第139話 お酒と発酵食品の難しい関係
「難しいな」
職人らしき人が出てきて、開口一番そう言った。
「難しいですか」
「ああ。酒は繊細なんだ。うちのエールはよそと比べるとかなりこだわった作りをしている。麦を発酵させて酒にしているが、これはまず、技巧神イサルデのいたずらと呼ばれる変化が起きている。こいつには種類があってな」
つまり、美味しくなる変化と不味くなる変化があると。
ちょっとした温度や湿度の変化、そして発酵蔵にいつもいないような奴が入ってきたり、変わったものを食べたりすると……。
「望ましくない変化が起きて、エールがみんな巷に出回っているクズエールみたいになる」
「ははあ、なるほど……」
「うちは長い研究の末、エールを安定した品質で作れるようにしたんだ。そこで豆を発酵? とかいう妙なことをさせてくれと言ってもな」
発酵という言葉が無いが、イサルデのいたずらという概念で認識はされているらしい。
確かに僕も生前聞いたことがあるな。
酒を醸す菌と、大豆を醸す菌は別だったような……。
くそっ、生前ちゃんと勉強しておくんだった。
曖昧で何も分からん。
「じゃあ駄目ってことですかね……? なんとかなりませんか」
「いや、俺としては豆にイサルデのいたずらが起こるのはとても興味があるんだ。いいか? 酒になるのは穀物か果実と言ったものばかりだった。肉はイサルデのいたずらが起こらず腐る。他の野菜もまたそうだ。だが、あんたは豆を発酵とやら言う現象で、別の美味いものに変えるのだと言う。そんな発想は普通出てこない」
職人氏が目をギラリと光らせた。
「あんた、何者だ……?」
「今は無くなってしまった僕の村が、豆を発酵させた調味料を作ってたんですよ。遺跡に呑まれてしまってて、生き残りは幼かった僕しかいない」
「なるほどな……。確かに、今まで知られていなかったのは閉鎖的な村の中でだけ存在していた技法だと考えれば辻褄が合う。そして世の中に出る前に、村はなくなってしまったか……。すまんな。辛いことを思い出させた」
いい人だなあ職人氏。
「いやいや、それで、できそう?」
「うむ……。何分、初めてのことばかりでな。おいあんた、その調味料について、覚えている限りの味を言ってくれ」
おお、やる気になってくれた!
僕は精一杯記憶を呼び起こして、醤油や味噌の味を思い出そうとする。
「ええと、しょっぱかった」
「……ってことは塩を使うんだな」
「二種類あって、黒くてしょっぱいのと、茶色くてペースト状のやつがあった」
「随分色味が違うな。黒は、イサルデのいたずらが進めばそう変色しそうだが、豆が液体になるとは思えん。おそらくこれを変化させて、その上澄み液だな。で、うわずみごと混ぜ込み、別の食材を加えたのがペーストの方だろう」
「さすが職人、凄いなあ……」
「酒造りは理詰めができねばやっていられん。俺は賢者の学院を出て、酒を作っているのだ」
知的エリートだった!!
僕と職人氏が二人で、ああでもないこうでもない、と談義をしている間。
コゲタは表で、受付さんの手伝いをしているのだ。
元気な「いらっしゃいませー!」という声が聞こえてくる。
おお、お客がなんか笑っているぞ。
よし、元気をチャージだ。
「とりあえずやってみよう。その大豆という豆は、これからアーランに流れてくるんだな? だが、こいつは……。一見するとそこまで個性の無い大きいだけの豆に見える。あんたが言うほどの力があるのか……?」
「よし、じゃあちょっと明日豆腐を作ってきてやる」
そういうことになったのだった。
職人氏に大豆の可能性を見せるため、まずは全く違う姿に変わる大豆を見てもらいたい。
全ては、僕が醤油と味噌を味わうため。
コゲタを連れて帰り、二人で楽しく豆腐を作る。
「ご主人、なにつくるの?」
「豆腐だぞー」
「とうふー?」
コゲタの毛が入らないように、彼には容器の取り扱いを担当してもらう。
まあ、まずは大豆を水に浸すので作業は翌日なんだが。
煮沸して作ったたっぷりの水に浸し、部屋に放置。
そして二人で大いに遊び、一緒に飯を食いに行った。
帰ってきて、爆睡する。
朝。
「ごしゅじーん! たいへん!」
「どうしたどうした」
コゲタの声で目覚める。
「まめ、おっきくなった! ふくらんでる!」
「ほほー。水でいい感じにふやけたな。じゃあ豆腐を作るぞ!」
レシピはフォーゼフのおばちゃんからもらったのだ。
必要な道具は昨日買ってきたから、コゲタとわいわい言いながら作る。
宿の台所を借りての作業で、途中で宿のおかみさんが物珍しそうに覗いてきた。
「ナザルったら何を作ってるんだい?」
「豆腐ですよ」
「トウフ……? なんだいそれは」
「豆から白いやわらかーいキューブが誕生するんです」
「なんだいそれは!? 説明を聞いたらますます分からなくなったよ!!」
そうでしょうそうでしょう。
実際に目の当たりにしないと、あれは信じられないものなあ。
僕は豆を潰して煮込み、濾し、温め、にがりを入れて豆腐にした。
そして余計な水分をじわりじわりと押し出して……。
「昼過ぎまで掛かってしまった。それでも完成したのは柔らかい豆腐だ。もめん豆腐って凄かったんだな……」
だが、できることはできた!
僕が初めて作る豆腐!
実食!!
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