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準備万端

おかしい。誰も何も話さないとしてもタイピングの音や書類をめくる音ぐらいあってもいいはずだ。


勇気を出して周囲を見渡してみると、なぜか全員が動きを止めていた。なんだ。どうした。俺は追い詰められておかしくなったのか。不自然に動きを止める上司の目の前で手を振ってみた。瞬きもせず、微動だにしない。


「あ、あの。」


声を掛けてみても反応はない。肩をゆすってみるがなんの反応もない。なんだ何がどうなっている。みんなで俺を揶揄っているのか。だとしたらさっきの話も冗談か?それならありがたいが。いや,そんな状況じゃないぞ。そうだ。他の部署はどうなっている?そう思い立って部屋を出る。結果どこに行っても同じ状況だった。休憩室ではテレビが一時停止したように同じ瞬間を映し続けていた。


もう認めるしかない。非現実的だが。


時間が止まっているんだ。


外にも出てみた。周りのオフィスも道路も歩道も公園も全ての生き物や物が動きを止めていた。


それから職場に戻り、会議室の椅子に座り、しばらく呆然としていた。


どれぐらい経ったのだろう、習慣的に腕時計を見るが、時間が止まっていることに気づく。当然1秒も進んでいなかった。


「時間が進んでいない?ということはあの仕事も今のうちにできるのか。」


なんでそんな思考になったかは分からない。それだけ普段から仕事に追い詰められて他のことを考えられなくなっていたのかもしれない。あるいは非現実的な状況を仕事という現実的なものをこなすことで、元に戻らないかとぼんやり考えたのかもしれない。


そこからパソコンを操作してみたが画面は動かなかった。紙の資料を綴じたファイルは開けたので、紙と鉛筆、資料を片っ端から引っ張って来た。


「市場の状況を考えるとなんとしても例年通りの予算が必要だ。となるとそのための根拠作りをするしかない。関係団体だって自分たちの生活が掛かっているんだ。大きな不満や瑕疵があれば、要望なりを上げてくるはず。となると例年通りの方が都合が良い部分も多いと考えられる。その辺りを根拠として数字で示ればなんとかなるんじゃないか。」


時間が止まって非現実的な世界にいることで、かえって余裕ができたのかもしれない。ここ最近にはないくらいに思考が冴える。そのまま資料作りに没頭して、体感では真夜中になったぐらい時間が経ったように思うが、まだ時計は止まったままだった。


大変だったのはパソコンも電卓も電子機器は何も使えないことだ。計算一つ取っても頭でやるしかない。筆算なんてどれぐらい振りだろう。それに資料もパソコンで作成できないので、紙にメモしたものを、自分で新しい紙に清書する。


必要なデータはインターネットから検索することができないため、他省庁も含め紙の資料を探し回った。時には図書館に行き関連書籍を探したり出版社にバックデータを探しに行ったりもした。


不思議なのは体感では一週間は経っているにもかかわらず、喉も乾かなければ、お腹も空かない。眠たくもならないがなんとなく気晴らしに数時間ずつ眠った。まあ睡眠時間も体感だが。


そうこうしているうちに納得の行く資料が出来上がった。


「よしっ。」と言って資料を片付ける。


その瞬間不思議なことが起こった。全ての資料が1人でに浮かび元の棚に戻って行ったのだ。そして使っていた紙からは鉛筆書きの文字が消え、紙束に戻って行った。


一週間掛けて作った資料がと呆然となる。そして自分の体も勝手に自分の席に戻って行く。着席したところで上司から声が掛かる。


「猿元君聞いてる?」少し苛立ちが混じったような声色だった。


「はっ、はいっ。」突然のことに驚きつつも時間が進み始めたのだと実感する。作った資料は消えてしまったが一週間つきっきりで作った資料だ。内容はほぼ覚えている。


「基本は例年通りで行こうと思っています。」


「財務省通せるの?」


「たしかに表に出てくる数字には効果が現れにくい事業ですが、関係団体からは改善要望もありません。なぜかと調べたところ主要関係団体のあまり表に出ないこう言った数字は軒並み上がっているんです。ですので、このまま事業継続することで、数年で事業効果として主要な数字にも反映してくることが予測されます。そうなれば所期の目的を達成したとして、事業の縮小或いは廃止も視野に入るかと。このため今事業スキームを見直すのではなく、数年後具体的には3年で事業効果の評価、4年目に事業の見直しを行う計画で要求しようと考えています。」


「おぉ。驚いたよ。ここまで猿元君が考えてくれていたなんて。いや、忙しい中でよくやってくれた。そこまで方向性が見えていれば、後は文字に起こして資料作成するだけだね。安心したよ。引き続き頼むね。」


「はい。ありがとうございます。」


こんなにスムーズな受け答えができたのは本当に久しぶりだった。


もう資料がなくなったことよりもこの案件にたしかな手応えを感じていた。

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