引いて引っ張り上げて、俺は鉄の馬に乗せられた。
「我にしっかり捕まりな!」
青年が足で引き金を引くと鉄の馬の歯車が回り始めた。
馬の鉄の前足が持ち上がったと思うと、鉄の後ろ足が地面を蹴り上げた。
「うぁあ!なんだこれ!」
馬は激しく地面を蹴り付けて風のように走り出す。景色が飛ぶように過ぎ去っていく。
俺は振り落とされないように青年にしがみついた。




