私が生きている意味
小さな頃から何でもできた。
勉強、運動、他にも習い事はいろいろとやった。
どれも初めは面白かった。知らないことを学んでいくのは楽しい、なのに、すぐにつまらなくなる。
簡単だから、
少しやってみるだけ、少し練習してみるだけで私は何でもできるようになった。苦労なんてしたこともない。
そんな私は小さな頃から注目を集めてきた。自分で言うのもあれだけど、見た目もよかったようで、大きくなるに連れて私の注目度は上がっていった。
中学生の頃には、私はもう王女様だった。私が何か言えば人が動く、世界は私を中心に回ってると本気で思ってた。
周りから持ち上げられ、私に意見するものなんて誰もいない。みんな私の取り巻きで、少しでも私に気に入られようと必死になっていた。
今考えると恥ずかしいが、あの頃の私はそれはもう傍若無人で他の人はまるで物扱い、自分のことしか考えていない王女様、いや、怪物のようなやつだった。
その頃だ。
七瀬葵、私は彼に出会った。
なんであの頃に出会ってしまったのか、今では後悔だらけだけど、葵に出会わなかったら今の私はいない。
中学二年の時、私は葵と同じクラスになった。
葵は性格的にもあまり目立つ方じゃない、隣の席になって初めて私は葵のことを知ったくらいだ。
はじめの印象はそれほどない。ただの目立たない存在、その程度。だけどある時ふと気がついた。
この子は私にすり寄ってこない。
普通ならそんな人がいても不思議じゃない、誰だって好き嫌い、合う合わないがある。だけど、その時の私はそれが不思議で仕方なかった。世界は私を中心に回っていて、私以外はみんな私の取り巻き、全員が私と仲良くなりたくて私の為に行動すると、本気でそう思っていたから。
だから私は葵のことを気に入った。
良くない意味でだけど…
ある時は「おい七瀬、宿題、私の代わりにやっておいて。」と全ての宿題をやらせ、またある時は「七瀬、私のカバン持ってよ。重い。」と通学中に見つけた葵に自分の荷物を全部持たせて手ぶらで登校したりもした。それだけでは終わらず、「帰り付き合いなさい、どうせ暇でしょ?買い物行くから荷物持ちしなさい。」と予定も聞かず強制的に荷物持ちを命じたこともあった。
困った顔をしながらも私の命令には逆らわず、素直に言うことを聞く葵を見て、私は気分をよくしていた。何様だと思うが、あの時は本当に女王様気分だった。
今思えば、私にこびてこない人間がいるなんておかしいことだ。これが正しい姿なんだと、葵を付き従えることで、自尊心を保っていたのだろう。
誰も私には逆らわない。みんな私の言いなりだ。黙って私に付き従う葵を見ているときが、一番気分がよく、一番興奮した。
ただ、あの日だけが違った。
私はただいつものように葵を従わせようとした。いつもなら、「うん、わかったよ藤宮さん。」と躊躇いながらも了承して私に反抗することのなかった葵が私の命令を断ったのだ。
放課後、クラス委員をしていた私は先生から書類整理の仕事を任されていた。一人でやるには多すぎる量の書類、真面目にやってもかなり遅くまでかかるだろう。その日は友達と遊びに行く約束をしていた私は、初めから葵にやらせるつもりで先生の依頼を適当に引き受けていた。
「ごめん、藤宮さん。今日は僕用事があるから早めに帰りたいんだ。。」
「…はぁ?」
始めは本当に葵の言っている意味がわからなかった。
「今なんて言ったの?」
「えっと、今日はちょっと代わりに仕事はできなそうなんだ。」
「ふざけんな。」
「え?」
「七瀬さぁ、私今日忙しいって言ったよね。用事があるって。」
「う、うん。」
「だったら代わりにやってあげようと思うでしょ普通。気遣いとかないわけ?」
「ご、ごめん。でも僕も今日は行かないといけない所があってね、」
「お前の用事と、私の用事、どっちが重要なわけ、私の時間を奪ってまで行かないとダメな用事なんてあんの?」
