方舟 【月夜譚No.53】
爽やかな風が戦ぐ。雑草の先が頬を掠めるが、くすぐったいとは感じなかった。胸に溜める様に息を吸い込んだ少年は、そっと瞼を押し上げた。
視界一杯に広がるのは、満天の星。ちかちか、きらきら。闇の中に輝く粒のような星々が、思いおもいにその身を主張する。手を伸ばせば、掌に収まってしまいそうなほど近くに見える。
太古の人は星空を見上げて星の間に線を引き、絵を思い描いたという。もしも彼等がこのカンバスの下にいたならば、どんな星座を描き出してくれたのだろう。
伸ばしていた腕を下ろした少年は上体を起こして、川を挟んだ向こう岸に佇む大きな影を見遣った。
少年はここで生まれ育った。だから、それが元あった場所を知らない。大人達に話を聞くことでしか、自分のルーツを知り得ない。話に聞くその場所に行ってみたいとも思う。だが、それは不可能なことだ。今行けば、この身がどうなるかは判らない。
現在となっては無用の長物と化したそれは、かつて数人の人間を乗せて飛んだ宇宙船――「ノアの方舟」と呼ばれるものだ。