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翌週、俺は藤堂と一緒にファミレスに来ていた。午後の二時間、俺はこいつの勉強を見てやらなければならない。バイト代は時給千円。こいつマジで金持ってんな。
ドリンクバーのコーヒーをすする。うん、薄い。
「ねー、須田くん。友達と恋人の違いってなんだと思う?」
「なんだよ急に」
「昨日、友達とそういう話になって。私彼氏とかできたことないからさ。須田くんは?」
「いねえよ。現在過去未来すべての点でいねえ」
「未来はわかんないでしょ……。で、そういう話になったから。恋人ってなんなのかなって」
「だから、知らん。できたことねえっつってんだろ」
「一般論だよ、一般論。一般的な恋人ってどんな感じなんだろうねって話」
こいつの友達喪女しかいねえのか。
だが、罵倒の言葉はひっこめる。
先週こいつと別れたあと、俺は考えた。今はすっかりこいつのペースに飲まれているが、なんとか抜け出すことはできないか。答えは簡単だ、こいつに嫌われればいい。
女に嫌われるのは得意だ。今までさんざん嫌われてきたからな。今までは無意識にやっていた嫌われムーブを意識的にすればいい。
女に嫌われる行動その1,ふわっとした質問にガチ哲学で答える。
「……あー、えっとだな」
「うん」
藤堂が身を乗り出す。つい目をそらした。
どうしよう、いざガチ哲学ろうと思うと言葉が出てこない。回答は頭の中にはあるのだが、この阿呆相手にどこから話せばいいのかわからない。
考えた末、自分がしゃべりやすい順序で話すことにした。
「……恋人ってイデアは存在しない」
「ごめん、なんて言った?」
思わず小声になってしまった。しょうがないだろ、イデアとか口で言うの恥ずかしいんだよ。
「一般論っていうが、一般的な恋人っていう命題がまず無意味だ」
「……わかるようなわからないような」
「恋人ってのは個々人の、いや個々組のか、それぞれ特殊な関係性だ。個々の事例はあっても、そこから抽象化された一般論としての恋人というのは存在しない。存在するように思えるのはお前自身が、それをどうとらえるかっていう解釈に立脚した像を持ってるからだ。そしてその像もまた、個々人が持つものであり複数の人間が共有しうるものじゃない。だから、一般論としての恋人はいかなる特徴を持つかって命題は意味をなしていない。もちろん、それに対する答えも存在しない」
語りえぬものには、人は沈黙しなければならない。だから俺はそれに対する答えを持っていない。
どうだ、この答え。ドン引きだろう。藤堂を見やると、瞳孔を開いて俺の目を覗き込んでいた。
「須田くんってほんとに頭いいよね」
今の回答に頭いい要素あったか? むしろ詭弁臭くていやだろ。いや、バカの目には詭弁家こそ頭が言い人間に映るのか。それはそれで嫌だな。
「じゃあ、須田くん自身は恋人ってどんなイメージ?」
むしろ俺は藤堂に対して驚いた。この質問、さっき俺が吐いた詭弁を理解してこそのもの。けむに巻くためにわざわざ“像”だの“命題”だのいう言葉を使ったのに、全体としての文脈は理解してる。
……そこまでバカじゃないのか?
「それこそ、答えれん。俺は」
と、そこまで言って今日の目的を思い出す。ドン引きして嫌われるんだった。
「しいて言うなら、金くれる存在かな」
これはさすがに効いただろ。弁護の余地なきクズ発言。
だが藤堂は上機嫌に笑う。
「それだと私が恋人みたいじゃん」
うわー……これが話し慣れてる人間の受け答えか。論理的じゃないのに反論を封じてる。やっぱり議論は苦手だ。ひとりで問題解いてる方が落ち着く。
「そんなに気になるなら自分で作れよ」
「そんな簡単なもんじゃないでしょ。須田くんはいないの? 気になる子とか」
気になるっていうならお前だけど、好意の前段階としてではなくて単に理解不能って意味で気になる。
「……別に。恋愛嫌いって言っただろ」
「恋愛ものが嫌いなんじゃなくて、恋愛そのものが嫌いなの?」
「どっちか片方だけ好きっておかしいだろ」
「そうかな。恋愛ものは嫌いだけど彼氏彼女はいるって、多いと思うけど」
「人の心理って複雑だな」
「ホラー好きな人でも、実際に怖い目にあうのは嫌じゃない?」
それはちょっと理解できた。なんか悔しい。
「……勉強、しろよ。進まなくてもバイト代はもらうからな」
言うと、藤堂は静かになる。だが問題を解く様子はない。手元をじっと見つめている。
「……私はいるよ、気になる人」
「そうか。じゃあさっさと付き合うなりなんなりしろ」
そして俺の前から消え失せろ。
「じゃあ、そうしよっかな」
「おお、そうしろ。今回に関しては本気で応援してやる」
「今回だけ? ひどいなあ」
とは言うものの、顔は笑っている。いつものように大声は出さず、静かに笑う。
一分ほど待つと、藤堂は笑いをおさめた。しばらく手元を見たあと、顔をあげる。
「須田くん」
「なんだよ」
「好きだよ、付き合お」
その言葉を聞いた瞬間、いくつもの思いが頭をめぐる。過去の記憶が鮮烈な痛みとともに喚起される。
かき乱されていた思考が凪いで、頭が冷えた。ゆっくりと口を開いた。
「何度も言ってるだろ、嫌いだって」
自分で意識したよりずっと、冷たい声音。
藤堂は目を見開き、大きくまばたきした。すぐに笑顔を張り付ける。
「あ、やー、そうだよね。須田くん、ずっと言ってたもんね。ごめんごめん、なんか、勘違いしてた。普通に会話してたし、わりと気が合うのかなって思ってたんだけど。や、ごめんね、変な事言って。忘れて」
顔をぱたぱたと歩き、視線をさまよわせる。
「やー、振られちゃったなー。あ、めっちゃ喉乾いた。ドリンクバー行こーっと」
慌ただしくコップを取り、席を離れる。
ドリンクバーから帰って来ると、いつもの藤堂に戻っていた。少し口調はぎこちないが、うるさくて、身振りが大げさで、よく笑う。
約束通り二時間経つとファミレスを出た。そのときも藤堂の様子に変化はなかった。
翌週、藤堂は来なかった。