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結局あれからトニングの店には公爵家の関係者は現れなかった。
その後も何度かシルーズの散歩を装って通りがかったけれど、どの日も空振りに終っていた。
「手紙が届いてないってことは考えにくいし…やっぱりトニングとは関係なかったのかな?」
「そうね…お兄様達ならどんな伝をもっていてもおかしくはないと思ったけど…まぁ駄目なら別の手を考えればいいだけよ」
「そうだな」
再び動きがあったのは、行き詰まった現状に次はどうしようかとそんな会話をした翌日だった。
「失礼、バンカー家のご子息ですね?」
学園の帰り道、自宅に向かうカイルを呼び止めたのは騎士の青年だった。
「はい?」
騎士の制服を着ているとはいえ見知らぬ相手だ。本物かどうかは分からない。後ろめたいことがある以上、カイルは相手を注意深く観察する。
背が高く細身なのに筋肉のついた体は見た目以上に腕が立ちそう。笑っているのに隙は全くなく、カイルの進路を塞いでいる。丁度細い路地にさしかかったところで、路地の先には自宅の裏門が見えている。早く帰りたくて近道をしようとしたのが仇となったらしい。退路は前を塞がれている以上後ろしかないし、絶対に逃がすつもりはないという相手の強い意志を感じた。
「どちら様でしょうか?」
騎士の制服は襟に入った線の数で大体の位が分かるようになっている。目の前の青年の襟には白いラインが二本縦に入っていた。少なくとも隊長クラス以上の人間ということだ。
目下、マリーに関係ありそうな騎士隊の隊長と言えば彼女の三番目の兄だが、いくら腕が立ちそうに見えても目の前の美丈夫は素手で骨を砕くようなゴリラにはとても見えなかった。
ただ、その綺麗な顔立ちにやっぱり見覚えがあるような気もする。
そんな風に逡巡した一瞬の様子を目敏く見とめた相手は「この顔に見覚えがあるんだな?」と確信したように言った。
「いえ…俺に騎士の知り合いはいません」
「白々しい…貴様マリーのことを知っているだろう」
先程までの笑顔は急に消え失せ、此方を憎々しげに睨み付ける様にカイルは務めて平静を装う。
「え…知りませんけど…誰のことですか?」
「とぼけるなッ!!」
「うがっ…!?」
胸倉を掴まれて路地の壁に押し付けられる。強く背中を打ちつけたせいで肺に入っていた空気が押し出される感覚に声が出せなくなる。
「お前がトニングの店の周りをうろついていたことは知ってるんだ!!」
「っ…」
やはりトニングと公爵家は繋がっていたのだ。疑わしき相手に揺さぶりをかけ、店を執念深くずっと見張っていたのだろう。
こうしてあっさりと辿りつかれてしまったことに虚しくはなるが、こんな誰が通りかかるかもしれない路地で、しかもまだ相手が本当にマリーの身内なのか確信が持てないままその居場所を教えるわけにはいかなかった。
「マリーをどこへやった!!」
「くる…し…離、せ…!!」
「言え!!」
押さえつけられたまま恫喝されても喋れるわけがない。細そうに見えるのにその腕はカイルがどんなにもがいてもびくともしなかった。
「く…そ…」
少しは此方の話を聞けと怒鳴りたいが苦しくて声が出ない。その目は怒りとマリーに対する心配が見て取れた。少なくとも名乗って身分を証明してくれたら此方も話が出来るのにと、意識が遠のきかけたカイルを救ったのは、此方に向かってかけてくる白い影だった。
「ばうっ!!」
「ぐあッ!?」
カイルを押さえつける騎士の横腹に思い切りタックルをかましたシルーズは、よろけた相手が体制を立て直す前に再び飛びついて顔を舐めた。
「くッ…やめろ!!離れろ!!」
「ばうっばうっ!!はっはっはっ!!ばうっ!!」
「ぐぉ…っ…!!おいっ…やめろと…!!」
「ばうばうっ!!」
顔をよだれでべちょべちょにされ地面に押し倒されてもがく青年の横で、カイルもげほげほと咳き込んで息を吸い込みながら壁に背を預けたままずるずると座り込んだ。
このまま逃げてもいいが、此方の身元を知られてしまっている以上は話さなければいけないだろうと思う。
「…シルーズ」
「ばぅ…」
カイルの声に残念そうに尻尾を下げたシルーズは大人しくカイルの前に来て座った。
「はぁッ…はぁ…こ、小ざかしい真似を…!」
「ちょっと落ち着いてよ…あんたが誰だか知らないけど、俺は誰だかもわからない相手に自分や友達のことを話すつもりなんてない」
シルーズから開放され、再びいきり立った相手に先回りしてぴしゃりと言う。
「友達だと…貴様マリーに馴れ馴れしく…」
