『遷都以後内裏焼失と速記の神、天満天神』速記談1013
おそれ多くも桓武天皇が、平安京に遷都あそばされてからというもの、神仏の守りによって、火災に見舞われたことなどなかったが、村上天皇の御代には、内裏が焼失した。内裏の焼失は、難波宮の折に一度、藤原宮の折に一度あったので、三度目ということになる。村上天皇の祖父、醍醐天皇の御代には内裏に落雷があり、当時は醍醐天皇が菅原道真公を太宰府に配流あそばされたことが原因とうわさされたものである。菅公のたたりはその後も続き、学問や速記の神、天満天神とあがめられるようになったのである。
教訓:天満天神は、速記のみならず、学問の神であるが、速記だけの神というのもいらっしゃってよい。