第156話 蕎麦ってこんな見た目だったっけ
記憶が……記憶が曖昧だ。
無理もない。
蕎麦と別れてから長い月日が経っているのだ。
そもそも、自生している蕎麦の姿のイメージなんかあろうはずもない。
「蕎麦……こんな見た目だったっけ……?」
真っ白い小さい花がたくさん咲いている。
崖にほど近い当たり、一面にあるのはすべて蕎麦のはずだ。
どうやら咲く時期にグラデーションがあるらしく、既に実をつけてるのがちょこちょこいた。
「よしコゲタ、実をとるぞ。このちっちゃいのな」
「はーい!」
二人でせっせと蕎麦の実を回収する。
葉っぱには虫食いの後があったが、虫の姿がない。
もしかすると、ヴォーパルバニーにでも食べられたのかも知れない。
蕎麦はたっぷりと存在しており、困ることはなかった。
森の奥の職人たちもまた、多少はアーランの美食の恵みを享受しており、わざわざそのままでは味の良くない実など採る必要がなくなったのだろう。
ここは他の動物たちのちょっとしたレストランのようにもなっていた。
で、それでも有り余るくらいの蕎麦の実が生っている。
これはありがたい……。
僕とコゲタで、テントだった布にどっさり蕎麦の実を詰めた。
二人でホクホクしながら持ち帰る。
まずは森の奥の詰め所で、蕎麦を作らせてもらおう。
「なんだなんだナザル! やたらと蕎麦を取ってきたじゃないか! そんなものどうるんだ? 今更俺たちは不味い粥や蕎麦のパンなんか食べるつもりはないぜ」
そう言われて、僕はピンとくる。
この世界で良く食べていた、あのオートミールみたいな不味いやつ!
あれ、もしかして蕎麦だったんじゃないか……!?
ということは、本当に近くに蕎麦はあったのだ。
なんということだ。
料理に全然興味がなかったから、食べ物の中身にも無頓着だった。
あの頃の僕をぶっ叩いてやりたい。
お陰で今、いろいろなものを一から探す必要があるようになっているのだ。
いや、これはこれで楽しいな……。
「ご主人のかおがどんどんかわる!」
「何か物思いにふけってるんだろう。だが、聞いたぞナザル。お前さん、アーランじゃ美食の伝道師とか美食の賢者とか言われ始めてるそうじゃないか」
「なにっ!! そんなこと言われてたのか!!」
初耳だぞ。
「いろいろな美味いものが、お前さんから発信されて、それが美食の聖地と呼ばれる店からアーランに広まってだな」
美食の聖地!?
どこだその店!?
僕はそんなものを認めた覚えはないぞ!?
いやいやいや。
美食が広まり、アーランのあちこちで美味いものが食えるようになるのは素晴らしいことだ。
美食の聖地、おおいに結構じゃないか……。
「まあいいや。ちょっと料理させてくれ」
「もちろんいいぜ。しかしまあ、今更蕎麦を使って何をやろうとしてるんだか……。案外、食べ慣れた蕎麦が全く違うものになったりしてな」
わはは、と笑いながら職人たちは離れていった。
仕事に戻るのだろう。
さて、僕は蕎麦の殻を剥くことにする。
こつこつ一個一個やってもいいのだが……。
この詰め所には、そば殻を剥くための石臼が存在するのだ!
なにせ、ちょっと前までは主食だったからね。
これを拝借して、ゴリゴリとやる。
そして専用の振るいを使って剥けたものとそうでないものを選別し……。
剥けてないものをまた石臼でゴリゴリやる。
これを繰り返したら、あらかた蕎麦の実が剥けた。
次に、大型の専用すり鉢で製粉する。
ガリガリガリガリやっていると、まあまあ粉になってきた。
いやあ、体力を使う……。
「いいによいしてきた」
コゲタが近くまで来て、鼻をふんふんさせている。
「そうかそうか。美味しいお蕎麦を食べさせてあげるからなー」
「おそばおいしい? やったー!」
喜んでくれるコゲタのためにも頑張るぞ!
しばらくゴリゴリやって、これで十分だろという量の粉になった。
さて……。
取り出したりますは、粉。
これを蕎麦と混ぜて、水を入れて練る。
二八そばというやつだ。
僕は素人なので、ほどよくつなぎの粉が入っている方がいい。
練る練る、練り込む。
押し込んで、台にバンバン叩きつける。
そして蕎麦を伸ばし……。
切り分けていく。
うーん、乱切り蕎麦になってきたぞ……!!
だが、これでいいんだ、これで。
食感が違って悪くない味になるに違いない。
湯を沸かして蕎麦を投入した。
「いいによい~」
「コゲタはお蕎麦の匂い好きかー」
「すきー!」
コボルドは犬と同じ雑食なので、人間と同じものが食べられるもんな。
そして僕と一緒にいたことで、彼の好みは和食っぽくなっているのかも知れない。
さて、蕎麦を取り出して食べてみて、いい感じだったので引き上げた。
これを盛り付け、魚醤を蕎麦湯で薄めて仮のつゆとし……。
「完成だ!」
異世界パルメディア初の、かけ蕎麦がここに誕生した!
薬味ネギが無いのが残念だな……。
だがまあいい。
早速食べてみるとしよう。
茹で上がった蕎麦の香りに釣られて、職人たちも集まってきている。
彼らは器の中にある黒いつゆと、そこに沈んだ細長い蕎麦を見て目を丸くしているのだった。
まあ見ているのだ。
僕が実食して美味さを伝えてやるから。
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