かなこ(@はにゃたろ)の場合
「あ…」
彼に気づいたのは本当に偶然だった。
電車が遅れなければ、その駅で降りなければ、そのホテルを取らなければ。
この道を通りかかるのが数分早ければ。
彼を見かけることはなかったかもしれない。
その日仕事の都合で急遽日帰りで東京に向かい要件も終了したため駅へ向かった私を待ち受けていたのは電車の運休だった。
「嘘でしょ…」
現在地からの移動時間、迂回ルート散々検索してみたものの最終の新幹線には間に合わないという結論に達した。
そもそも緊急事態宣言とやらで新幹線も減便されており、しかも最終はいつもの時間の一本前。
私の地元に帰るためにはその早い時間のものに乗らなければ間に合わなく、迂回ルートで向かったところで既にどうしようもない時間であった。
頭の中で計算して上司に連絡し、許可を取る。今日は泊まりの許可が出た。
ちょうど私が連絡したあたりでこの大規模な電車の運休と遅延がネットニュースに載ったところも幸いした。いつも通りのネチネチと嫌味ったらしい話しをしながらも心配を口にする上司に申し訳ございませんを繰り返しつつタブレットでホテルの空きを探す。
いっそ東京駅近辺と思ったがこの状況下でも大手予約サイトに出てくる宿泊費は規定の金額の2倍だったため、諦めて他で安いところを探す。
どうしても翌日の14時のミーティングに出なくてはならないから乗り換えを考えると中央線沿いか…。
なんとか規定の金額内で泊まれるところを見つけて予約を入れたものの、運休している電車はなかなか動きそうにない。
あきらめて別の駅に歩いて向かうことにした。
住所さえわかれば後はどこへだって地図アプリで行ける。
そもそも学生時代とそのあと数年は東京で暮らしていたのだから土地勘もないわけではない。
数年ぶりに別の路線の駅に向かって歩く自分に学生時代を思い出して口元を緩めた。
あの頃はお金がなくて数駅歩いたりしたものだった。
都落ちと言えばカッコ良すぎるが学校を卒業後自分のやりたかった仕事についたものの契約社員。しかも激務の上給料も激安、サービス残業当たり前とくれば身体や心を壊す要素が整っている。挙句の果てにパワハラ、セクハラ、モラハラと三拍子揃った上司の元に移動になり仕事を辞めて実家に帰った。
今はもうその仕事に戻れるとは思えないが、近いものと言ってはおかしいがネット配信を聴くことでなんとなくあの仕事に戻らなくてもいいかな、という気持ちになっている。
やっていた仕事がイベント関連で配信者のliveを担当したのが最後だったのだ。
最後の仕事で会った配信者はもう辞めてしまったらしいが、最近はお気に入りの配信者も出来て毎日同じ時間に開かれる“枠”で彼の配信を聴くのを楽しみにしている。
アイドルにキャーキャー言う気持ちは前職で色々あったため失せたが、それでも配信者にキャーキャー言うのはちょっと違うよね、と、本人としては一歩引いているつもりだ。
電車の運行再開を待とうと思わなかったのは、彼の配信が始まる19時までにはホテルに入って安定して配信を聴きたかったからだった。
早歩きで歩くかたわらスマホを覗きこんで方向を確認し顔を上げた時だった。
「あ…」
遠目で見てもわかる細身の長身。周りの人達より頭ひとつ高い。
たまたま、ちょうど彼の事を考えていた。
まっすぐこちらに向かって歩いて来るのは彼に違いない。こんな偶然あるだろうか。
以前配信でも着ていてSNSにもupされた自撮りで着ていた特徴あるブランドの服。
何より、彼らしいのは配信で見た養生テープに活動名を書いて貼った胸元。企画の時にウケ狙いで貼ったものを見たのだが、多分剥がし忘れてそのままなのだろう。ちょっとふわふわした特徴ある歩き方までイメージ通り。
“ほんとに⁉︎”
胸はドキドキするしマスクの中で息も荒くなっている。どうしよう、どうしよう。
すれ違う一瞬、目が合ったような気がした。
“うわぁ…”
息が止まる。
ほんの数秒。
すれ違って少しして慌てて振り返る。
彼はまだふわふわと歩いている。
“うわぁ…ほんとにほっそりしてて背が高いんだぁ…”
そして、思っていたよりも若そう。
“声、かけて見れば良かったかな”
一瞬は思ったが。
“配信者は一般人で芸能人とかじゃないからね”
いちおうギョーカイの端っこにいた自分としては仁義(?)通さなきゃね。と、ひとりごちて通り過ぎて行った彼の背中をしばらく眺めたあと。
“また、今日の配信でね!”
勝手に心の中で声を掛けて、またスマホを確認して駅に向かって歩き出した。
“今日もまたコメントでいっぱいツッコミ入れよ”
“お名前テープ貼りっぱなしだったのだけでも伝えれば良かったかなぁ”