「そ、それは…」
「わかったら代わりにやっておいてそれ、私は七瀬と違って忙しいの。それと、先生には自分からやると言ったって言っときなさいよ。そうればアンタの評価も上がるかもね。」
半ば強制的に葵に仕事を任せて私は遊びに行った。
あの時は、初めて人にお願いを断られてかなりイライラしていたと思う。
遊びに行った先でもイライラはなくならず終始機嫌が悪いままで過ごしたのを覚えている。周りのみんなは必至に私のご機嫌取りをしていたっけ、そうして遅くまでチヤホヤされて帰る頃には、私の機嫌も少しは良くなっていた。
最寄り駅で取り巻きの人たちと別れ、一人で家に向かう。
機嫌が良くなった私は、私のお願い、もとい命令を断った葵に明日はどんなことをさせてやろうかとか、そんなくだらないことを楽し気に考えながら帰っていた。
その時だ、大きな怒鳴り声が聞こえた。
出所は丁度近くを歩いていた病院の駐車場。かなり大きな声だったので、私はなんとなく声のした方に視線を向けた。
男性が二人。一人は大人、もう一人は学生のようで、大人に学生が怒鳴られている。
「こんな時に!お前は何をしていたんだ‼」
「…ごめんなさい。」
怒鳴っている方はよっぽど激昂しているようで、私の他にも通行人が視線を向けていることを気にしようともせずに、学生にむけて怒鳴り散らしている。学生の方は言われるがまま、俯いていた。
良く見ると、学生の制服は私の学校のものだった。それに気が付いた私は何か話のタネになりそうだと思い誰なのか確認することにした。もしかしたら知っている人かもしれない。
そう思った私は正しかった。
怒鳴られているのは葵だった。
「…え? 七瀬?なにやってんのアイツ。」
私は思わず立ち止まる。
放課後、先生から頼まれた仕事を押し付けたはずの葵が、なんで病院にいるのか、確か用事がある。そう言っていた。
「お前!連絡を入れてからいったい何時間経ってると思ってるんだ!」
「…それは、」
「できるだけすぐに来いと言っただろうが!あの時、もう授業は終わっていたはずだろ!」
「はい…」
「じゃな何でこんなに時間がかかった⁉ どこかで遊んでたのか⁉ それならお前は人として屑だ!」
「…」
葵は何も言い返さない。ただただ俯いて怒鳴られているだけ、
それを見た私は止めようと思った。自分の方があの大人よりよっぽど酷いことをしているくせに、私以外の人に理不尽な扱いを受けている葵を見ていられなかった。だいたい、彼が遅れたのは遊んでいたからじゃない。私の仕事を代わりにやっていたからだ。それをあの大人に教えてやろう。私のためになることをしたんだ。それがわかれば、あの大人だって納得するだろ。そう思って二人に向かい歩き出した私の足は、
「お前が遅いせいで! お前のおじいちゃん、もう死んじまったよ‼」
そう聞こえてきたことで、それ以上進まなくなってしまった。
「おじいちゃんな、お前の名前呼んでたんだぞ、なんで会いに来てやらなかった?」
「……」
「最後だったんだぞ、お前にとって家族ってそんなものなのか?」
「…ぅ…」
「電話で伝えたよな。もういつ逝ってもおかしくないって、なぁ、なんとか言ったらどうだ⁉」
「ご、ごめん、なさい。」
「…お前はもう来なくていい。葬儀にも出るな。普通に学校行って遊びにでも行ってろ。」
吐き捨てるように言って大人は病院の中に戻って行った。
葵は同じ姿勢のままずっと下を向いていて、遅れたことで顔向けできないと彼の心を表しているようだった。しばらくその場で立ちすくんでいた葵は、結局病院には入らずにその場から離れて行った。彼が見えなくなるまで私もその場から動くことができなかった。
家に帰ってからも怒鳴られている葵の姿が頭から離れない。
私の心はたくさんの感情で荒れていた。そんな状態だったなら言えばいい、そしたら私だって、私だってきっと無理にはやらせなかったはずだ。
