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紫石ノ詩  作者: 風魅
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最古の怨霊・3(終)



 それからはいつも通り仕事を終え、神棚に手を合わせ、夕刻前に工房を出た。

 今晩こそは聖も帰ってくるだろうか、その場合少女のことは何と説明しようか、などを考えているといつの間にか屋敷に着いた。

 人の気配はない。

 まだ聖は帰ってきていないのか、と落胆した瞬間、あることに気付く。


 そう、人の気配がない。全く。

 慌てて襖を開けるも、実丸が想像した通り少女がいない。


「一体どこへ……」


 直に夕刻だ。

 それはあやかしたちが動き出す魔の時刻。

 十つ程度の少女が出歩くには危険すぎる。何より夜になれば、あやかしの話以前に人攫いにあってしまう。


「あの子が行きそうなとこ……行きそうな」


 人通りのなくなった通りを走る。

 人は皆家へと帰ったため、少女の行方など聞けるはずもない。

 一所懸命、少女の行きそうな場所を考える。


「……って、どう考えてもひとつしかない」


 あの子が行きそうな場所なんて、母親の墓しか考えられない。

 まだ一日しか経っていないのだ。恋しくなるのも仕方がない話である。


「ああっ!こういうときに人間の足は遅い!」


 少女の母親の墓まではかなり距離がある。人間の足の速さでは夜になってしまうだろう。

 それでは遅いのだ。


 周りに人がいないのを確認して、実丸はヒトの姿をやめた。

 形はイタチのようであり、目は兎。黒い翼を持っている、野衾の姿だった。

 すぐに翼を広げて飛び上がる。

 こちらの方が全体を見渡せて都合が良い。


 しばらく飛んでいると、昨日見た掘っ建て小屋を見つけて、地面へ降りる。

 ヒトの姿へ戻って小屋の後ろまで歩くと、


「……おにいちゃん」


 少女が墓石のそばでうずくまっていた。


「心配したよ。ここに来るなら言って欲しかったかな」

「ごめんなさい……。わたしってわるいこ?」

「そんなことない。そんなことないよ」


 亡くした母親を思うことは間違ってなんかいない。

 恋しくなるのは当たり前の心だ。

 実丸は優しく少女の頭を撫でた。


「もう夜だ。この時間は怖いからね。俺の家に戻ろうか」


 明日もここに来ていいから、と告げると少女は素直に頷く。

 ゆっくりと手を引いて墓石から離れた途端、


何かおぞましい気配が立ち込める。


 元々あった陰気が急速に邪気に変わり、辺りを染めていく。

 反射的に身構えた。

 少女も何か嫌な気配を感じ取ったのか、実丸の手をきつく握る。

 どくりどくりと、心の臓がうるさい。


 あの邪気の濃さ、悪質さ、まさに神に匹敵する何かが近付いてくる……。


『ノロエ』


 重苦しい声が響き、そばの少女は怯えてしゃがみこむ。

 目の前に現れたソレは酷く黒いモヤに包まれていた。人の姿をしているようだがあやふやで、だがそれを直視するなと本能が訴えかけてくる。


『のろえ』


 やつが言葉を発する度に、いっそう邪気が濃くなる。

 逃げるべきだ。逃げるべきなのに身体が金縛りにあったように動かない。


『呪え』


 ひくりと喉が鳴る。

 野衾には戦闘をする能力がまるで備わっていない。あるとしてもそれは獲物を捕らえる長い爪のみで、こんなよく分からぬものには一切効かないだろう。


 それは目前にまで迫った。


「たすけ」


 声をあげかけたとき、一陣の疾風がそのモヤを薙ぎ払う。


「すまない。遅れたな」


 実丸の目前にいたバケモノはおらず、代わりに馴染みの黒い背中が、二人を守るようにして立っていた。

 思わず涙が溢れてその者の名を呼ぶ。


「聖さん……ッ!」


それはあやかしを倒すヒト、聖。


『呪え』