「…そのマリーが誰だかわかんないけど、友達っていったのは言葉の綾。いきなり名乗りもせず首を締め上げてくるような奴に話なんてできないし…そもそもこんな誰に聞かれてもおかしくない場所で尋問するなんて…信用できるわけないだろ」
話しているうちにカイルも腹が立ってきて敬語を忘れて反論する。
「俺はマリーの兄だ!!」
「だから、証拠がないだろって言ってんだ」
いくらマリーが心配だからと言ってこれは杜撰すぎる。マリーに呪いをかけた誰かだって恐らく公爵家の動向を張っている筈だ。こんな人目につきそうな場所で大声で問い詰めたりしたらマリーの居場所を教えているようなものだし、もし本当にカイルが誘拐犯だったとしてらマリーの身が危険になるだけだ。これでは苦労して姿を隠していた意味がなくなってしまう。
はっきりとした言葉を避けて、それでもそう聞えるように言ったカイルに相手は此方を睨みつけることを止めないまま口を噤んだ。
「貴様に何が分かる…あの子が居なくなって俺達家族がどれだけ…」
「知るかよ。身元不肖の奴に話す義務はないね」
漸く息の整ったカイルはシルーズを連れて立ち上がる。
「話をさせたいなら召喚状でも持って来るんだな」
憔悴した様子や顔立ちからも目の前に居る相手がマリーの兄であることはほぼ間違いないだろうと思う。
ちゃんと機密の守れる場所なら話す、と言外に込めた意味に気付いてくれたかどうかまでは分からなかったが、同じように立ち上がった相手は立ち去るカイルを追って来る事はしなかった。
そのままのろのろと裏門から自邸に入り、庭にシルーズを放してから自室に戻ろうとして、自分の服がクシャクシャなのが目に付いた。背中は見えないが壁に押し付けられたからきっとそちらも汚れているだろう。
「あー…」
マリーに会う前に着替えようと思ったが、着替えはマリーのいる自室だ。
彼女の兄らしき人間に会ったことを話さなければいけないが、この恰好だと暴行を受けたと勘違いされそうな有様だった。
(シルーズとじゃれてたってことにすればいいか…)
扉の前で少し迷って、そう言い訳を考えてから部屋に入ったカイルの目に飛び込んだのは、ドールハウスの置いてある机の淵からぶら下がっているマリーの姿だった。
「おわあああああッ!?」
とんでもない光景に叫んだカイルは部屋の中に走りこんでマリーを掌に掬い上げた。
「っ…カイル?」
「ばか!!何でこんなことになってんだ!?」
怒鳴ったカイルにびくりと肩を竦ませたマリーに我に返るも、危険なことをした相手を黙って許す気にはなれなかった。
「そんな体で下に落ちたらどうなるかくらいわかってんだろ?死ぬかもしれないんだぞっ…万が一怪我で済んだとしても今の状態じゃ医者に見せることも出来ないんだ!」
「カイル…」
「危ないことするなって言ったのに…何で…!」
机に降ろしたマリーの横で握った手が震える。前に机からシルーズの背に飛び降りたと聞かされたときも生きた心地がしなかったが、実際目にしてしまうと余計に駄目だった。
「………」
俯いてしまったマリーに、カイルの中で段々怒鳴ってしまったことの罪悪感が募っていく。
言い過ぎたかとカイルが口を開こうとした時、マリーはその顔をすくっと上げた。
「カイルの馬鹿」
「は…?」
泣かせたかと心配していた予想を大きく裏切る言葉と強い目で見上げる表情に、カイルはぽかんと口を開ける。
「馬鹿はカイルよ!!お兄様にあんなに簡単に負けちゃって!!」
「っ…見えてたのか?」
「なす術もなく貴方が首を絞められてるのを見て私がじっとしていられると思うの!?」
マリーの顔は真剣でカイルは反論も忘れて息を飲む。
「カイルがあのままじゃお兄様に殺されちゃうって思って…!!」
小さな拳でカイルの手をぽかぽかと殴りつけながらマリーにカイルは頭が冷えていく思いだった。
カイルの部屋は二階だ。この部屋から路地の方を見れば確かに首を絞められているように見えるかもしれない。
「やめてって…叫んでも、窓を叩いても声が届かなくてっ」
「マリー…」
「シルーズにお願いしてカイルを助けてって…!」
「………」
タイミングよくシルーズが飛び込んできたのはマリーの指示だったらしいとこも今知った。
「………ごめん」
恐かっただろう。自分が巻き込んだせいでカイルが死ぬかもしれないと思ったことも。
実際は違ったとしても大好きな兄が手をかける瞬間を目撃しかけたことも。
自分にはそれを止める手立てがなかったことも。
カイルが戻らないまま小さな体で一人残されてしまうかもしれない不安も。
「私に危ないことするなって言うなら、カイルも約束して!!」
「うん…する…するから…」
「絶対よ、約束」
マリーがカイルを心配するのは彼女が優しいからで。交換条件の下で結んだ庇護者であるから。
