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マリーの無事を記した手紙をなんとか届けて数日。


事件は起こった。




「カイル、ちょっといらっしゃい」


家に帰るなり険しい顔をした母親に呼び止められて、付いてくるよう言われる。その母親の後ろでは両手で自分のスカートの裾を握りながら此方におろおろとした表情を向ける妹の姿があった。

何かしただろうかと考えながら母親の後をついていったカイルは、その後母の質問で妹の表情の理由を悟った。


「あなた…お人形遊びをしているの?」

「は?……あ」


一瞬何を言われたのか理解が出来ずに惚けてしまったが、すぐにその理由に思い当たる。


「まさか部屋に入ったのか!?」


マリーが来てからは毎日部屋に鍵をかけて出て行くようにしていたのだが、まさか今日に限ってかけ忘れたのだろうかとざっと顔が青くなる。


「ごめんなさい!!お兄さまっ!!私が、私が悪いの!!シルーズが見つからなくてお兄様の部屋に入ったら、そしたら…」


今まで母の後ろでおろおろとしているだけだった妹が泣きそうに謝る。


「ヒルダ…」

「ごめんなさい!!」

「いや…」


泣き出しそうな妹の頭を撫でて慰めるも、内心ではマリーの身が心配だった。「母さんも誤解だって」と平静を取り繕って言う。


「あれはヒルダの誕生日にどうかと思って試しに購入したんだ」

「誕生日の贈り物なら貴方が箱を開いて使う必要はないでしょう?」

「トニーにドールハウスの話をしたら自分もミケーレにプレゼントしたいから、どんなものか聞かれたから、実物を見せた方が早いかと思って」

「まぁ…トニーが…」


グライド伯爵家の夫人は母ととても仲が良い。その息子であるカイルとトニーも同じく。ミケーレというのはトニーの妹だ。プレゼントの話云々は全くのでっちあげだが、トニーならば母に聞かれたとしてもきっと口裏をあわせてくれるだろう。


「そうだったの…ごめんなさい早合点して…」

「お兄様怒ってない?」

「あぁ、たださっき言ったようにあのドールハウスはトニーに見せてからお前に渡そうと思ってたから…それが嫌なら新しいものを買うけど」

「ううん、私あのおうちがいい」

「そうか…じゃあもう少しお預けだ。約束できる?」

「うんっ」


漸く笑顔になった妹の頭を撫でていると、まだ複雑そうな表情の晴れない母親がじっとカイルを見つめる。


「…カイル本当に…あなた四日くらい前に王城に行かなかった?」

「いや、行ってないけど…何かあったの?」


確信を突いた質問にそ知らぬ顔をして答える。母の疑うような表情でその情報源が妹だけではなかったことを知る。だがこんな言い方をするという事は確信はないのだろうとカイルは思った。だから白を切る。あんなこと死んでも知られるわけにはいかない。それよりもマリーだ。


早く、早く部屋に戻らなければと気ばかりが焦る。


「……そう、引き止めて悪かったわ」

「じゃあ俺は部屋に戻るよ」


平静を装って部屋を出る。本当はすぐにでも走り出したかったが足音が聞こえてしまうと必死に逸る気持ちを抑える。


(もう少し………あの角を曲がったら…)


「っ」


母親達のいる部屋から十分遠ざかったことを確認して、角を曲がった瞬間足を踏み切って走り出す。体当たりするように自室のドアを勢い良く開け、肩で息をしながら後ろ手で扉に鍵をかけ部屋を見渡す。


「マリー…?」


ドールハウスに近付いて中を覗くもそこにマリーの姿はない。


「マリー、マリーどこに…っ」


小声でマリーの名前を呼びながら部屋を行ったりきたりして、机の上の物を掻き分けたり、本棚の本を落としたり、布団を捲ったりしているカイルの耳に「くぅ」とシルーズの鼻の音が聞えた。


