盲目
自販機で飲み物を買って戻って来ると、ベッドで寝ていた葵が目を覚ましていた。
「うわ⁉︎ 葵! 目が覚めたの⁉︎」
「涼、さん? どうしたの?そんなに慌てて。」
「いいから!ナースコール‼︎」
ナースコールで呼んだ看護師と後から駆けつけてきた医師の話をまだ目覚めたばかりの葵の代わりに聞く、もうほぼ心配いらないとのこと。後日もう一度検査をして、そこで大丈夫なら退院できるそうだ。
目覚めた葵は初めは戸惑っていたけど、すぐにいつも通りに戻っていた。完全に回復したわけでもないだろうが、休んだことで、倒れる前より顔色は良くなっていた。
私は葵の様子を見て今、話をすることに決めた。
学校に戻る前に葵には汀への気持ちを一度自覚してもらう必要がある。
あの日の事を聞くと少し話し難そうにする葵だったが、私の涙を見てからポツポツと話し始めた。
私は知っていることも知らないように葵の話を聞き、最後の質問をする。
「それで、委員長とはどうなったの?」
「最終日までは頑張ったんだけど、結局最後に減点があってダメだったよ。屋上でそれを言われて、僕は……」
「付き合えないことが嫌で、逃げ出しちゃったんだ。それで階段で倒れるって、すごいカッコ悪いね。」
「本当に?」
「…え?」
「本当に、減点されて付き合えないのが嫌で逃げ出したの?」
「…そうだよ。だってそう思わなかったら逃げようとしないよ。」
「葵、私には隠さなくていいよ。あんたは変なとこ気にするから、無理に溜め込まないで、本当は…」
「本当は、自分が嫌で逃げたんじゃないの?」
「……。」
「葵、屋上で委員長に、もうダメなことを言われたときどう思った?」
そこまで聞かれて葵はようやく観念したように本当の気持ちを話し始めてくれた。
「僕から付き合ってくださいってお願いしておいて、最悪だよね。認めるよ。僕はそう思ってしまった自分に気付いて逃げ出したんだ。」
認めたくない本当の自分の気持ちと向き合う。それはすごいことだと思う。葵はしっかりと自分と向き合える素敵な人間だ。だから自分を恥じている葵に気にしないように伝える。私はただ、汀のことを好きじゃなくなっていると認めて欲しかっただけだ。
「何回でも言うけど、そんな気にすることじゃないって。」
「え⁉︎」
「だって、その為のお試し期間でしょ。お互いの相性を知るためのさ。」
「それは、確かに織江さんはそう言ってたけど、それでも僕から言い出したことなのに…」
「その気持ちを抱えたまま付き合い続ける方がお互いに不幸だよ。」
「ッ…」
「…そう、だね。ありがとう、涼さん。この気持ち本当に認められそうな気がするよ。」
「それはよかった。今度からは倒れる前に早めに頼るように!」
「あはは、善処します。」
これで葵は汀に何を言われても付き合い続けようとは思わないだろう。
葵から汀にお願いするではなく、汀から葵にお願いする。この構図がこれで作れる。
そう内心で満足していた私に葵が不意に問いかけてきた。
「涼さん、聞いてもいい?」
「ん?何?」
「涼さんはさ、何で昔からこんなに優しくしてくれるの?」
「それは…」
「葵は昔から手がかかる弟みたいで、私的には目が離せないわけ。」
「えぇええ、手がかかるなんて酷い!」
「疲労で倒れて心配かけて言えること?」
「う、すみません。」
本当のこと、
あなたに幸せになって欲しいからなんて、押しつけがましいこと言えるわけがなかった。
これは私が勝手にしていること。葵は何も知らなくていいことだ。
葵の準備は出来た。
次は汀。
数日して葵は午後から学校に登校してきた。
それを見た汀の反応は誰が見てもわかるくらいに嬉しそうだった。
