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波のまにまに

作者: 弦景真朱

実話をもとにしたフィクションです。



 ーー九月、一人の人間が死んだ。私の祖父だ。


 私は、幼少期体が不自由だった。

 どうやっても上手く動けず、周りに遅れをとり、孤独だった。

 一人でコップも持てない。コップで水を飲もうとすれば、手首が上手く傾げられず零していた。

 医者によれば、私は関節が不自由で、リハビリが必要らしかった。

 関節のリハビリには水泳やスキー、ピアノが有効らしく、私の意思や好みに関係なくやらされた。


 祖父は、昔気質の人だが、できない私を怒らなかった。

 ただ黙って、見守ってくれていた。


 長年のリハビリが功を奏し、小学高学年になる頃には、関節が上手く使えるようになった。

 漁師だった祖父は、朝早くから磯船に乗る。

 昆布をとるのが祖父の役目、浮かんできた昆布を磯船に上げるのが私の役目だった。

 祖父のスピードについていけず、何回か昆布を流してしまったら、祖父が海の中で怒っていた。でも、口に咥えているせいで、何を言っているかわからないから無視した。


 朝早く起こされては、昆布を取りに行った。

 磯船に乗るときには抱えてくれた。


 ギターをやりたいと言えば、木の板にギターを書いて、弦を張ってくれた。

 キャラクターが好きだと言えば、養殖に使うガラスの浮きに絵を書いてくれた。

 おしゃぶり昆布が食べたいと言えば、ハサミで綺麗に切ってくれた。


 カミナリと呼ばれるほど、怖い船長で名の通った祖父は、私には優しかった。それはもう、七福神のように目尻が垂れた優しい目で私を見てくれていた。


 祖父が宝物と言って皆に見せて回っていたものは、私の皆勤賞の賞状だった。私は、小中高と皆勤賞だった。

 嬉しそうに、宝物だと言ってくれた。


 高校を卒業し、他県の会社へ就職することにしたときも、一言も否定しなかった。頑張ってこいと、背中を押してくれた。


 初めて恋人を連れて帰ったときには、少しだけ緊張したような、それでいて心底嬉しそうに微笑んでいた。

 恋人のことも本当の孫のように大切にしてくれた。


 恋人と結婚することになり、挨拶に行ったときには一番喜んでくれた。

 その日の祖父の日記には、「結婚お目出度う」と書かれていた。


 体調が悪くても、私の前では笑顔だった。

 堅物で、頑固な職人気質の人だったが、私の前では優しい祖父だった。


 今年の春、生まれて数ヶ月の息子を祖父に見せに帰ったら、本当に喜んで、抱っこをしてくれた。



 それからまもなく、ガンが見つかった。

 転移はまだしていなかったが、ガンが見つかった臓器は全摘出になり、老体には負担が大きかったと思う。


 それでも、私の息子の写真を病室に飾ったり、応援の動画を見せたりすると、元気を絞り出してリハビリや治療に専念してくれた。


 年の割にはかなり回復が早く、無事に退院できた。


 しかし、家に帰ってきてからというもの、食事ができなくなって、みるみる痩せていった。

 そして、ある日の朝。それは突然だった。


 朝起きた祖父は、半身が麻痺していた。

 脳梗塞だった。

 急いで病院に連れて行ったが、間に合わなかった。


 そのまま、帰らぬ人となった。


 私は、駆けつけることができなかった。

 それどころか、葬儀さえ参列しなかった。

 私は、祖父の死に顔をどうしても見たくなかったのだ。


 薄情だと言われてもいい。

 冷たいやつだと罵られてもいい。

 私の記憶の中の祖父の笑顔を、死に顔で上書きさせないでくれ。

 どうか、これから先の人生も、笑顔の祖父の記憶のままでいさせてくれ。


 涙は出なかった。

 祖父との思い出がありすぎて、実感がわかなかった。


 葬儀から数週間、骨壷に入った祖父に会った。

 もうすぐ一歳になる私の息子よりも小さい姿になっていた。

 写真は、私の結婚式のときに一緒に撮った写真だ。

 幸せそうな顔をしている写真だったから、遺影にしてもらった。


 優しかった祖父。

 大好きだった祖父。

 今でも、家に帰ればおかえりと言ってくれるのでは、と錯覚するほど、私の日常は変わらない。


 ただ、祖父だけがいない。


 どこを探しても、祖父は居ない。

 いつも座ってた縁石にも、

 昆布の乾燥場にも、

 漁港にも、

 寝室にも、

 お茶の間にも。


 どこにもいない。


 祖父は、幸せだっただろうか。

 小さな漁村で生まれ育って、生涯を過ごした祖父。

 多くの人たちから慕われていた祖父。

 祖母のことが大好きだった祖父。


 もうどこにもいない。


 会いたいと言えば、怒られてしまうだろうか。

 しっかりしろと、諭されるだろうか。


 もっと一緒に行きたい場所があった。

 もっと一緒にやりたいことがあった。

 もっと一緒に、笑っていたかった。


 途中まで立てた旅行計画を、作らなくては、と思ってから気づく。

 もう、一緒に行けないのだ。

 思い出話を聞いて、喜んでくれることもない。

 現実は残酷だ。

 私だけ進んでしまうのだ。


 私だけ、

 いや、じじ以外の刻が、進んでいくのだ。


 じじ、聞こえますか。

 私は、あなたの孫で良かった。

 親よりも一緒に過ごしたのが、じじでよかった。


 最後、苦しまずにいけましたか。

 あっちはどうですか。快適ですか。

 こちら、まださみしいです。


 でも弱音は吐けない。きっと寂しいのは私だけじゃない。


 まだしばらく立ち直れそうにないけど、不思議と心は軽くて、ぽっかりと穴が空いているようだ。

 風通しが良くて、少しだけ寒い。


 心の寒さは、どうやって防いだらいいのだろう。

 寒くても、何をしても、生きなければならないのだ。

 今生きているのは、私だから。


 じじ。

 これから必死に生きるから、どうか見守っていてほしい。


 今までありがとう。

 大好きなじじ。ありがとう。

 ありがとう。


お読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 朴訥とした語り口調に愛を感じますね。 [一言] 好きな作風です。
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