それ以上はないのだと、勘違いをするなと言い聞かせて。いつの間にか育ってしまった想いに知らん振りまでしていたというのに。
カイルのために感情を露にするマリーが純粋に愛しくて。
小さな手で小指を掴んで約束を強請る純粋さに、自分の業の深さを知る思いだった。
「準備はいい?」
「えぇ」
ドールハウスの前に立つマリーに声をかけると凛とした声で返事が返ってきた。
ぴんと伸ばした背筋でしゃんと立つ姿は相変わらず美しい。
「綺麗だな」
「っ…」
「姿勢が」
「………ありがとう!!」
言葉とは裏腹にぷりぷりと怒りながら返された言葉に苦笑する。
今のは流石にわざとだよ。
「本当にデリカシーがない」とぶつぶつ言いながら、つんと逸らされたその綺麗な横顔を見るのはきっと今日で最後になる。
マリーの兄突撃事件から三日。
不毛な片想いを自覚してから三日。
カイルの元には要望通りの騎士団からの召喚状が届いた。
前触れもなく届いた召喚状に家族は仰天し、どういうことだと囲まれて問いただされたが、カイルが頑として「やましいことはしてない。全部終ったら話す」とそれしか言わなかったから、今は諦めて静観しているようだった。
重苦しい空気の拭えない両親に幼いヒルダも何かを感じ取ったのか、部屋で大人しくしており家の中はいつもよりも静かだ。
やましいことは何もないが、そんな家の様子に悪いことをしたなとは思う。
それでもちゃんと最後までマリーとした約束を果たしたかった。
このお姫様を元の世界に、家族の元へ、帰してあげたかった。
たとえただの交換条件の下の約束だったとしても。
こんな風に話すことができなくなっても。
もう二度と会えなくなっても。
「それじゃあ行こうか」
「えぇ…お願い」
「ん」
手を伸ばしたマリーをそっとハンカチで包んで胸のポケットにそっとしまい込む。
「苦しくない?」
「平気よ、慣れてきたわ」
「こんなのに慣れてきたなんて言ったらお兄さん達卒倒するんじゃないか?」
「そうかもしれないわ。けどこれを機に少し妹離れしてほしいわ。これじゃいつまで経っても婚約者もできないわ…」
「それだけお兄さん達はマリーのことが可愛くて大事なんだろ。しょうがないよ」
「そういうものかしら…」
何でもないことを話しながらいつもよりゆっくり歩く。
足元にはシルーズがぴたりと付いて歩いている。端から見れば犬の散歩をしているようにしか見えないだろう。
「過保護な兄が三人もいるのを仕方ないと思ってくれて」
「うん」
「公爵家の娘である私に臆せず危ないことをしたら叱ってくれて」
「うん」
「困ってる人間を放っておけないお人好しで」
「うん」
「そんな人が、本当にいるかしら?」
「うん…いるよ、マリーに釣り合う王子様がきっと」
本心だった。
どれだけ焦がれたとして、黄金虫じゃお姫様の相手にはなれない。
だから、どうか、幸せになってほしい。
最後までこの想いに気付かないで。小さくなってカイルと過ごした日々はマリーにとっては不幸な日々だったんだと。
忘れて、どうか元の世界で幸せに。
「本当にそう思うの?」
「マリーは美人だし…あんたが微笑めば大抵の男なんかイチコロだと思うけど」
「カイルも本当にそう思うの?」
「思うよ」
「え…」
「だから見返りに店の広告塔を頼んだんだ。期待してる、客寄せお姫様」
「…っ…もうまた…!!わかったわよ!!期待してなさい!!」
「嫌という程宣伝してあげるわ!!」と怒ってポケットの中に頭を引っ込めてしまったマリーにくつくつと笑い声を洩らす。
ゆっくり歩いてきたせいで気付けば指定の時間が迫ってきていた。
「やべ…ちょっと早歩きするからなマリー」
「わかったわ」
小さな返事が聞えたのを確認して、ポケットの上から揺れないよう掌で少し押さえて歩き出したが、数歩もしないうちに目の前を見知らぬ相手に立ち塞がれる。
「誰?」
「………」
警戒して声をかけると同時に、後頭部にがつんと衝撃を受けて目の前に火花が飛んだように視界が明滅する。
「っ……ぁ…」
相手は一人ではなかったらしい。不意をつくように後ろから殴られ意識が遠のく。街中だからと油断した。白昼に突然起こった凶行に元より人通りが多くなかったのも災いして、周囲の悲鳴とともにあっという間に誰も居なくなる。
胸を守るようにぐったりと腹を丸めて地面に伏したカイルに、前に立ち塞がっていた男が屈みこんで口元に布を押し当ててくる。
「…っ…」
妙な臭いのするそれに視界が回る。閉じていく視界と朦朧とする意識の中で「早くしろ」という声が聞えた。カイルが意識を保っていられたのは引き摺られた先に異国の馬車を見つけた時までだった。