嬉しそうに葵を連れ出して、真っ白な顔をして授業に戻ってきた汀から電話がかかってきたのは放課後。
葵を呼び出した先で何があったかは、想像するに容易い。
「涼!今どこ?」
「…今?もう帰ってる途中だけど?」
「この後いつものカフェに来て!私もすぐ行くから!」
「なんかあったの?」
「七瀬君が私と別れるって!せっかくチャンスを上げたのに!なんで!」
「…へぇ」
「きっと遠慮しているのかも!普通なら七瀬君が私の言うこと断るはずないからね。それくらい七瀬君は私のこと好きだから。」
「……」
「今日はもう帰っちゃったみたいで、連絡もつかなくてさ。なんとかすぐに話したいんだけど、」
「……」
「なんとか今日中にもう一回話をしたいから、涼も協力してよ…涼? 聞いてる?」
「…ねぇ、なんでそんなに必死なの?」
「え?」
「なんで汀は葵のために、そんなに必死になってんの?」
「それは、仕方なく。七瀬君はちゃんと私の言ってること理解してないんだよ。じゃなかったら私と付き合えるチャンスを断るはずないよ!だからもう一回ちゃんと伝えてあげるの。七瀬君のために仕方なくね。」
「葵はしっかりと汀の話を聞いて断ったんじゃないの?」
「…ちょっと、何言ってんの涼?」
「汀の提案したお試し期間を過ごして、お互いのことを知って、合わないと思ったからしっかりと断ったんじゃないの?断ったとき葵は言ってなかった?」
「そ、それは…」
「必死になってもう一度付き合おうとしてるのは汀でしょ。今は汀が葵のこと好きなんじゃないの?」
「…え?」
「……。」
「…でも気付くのが遅かったね。話を聞く限り葵はもう切り替えたみたい。汀のことはもう諦めたんじゃない?」
「そんな⁉︎じゃあもう七瀬君は私のこと好きじゃないの⁉︎」
「葵がきっぱり切り替えたなら、そうかもね。」
「どうしよう、涼。助けて、私、どうしたらいいのかわからないよ。」
「…汀はどうしたいの?」
「わ、私は七瀬君と付き合っていたい、別れたくない!」
言った。別れたくないと。
ついに汀が自分で他人を求めるようになった。
あのプライドの塊が、他人なんて物扱いだった汀が、プライドも見栄も捨てて、自分から葵を求めている。
「わかった。協力する。」
「⁉︎ ホント⁉︎ ありがとう涼‼︎」
「ただし、絶対に私の言う通りにすること。じゃないと、もう切り替えた葵は振り向いてくれないよ。」
「わ、わかった。涼の言う通りにするから、だから…」
「安心しなよ汀。葵にとって最高の汀にしてあげる。」
汀とすぐに会う約束をして一旦電話を切る。
やっとだ。
時間も手間もかかった。
葵にも辛い思いをさせてしまった。
でもこれで、私の代わりは創れた。
私は清々しい気持ちで汀と待ち合わせをしたカフェに向かうのだった。
翌日
朝早く学校に向かい、教室に一人でいる葵を見つける。
「おはよう葵!」
「涼さん!おはよう!今日はいつもより早いんだね。」
「そういう葵も早いじゃん。」
「あはは、早く目が覚めちゃってね…」
「そっか…」
「ねぇ、葵。ちょっとついてきて欲しいところがあるんだけど、いい?」
「今?別にいいよ。 どうしたの?」
「着いてから話すよ。」
不思議そうにしながらも素直についてくる葵を連れて私は屋上に向かう。
私たちが屋上に出ると、すでに別の人が一人、屋上で私たちを待っていた。
その人物を見て、葵は意表を突かれたように驚いている。
「え、委員長⁉ どうして、涼さん?」
「葵、汀とはもう別れたんだよね?」
「えっと、はい。昨日屋上でその話はしたよ。」
「それでね、汀からその事でお願いがあるんだって、昨日相談されてさ、話くらい聞いてあげて欲しいんだ。」
「それは、全然かまわないんだけど…」