言わない方が悪い、私は悪くない。
だって知らなかったのだから。明日責められたらそう言い返してやろう。お前が言わないのが悪いのだ、自業自得だ、と。
次の日、学校ではいつも通りの日常が進んでいた。
私に気に入られたくて、寄ってくるその他大勢。自分からは私に話しかけてこない葵。変わりはない。いつも通りの日常。違うことは私も葵に何もやらせないこと。
私は警戒していた。いつになったら昨日のことを責めてくるのだろうかと、だが、すぐに言い返せるように考えていた私に葵は何も言ってこなかった。
「七瀬、ちょっと来て…」
「うん、わかったよ。藤宮さん。」
放課後、我慢できなくて自分から葵を連れ出した。葵はいつものように私についてきた。本当にいつものように、何事もなかったかのように。
屋上、他には誰もいない。当然だ。普通は立ち入り禁止。私だけ先生に許可をもらって入れる場所。そう、私は特別だから。
「私になんか言うことないわけ?」
「え?」
話を切り出した私に葵はとぼけている様子もなく、何のことかわからずに困っていた。
「あ!昨日のはちゃんと終わったよ。先生にも渡したからね。」
愛想笑いをしながら言う葵に私はキレた。
「アンタのおじいちゃんのことだよ!私のせいで病院に遅れたんだろ⁉」
「…どうして、藤宮さんがそのことを?」
「昨日見たよ、病院前でアンタ怒鳴られてたね。」
「そっか…」
「恨んでるんでしょ。私のこと。」
「え?」
「何で責めないの?そんなに私が怖い?いつも私の言いなりになって、情けないヤツ。」
「……。」
「だいたいさ、何でそんな大事なこと言わないわけ、言ってくれたら普通に帰してやったのにさ、黙ってるほうが悪いでしょ。」
「…。」
私はもう、葵に何を伝えたいのかわからなくなっていた。
口から出てくるのは言い訳、自分を強く見せようとする言葉。それだけ、要は私は動揺していたのだ。
私を中心に回っている世界が、私の知らない所でもいろんな事が起こっていることに気が付いたから…
「恨んでないよ。」
「…え?」
「藤宮さんが言った通りだよ。僕がはっきりと言わなかったのが悪い。」
「いや、それは…」
「僕、情けないけど、うまく人と話せなくて、緊張しちゃうんだよね。」
「……・」
「だから、いつもうまく伝えられないんだ。あの時もそうだった。自分でもわかってるんだ。ちゃんと言えてればって、だから、」
「だから、ごめんね。ありがとう。」
「ッ…」
私を恨んでないと言う葵の表情は今でも覚えている。
瞳には色がなく、映り込んでいるはずの私なんか見ていない。
それでわかった。この子は本当に私を恨んでない。むしろ私のことなんか何も考えてない。
私は葵の瞳には映っていない。
本当に自分が悪いと思い込んでいて、自分のことを責めている。今にも壊れてしまいそうな、そんな疲れ切った表情だった。
私はただ、許されたかっただけだった。
本当は自分が悪いと理解していたから、だから葵が本当に私を恨んでいないとわかって救われた。それと同時に、私は葵にとって何の存在価値もない人物として扱われていることも理解した。自分の祖父の死に目に会えなかったのはどう考えても私のせいなのに、葵は私のことを理由にするどころか、意識すらしていない。ただ、自分が悪かった。それで終わらせている。
世界は私を中心に回っていて、他の人はみんな私に気に入られたくて、私のために行動する。他人は全員、物と同じ。
そんな事を本気で信じていた私は、その時ようやく理解したのだ。
幻想だと。
現にここに、私のことをまったく意識しない人がいる。
私は葵に気が付かせてもらった。私は世界の中心なんかじゃなくて、みんながそれぞれの人生を歩んでいる。
それに気が付いた私は人になれたのだ。この時から私の人生が始まったと言ってもいい。
だから私は、私を生まれ変わらせてくれた葵のために生きて行こう。そう思った。