「シルーズ!」


カーテンの陰に隠れるようにして蹲っていたシルーズは、その恰好のまま嬉しそうに尻尾を振った。


「まさか…」


最悪の想像にカイルはシルーズの口に飛びつく。


「シルーズ!!出せ!!吐き出せ!!」

「うぐるるる」


顎を掴んで開かせようとするもシルーズは遊びと思っているのか喉を鳴らすばかりでびくともしない。


「シルーズ!!頼む、それは食べちゃ駄目なんだ!!吐き出せ!!早くしないとマリーがっ…マリーが!!」

「私がどうかしたの?」

「っ!!?」


声の出所を探して彷徨った視線がシルーズの腹に止まる。


「ま、マリー…?」

「大丈夫、無事よ」


白くてふわふわした腹毛の間からひょこりと顔を出したマリーは「食べられてないわ」と可笑しそうに言った。


「っ……」


その笑顔を見た途端、どっと体から力が抜けてシルーズに寄りかかってその首元に顔を埋めた。


(良かった……ほんと良かった……)


カイルは目の奥がツンとしそうになりながら大きな溜め息を吐いた。


「ふふっ…ふふふ…っ…そんなに心配してくれたの?」


笑いを噛み殺せていないままマリーがカイルに聞いてくる。


手も服もシルーズの涎でびしょびしょだし、汗だくで髪を振り乱して部屋中をひっくり返して、しかも勝手にマリーが食べられたかもしれないと思ってパニックになるなんて。


「あー…」


格好悪い。最悪。格好悪い。穴掘って埋まりたい。


「あはははっ…ふふ…ふっ…」

「……誰のせいだと思ってんだ」

「ふふふっ…だって、部屋に鍵をかけ忘れるから…」

「…俺のせいでした申し訳ありません」


マリーの言うことは尤もでカイルは一言も反論が出来ない。

無事だったから良かったものの、本気でマリーを失うところだったのかもしれないと思うと肝が冷えた。賠償とかそんなんじゃなくて、あの時カイルの頭にあったのはただマリーを失う恐怖だった。


「シルーズっておりこうさんなのね。ちゃんと私を隠してくれていたのよ」

「ばう!」

「………」


我が家の飼い犬のくせに、小さなお姫様の騎士よろしくマリーを腹に囲ったまま誇らしげに鳴いたシルーズに半目を向ける。


「貴方の妹さんかしら?小さな女の子が部屋に来て…見つからないように隠れなきゃって、でもドールハウスの乗っているテーブルからは一人では降りられないし、どうしようかと困ってたらこの子がテーブルのすぐ下に来てくれたの」

「下にって…まさか飛び降りたのか!?」

「えぇ、少し恐かったけれど…」


シルーズは犬種としては大きい方だが、それでも今のマリーがテーブルから飛び降りるには距離がある。


「っ…怪我は…」

「…ない…けど…」

「っ…頼むから…危ないことしないでくれ…」

「緊急事態だったのよ…でも、そんなに心配してくれると思わなかったの…」


「笑ってごめんなさい」と苦笑したマリーに、カイルは前髪に片手を突っ込んで「いや…俺こそ鍵かけ忘れてごめん」とカイルも謝る。

しかし緊急事態だからといってテーブルから飛び降りたり、自分の身体よりも何倍も大きい他家の犬を手なずけたり、マリーと会ってからというものいくつ心臓があっても足りないと思う。


