はじまり
酷く澄み渡った一枚のキャンバスに、今宵も無謬の輝きが一つ。主役のようであって思わず視界の中心に納まりそうなその光も、実は他人の出す光を受けて輝くのだとは、誰もが知る当然の事実だ。
そんな夜も更け、人々が寝静まった静寂の中でぽちゃん、ぽちゃんと何かの滴る音が昔ながらの旧市街地にこだましている。
近く噴水の、その水のせせらぎでかき消されそうで、しかしその一定のリズムはなぜか聴こえる音に調和をもたらしている。
…… なぜだろうか?
一つの影が誰の目にも止まらずいずこへかと走って、それは夜も更けて誰もいないのだから当然であるのだが。しかしその後には、今なおぽちゃん、ぽちゃんと死していながら一定のリズムを奏でる、骸の亡霊一人。
死の後までも音を奏でるその姿は、まるでこの後にレクイエムを歌ってもらえないカトリック教徒のようだ。
この夜の最中、ずっと歌い続けるのだろうか。
歌ってくれる人がいないのであれば自分で歌おうと、その並々ならぬ執念。あるいは先ほどの影のせめてもの償いか。そのどちらでもないのだとしたら、彼にはもしかしたらその資格がないのやもしれない。
月影が照らす深紅の輝き、それに濡れた由緒ある彫刻、その頭に絶妙なバランスでうなだれる骸。
彫刻の頭を伝って流れ落ちる深紅が、長い年月のうちに凝り固まった汚れを浄化する。
そう、汚れを。
ぽちゃん、ぽちゃん。
そうか、彼は自分のためではなく、そのために歌っているらしい。水場へと流れ出た深紅
が、確かな汚れを顕現させる。
また澄んだ水へと変わるまで、それとも汚れの根源が一掃されるまで、おそらく、あと少々。
流れる水を伝って、彼が何処かへと還るまでも、あと少々。認められるかは、いざ知らず。
遥かな月光が照らす旧市街地の何処か。滴り落ちる深紅の、流れる出る水との調和。
そんな静寂の中でこだます歌を空の無謬は、他から借りた煌々と輝くその光の下、今日も一層明瞭に照らしていた。