第292話 吟遊詩人がやって来た
「こんにちはーっ!! こんにちはーっ!!」
「うわーっ、誰だ誰だ、でかい声だしやがって」
僕が外に出ると、派手な格好の男がいた。
赤や緑や黄色の布を纏い、頭には白と黒が螺旋状になった帽子を被っている。
そして布地の裾から覗く足は……。
なんと、ヤギの足なのだ!
「サテュロス族じゃないか! 珍しいなあ!」
「どうも! どうもどうも! あはー! 髪が金色、肌が小麦色、瞳は緑色! あんたがナザルさんだね! こんにちは! やあこんにちは! どうもどうも! みどもは仰るとおりのサテュロスで、名をブレッドと言うんだ! 世界を巡るちょっとベテランの吟遊詩人なんだが!」
「賑やかなのがいるね。おや! ブレッドかい? 彼は世界的に有名な吟遊詩人だよ」
ひょいっと顔を出したリップルが解説してくれた。
そうなのか!
「ナザルは食の世界にいたから気付かなかっただろうが、音楽と演劇の世界において、サテュロスのブレッドを知らない者はもぐりだね。彼の描く戯曲はかなりのものだよ。アーラン大劇場でもよく演目として楽しまれているだろう?」
「一度も行ったことがない」
「君は食文化以外の文化に触れるべきだなあ! よし、私が今度連れて行ってあげよう。文化に明るくない夫は私としても教育しないといけないからね」
「なんだってー」
面倒な話になってしまった。
ちなみにブレッドがここに来た理由だが……。
「いやはや実はですね! ソロス王子がソロス陛下になったと聞きましてね! いやあめでたい! この間アーランに立ち寄ったときには、生まれたばかりだと思っていたのに! もう国王陛下! いやあ時の流れは早いもんだ!!」
「喋るのが止まらんなこの人!」
「口から先に生まれてきましたからねえ!」
「なになにー? だれがきたのー!」
パタパタとコゲタもやって来た。
そしてブレッドを見ると、「しじんさんだー!」と驚く。
これにブレッドは大いに気を良くしたようで、「ではおちびさんのために一曲……!」とか言い始めた。
おい、本題!
本題~!
なんかブレッドが朗々と、『子犬のためのフーガ』とか言う曲を奏で始めて、周囲に住まってらっしゃる品の良い方々まで出てきてニコニコしながら聞き始める。
いや、上手いけどねこのサテュロス。
今まで聞いた吟遊詩人の中では一番上手いけどね。
歌い終わり、コゲタが感激してぴょんぴょん飛び跳ねながら拍手をした。
優雅に一礼するブレッド。
リップルも満足げだ。
ポーターまで首を振ってノリノリだ。
乗ってないのは僕だけではないか……!?
「さすがは油使い!! みどもの曲でもノリノリにならないとは!! あんた、さては筋金入りの音痴だね! そう、みどもの天敵だ! だからここに来た! ソロス陛下とデュオス殿下から、あんたの歌を作れと命じられたからだ! ヒャッホウ! こいつは腕が鳴るぞう!!」
飛び跳ねながら腕まくりするブレッド。
なんと騒がしい男であろうか!
「ということで取材させてもらっても? ああ宿は気にしないでもらって結構! 僕らサテュロスは空が天井で地面が石ころだらけでもグッスリ眠れるんだ!」
「馬小屋に泊まりなさいよ」
「ファオ! みどもの発言を聞いて表情一つ変えない塩対応!! 心というものがある生物なら可哀想に思って、母屋に入れてくれると言うのに! あんた本当に筋金入りの音痴だね……?」
どうやら、素晴らしい楽士であるブレッドの技がイマイチ通用しない僕は、本当に凄い音痴らしい。
初めて知った事実だな……!!
「なるほどねえ、ナザルの歌を……。アーランはナザルの存在を伝説にまで高めるつもりだろうね。歌い継いでいくのかな」
「ええーっ!? 僕をかい? なんでそこまでやるのだ」
「君な、自分を過小評価はよくないからな。食一つで世界に平和をもたらしたのが君だぞ。美食に飽く何百年か先まで、人々は戦争をしないだろうさ」
そう告げたリップルは、ブレッドに笑いかけた。
「こんな芸術音痴の夫だが、どうか君の力で素晴らしい歌を作ってやって欲しい! 期待しているよ」
「もちろんだよ奥方! あんただって大英雄なんだから歌になるべきなんだけどね! もうしてるんだけどね! では続けて天を落とす魔女の歌を……」
「ストーップ!」
僕はブレッドの額にチョップを叩き込んだ。
彼は「ウグワーッ!」と叫んでぶっ倒れた。
帽子が脱げて、ヤギの角が出てくる。
ははあ、角と角の間が急所か。
静かになったので、家の中に運び込んだ。
周りの家の人々が、何故かワーッと拍手喝采で送ってくれる。
なんだかとんでもないことになって来たな。
ブレッドはすくっと起き上がり、
「それで取材の許可はいただけるので?」
と聞いてきた。
「王命だろう? いいよいいよ。ついてきな。僕はしばらく美食関係の仕事をしてるから」
「なんと! 美食伯の爵位を得てなお、仕事を!? 自らの足で!? 部下を持つこともなく!?」
「部下を持ってもいいけど、美食への解像度が僕並に高い人がいないの!」
「ははあ、確かに! 全く確かに!」
ええい、なんと賑やかなサテュロスだ。
既に僕の言葉を真剣な顔でメモしているし。
「ご主人うたになるの!? すごーい!」
まあコゲタが喜んでくれているならいいか。
こうして僕の、取材される日々が始まるのだった。