「あの兄さん達にしてマリーありだな」

「お兄様達と一緒にされるのは心外だわ」


「私淑女の中の淑女と呼ばれているのよ?」と頬を膨らますマリーにくつくつと噛み殺しきれなかった笑い声が零れる。

黙っていれば妖精か女神かと見まごうような姿なのに、屈託なく笑ったり拗ねたりするころころと変わる表情が子供っぽくて可愛いと思う。


「………」


可愛い、なんて。謝礼と引き換えに保護しているに過ぎないマリーに対して抱いていい感情じゃないのに。それなのに色んなマリーの表情を見るたびに胸が苦しくなる。


「カイル?」

「…何でもない」


言い訳している時点で結果なんて分かってたようなものだった。

いつか自分の世界に帰ってしまう彼女を引き止めてしまわないよう、カイルはその想いに気付かない振りをした。



















「彼女はまだ見つからないのか!!」


暗く湿気た空気の中に苛立ちの声が響く。


「どうぞ声をお控え下さい、ここは音が響きます」

「僕だってこんなところ来たくなかった!!お前が連れてきたんだろう!!」

「…上ではこのような話はできませんので」


怒鳴りつけても感情を返すことなく目の前に傅くフードの男は静かに返答した。


「あの日ご令嬢が庭に出たのは間違いありません。ならば術が発動したその時に傍に居た者が匿っていると考えるのが妥当かと」

「それなら彼女はまだ王宮内にいると?」

「いえ…夜会以降の王家と公爵家の動きを見ると…本当にご令嬢の行方を存じないようにしか見えないのです」

「………」

「ですからご令嬢を匿っているのはその時偶然その場にいた者…招待客で子爵家以下の爵位の低い者や城仕えの侍従で、かつ王家や公爵家からは遠い者ではないかと」

「くそ…どうして!!僕が彼女を助けて呪いを解くはずだったのに!!」


両手で頭を掻き毟って吼える。


一目見た時からその美しさに心を奪われた。


花弁を煮溶かしたような甘そうな桃色の髪に、純度の高い翠玉のような瞳も。凛とした立ち姿も、洗練された振る舞いも、まさしく妖精女王と言われるだけの気高さがあった。

その声音すら美しく、彼女を目の前にすると己の声を忘れてしまう。

妾腹の第三王子でしかない自分には王位なんて間違っても回ってこない。王宮でも疎まれもせず期待もされず、ただ飼い殺されていただけだったが、その時はじめて彼女と釣り合う身分に生まれたことを感謝した。

しかし父王にみっともなく願い出たにも関わらず、その婚姻が整うことはなかった。

ウェンザード王家と彼女の生家は彼女を国外に出すことを承諾しなかった。再度父王に訴えても、そこまでして婚姻によって友好を結ばなければならない関係ではないと一蹴され。挙句「諦めきれないのなら自分で何とかせよ。我が国には成立しなくても問題はない縁談だ」とまで言われた。

兄二人と比べて頭の出来も良くなく、大した特技もない。しかも彼女を目の前にすると緊張して話すことはおろか顔を見る事もできず、半ば強引に留学を決めたというのに日々遠目で彼女の姿を追うことしかできない自分が自力でどうにかできるわけがなかった。


どうすれば彼女は此方を見てくれる。どうすれば彼女は話しかけてくれる。その表情が変わるところが見たい。その顔が歪んでいたっていい。此方を見てくれさえいるのなら。


そんな時に知ったのが、自国の辺境に暮らす呪術を生業にする一族のことだった。

国家の統合に逆らって文明や多種族に排他的だったその地に災害が降りかかった。今まで交渉の手すら断ってきた一族が延命のため国に縋らざるを得なくなったのだ。


国家にとって反抗的だった優先度の低い一種族の奏上を任されたのは僥倖だった。

呪術なんて前時代なものを信用するに至ったのは、この目の前の男が自分の前で実際に使用したのを見たからだ。


「本当に彼女は幼い姿になっているんだろうな!!」

「はい、人を小さくする呪法は成功しております」


多々の呪法のある中で、選んだのは人間を小さくする呪い。幼くなった彼女を颯爽と助け好意を得て、彼女の家族にも恩を売って自国へ連れ帰る算段はあの夜に既に失敗している。


呪いで幼くなった筈の彼女はあの夜から忽然と姿を消してしまった。公爵家の使う控え室は決まっていて、いつもならば彼女はあの部屋で小さくなった自分の姿に惑っている筈だったのに。意気揚々とその部屋を訪ねた自分が見た室内はもぬけの殻だった。


「どのみち呪いには解呪が必要になります」


この呪いを解くためには愛する人の口付けが必要になる。この呪法を選んだ理由の一つがそれだった。


「呪いを解くためにローズマリー様も、庇護者も遠からず動かざるを得ないでしょう」

「ちっ…早くローズを見つけ出せ!!」


ヒステリックな怒鳴り声が城の地下に響いた。

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