戸惑っている葵。押すなら今のうちだ。私は視線で汀に指示をする。
それを見た汀は葵の前に膝をついて謝り始めた。
「七瀬君。昨日はごめんなさい。チャンスを上げるだなんて上から目線で言ってしまったこと…」
「そんな、そこまでしなくても僕は気にしてないよ⁉」
「ありがとう、優しいね七瀬君。それでね、改めてお願いがあるの。」
「委員長からのお願い?」
汀がそんなことを言うとは思ってもいなかったのだろう。さらに驚きを強くする葵。
「私ね、涼と話をして自分の気持ちに気が付いたの。私は七瀬君のことが好きなんだって。」
「え⁉ でも…」
「うん、七瀬君から告白してもらって始めたお試し期間で私は七瀬君に酷いことをした。本当にごめんなさい。でも、あの日々で私は七瀬君のことを知って好きになった。」
「……」
「七瀬君は逆に私とは合わないんだってそう思ったんだよね?」
「…うん。それで昨日はありがたかったけど、お断りさせてもらったんだ。それに僕は、」
「だけど、私は諦められないの!あなた無しの生活なんて考えられない、今度は私にチャンスを下さい!私、変わります!あなたのために!だから、どうかお願いします!」
そう言って汀は思い切り頭を下げた。
目の前でそんなことをされた葵の混乱はそれはもうすごいことになっている。それもそうだ。あの汀が他人に頭を下げてお願いするなんて、今まででは有り得ないことだ。混乱気味の葵を促すように私は間に入って話を始める。
「昨日ね、汀と話したんだけど、葵の事が好きだって気が付いて、お試し期間の事すごい反省してたよ。」
「そんな、あれは僕から言い出したことだし…」
「うん、あの時は汀からチャンスをもらったんだよね?だから、」
「だから、今度は葵が汀にチャンスを上げてくれないかな?それくらいならどう?」
「僕からチャンスを?」
「うん、汀がくれたチャンスを同じお試し期間を上げて欲しいの。汀は変わった。葵が合わないと思っている汀は過去のこと。今の汀は違う。それを確かめてからでもきちんとした返事をするのは遅くないと思うよ。」
私の言葉を聞き考え込む葵。
目の前には微動だにせず頭を下げ続けている汀。
「葵だって一度チャンスをもらったんだし、それくらいならどうかな?」
そしてここで一言私からも付け足しておく、律儀な葵のことだ。自分だけチャンスをもらっておいて人には与えないというのは納得できないだろう。
「…わかりました。その、汀さんが本当に望んでいるならですけど、」
葵の言葉を聞いた汀が勢いよく顔を上げる。
「ありがとう!ありがとう七瀬君!私、私きっとあなたに気に入ってもらえるように頑張るからね!」
「そ、そんな。普通にしてくれたら僕はそれでいいんだ。」
「私、あなたのためなら何だってする!何かあったらすぐに言ってね、私が全部解決してあげるから!」
汀は葵に縋りついて喜んでいる。うれし泣きをしていて顔はぐちゃぐちゃだ。
「ありがとうね、葵。一度は決めたことだけど、汀の話くらい聞いてあげて欲しかったんだ。」
「…涼さんも、そうすることを望んでるんだよね?」
「うん、汀は友達だから、しっかり心を入れ替えたみたいだしね。それに汀なら葵のことしっかりと助けてくれると思う。」
「そっか…」
汀は昨日の言いつけをしっかりと実践できている。
まぁあの依存度で自分の気持ちを自覚してしまえば、どうすればいいか言い聞かせるのなんて簡単だった。
これで完成だ。
私の代わり、葵のことを守れる能力があって、常に葵のことを考え、葵のためだけに行動する。
完璧な私の代わり。
私は汀の様子を見て満足していた。
だから、私は知らない。
葵が悲しそうな目で私を見ていたことを…