セミや木の夢
狩りが上手だからハヤブサという鳥は。
いつも孤独でいるらしい。はるか遠く、青い空の上の上。そこに、点のように小さく飛んでいる。だけどあのハヤブサが、本当に僕らに襲い掛かって来るかどうかはわからない。本当は、友達が欲しいだけなのかもしれない。
ハヤブサは、つがいになると、ずっと死ぬまで一緒にいるという。
ガケの上に巣を作って、一緒に子供を育てるという。
セミは一週間で死ぬけれど、それまでは何年も何年も、セミによっては何十年も、地面の中にいるという。何をしているのか、誰にもわからない。じっとしているという事しかわからない。だけど、じっとして、幼虫のセミが何を思っているのかは、誰も知らない。
僕たちは知った気になっているけど、本当に知っているのだろうか。
鳥のように何キロ先を見通せるわけでもない。風がどこからどこに吹くかも見えない。ハヤブサにはできるけど、僕にはできない。
同じものを見ているのだろうか。
僕たちは何年も、セミのようにじっとしていられない。だけど、そういうものだと理科で習ったら、知ったつもりになっている。
だけど僕たちは、セミについて何を知っているのだろうか。
木は長生きだ。
江戸時代、もっと前、大昔、そのまた昔から生きている木がいる。何百年、何前年と言われても、僕にはピンとこない。そんな長い時間、生きたことがない。
だけど教科書に書いてあれば、そういうものだと、知った気になる。
だけど僕たちは、本当に知っているのだろうか。
魚や虫に心が無いなんて。
木に感情が無いなんて。
どうして決めつけられるのだろう。僕たちはこんなに、小さな目でしか世界を見られないというのに。僕の小さな耳と皮膚の感じることが全てなんて、どうして思えるのだろう。
僕たちにどんなに嫌なことがあっても、アリは今日もエサを運んでいる。
行列を作って僕の家の台所から、昨夜こぼれた砂糖を朝方見に来れば、運んでいる。それを母さんが嫌がって、殺虫剤をまくけれど、アリはまた次の日に、丸っこくなった仲間の死体を乗り越えてやってくる。
だから僕にはアリの気持ちはわからない。
母さんの気持ちはわかるけど。
だけどもしかしたらアリの方は、僕のことをわかっているのかもしれない。
宿題の提出を忘れて大ピンチなのを、横目で笑いながら、今日も列を作っているのかもしれない。
勉強しなさいと先生が言う。
だけど僕が勉強をして、大学を出て、お金をたくさん稼げるようになっても、ゴキブリは出続ける。ゴキブリは僕らの大先輩らしいけど、僕らは関係なく叩き続ける。でもゴキブリは、出続ける。人間なんてゴキブリにとっては、今だけの通り雨みたいなものなのかもしれない。
僕にとっては勉強よりも、昨日のあの子の方が大事なんだ。
新しい赤い靴を、泥で汚してしまって、泣いてしまった。泣いたら面倒だから、皆クモの子のように散って帰ってしまった。僕はそのことを、これから謝りに行こうと思う。
塾よりも、学校の勉強よりも、大事だと思う。
だけど大人は「そんなことより」と言う。
でもそれは、「そんなこと」なのだろうか。
どうしてカラスもインコも、人間の真似をしようとするのだろうか。そのことは、全然どうでも良いことでは無いと思うのに、大人たちは、目の前で『おはよう』とオウムに挨拶されても、笑っているばかり。本当にすごいと思うのに、「何歳児くらい頭が良い」なんて言い方をする。
だけど僕たちのうちで、鳥の言葉を理解して、彼らに鳥の言葉で挨拶ができる人はどれくらいいるのだろう。
先生にも、母さんにも、父さんにも「どうでもいいこと」。
だけど僕には、「どうでもよくないこと」がたくさんある。
寝てるくらいなら勉強しなさい。
寝てばっかりいないでと、母さんは言う。
でも寝ることは罪なのだろうか。
起きて動いている僕たちの方が、実はおかしいのではないだろうか。
赤い靴を拭いてやり、芝生の上で、一緒に寝転んで。
ぽかぽか陽だまりの中、さわさわ風の音の中、眠る心地よさは、罪なのだろうか。
横になって目を閉じると、少しわかるような気がする。
ハヤブサの孤独、セミや木の見る夢。
そして、彼女が嫌いだというナメクジやカタツムリのこと。
うとうとしている時には、僕は色々な生き物と、つながっているような気がする。
夢の中では、アリが僕を運ぶかもしれない。
インコに国語を習っているかもしれない。
友達がミミズかもしれない。案外、いいやつだ、なんて思っているかもしれない。
あぁ、木やセミやコケの夢の中に、僕が出ているなんてことが、ないものかなぁ。
そうしたら、すごく嬉しいのに。
僕もみんなの夢を見るから、皆も、遠慮しないで、僕を夢に登場させてほしい。
そうしたら、なんて楽しいことだろう。
温かいこの手の温もりだとか、そういうことはきっと、みんな同じように、良いものだって、感じてくれるはずだから。
カタツムリ、ナメクジと葉っぱの上で、おしゃべりがしてみたい。
今日の雨は温かいとか、冷たいとか、この葉の座り心地はどうとか、ちょっと気取って話し始めるかもしれない。
そんなことも、出来るんじゃないかと思う。
夢の中なら。
そのために神様が、夢をくれたんじゃないかと思う。
――だから、おやすみ。
夢の中で会いたいね。