 バケモノは少し戸惑ったかのように見えたが、先程と同じような言葉を紡ぐ。しかしそれはより一層悪意がこもっており、少女を庇った実丸は酷い寒気と貧血を覚えた。

 これを向けられた本人はたまったものじゃないはず。

 だが、


「馬鹿の一つ覚えのようにそれだけを紡ぐな。やはりお前は、神には程遠い即席の疫病神か」

「やくびょうが、み……?」


 なるほど、あの邪気の濃さは疫病神ならではこその力だ。

 しかしそれにしては邪気が禍々しくおぞましい。


「あれは、都中の人々の不安が凝り固まり、そこに長屋王という特定の人物の噂が紛れ込んで昇華された疱瘡神(ほうそうしん)。『長屋王の祟り』のなりそこないだ」


 全く面倒臭いものを、と聖はため息をつく。

 神は、人々の思想の強さ重さで生まれる。物にも神は宿り、米の一粒にも神は宿ると言われるこの国ではさして珍しいことでもなんでもない。

 だからこそ、病や貧しさは悪神になりやすい。

 疫病神や貧乏神がその代表にあがるように。


 疱瘡神は、人でない聖やあやかしの実丸を無視して、そばにいた人間の少女に意識を向けた。

 なりそこないでも疱瘡神。年端もいかぬ少女を呪うことなど、造作もないはずだ。

 だがその悪意は、聖が前に出て受け止める。


「お前の呪詛はそんなものか。謀殺された長屋王には到底及ばん」


 抜き身を構えて走り出した。

 紫の瞳が、悪神の核となる急所を捕える。

 それは人間と同じ心臓部。

 そこを突いた。


 パチンッと、黒いモヤが弾けて消える。

 瞬きの瞬間に、疱瘡神は斃された。


 聖は竹筒に入った水をそこに撒いて拍手をひとつ。その水は清水のようで、即席ではあるが場を清めたようだ。


「ひとまず終わった。無事だったか……?実丸と、そこの少女も」

「俺は大丈夫……多分この子も……。聖さんこそ、大丈夫?」


 もろに悪神の邪気を受けた聖。普通なら無事では済まないのだが……。


「これより酷いのを何度か受けたことがあるから、それよりは随分マシだよ」

「聖さん、俺の知らない間に一体何と戦ってきたの……」


 聖の詳しい経歴を知らない実丸は苦く笑うしかなかった。




 疱瘡神の邪気に当てられ、微熱が出てしまった少女を抱えた実丸は、聖と共に帰路につく。


「今までどこに?」

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)に。本当に今回の話に長屋王が関わっていたとしたら、少なくともあの男の管轄だからな。確認をいくつかと、真相を」


 あの男、とは一体誰のことか知らないが、聖にとってはあまりいい思い出のない人物のようで、苦い顔を浮かべていた。


「疱瘡が流行して、神が生まれたところまではいつも通りだった。だがその神を偶然視てしまった貴族が図書(ずしょ)寮務めだったようで、疱瘡を撒き散らす神を『長屋王』と言ってしまったらしい」


 図書寮は国家の蔵書や国史をまとめる機関であり、そこに務める寮員も文書を書き写す仕事をしている。

 つまり、歴史に詳しかった。


「しかもその寮員は藤原氏で、神を視た以降、疱瘡で亡くなった。それもあったからだろう。その噂はしだいに伝染していって、普通の疱瘡神に『長屋王』という概念が加わった。しかし人々は長屋王のことを深く知らないため、『藤原氏を恨んでいる』という曖昧な知識だけが神に付与され、藤原様に疱瘡が広がったというわけだ」


 その噂を流してしまった張本人に取り次ぐのに随分時間がかかった、と聖はため息をついた。


「本人って……死んだ人に?」

「地獄にツテがあって」


 サラリと言ってのける聖。

 実丸は少し身震いをした。


「言葉は口にすると力になりやすい。言霊、と言った方がわかり易いか」


 下手に口にすれば、形になる。図書寮員はそれを失念していたようだった。


「さて、疱瘡神は倒したが、噂をどうにかしないといつまで経っても変わらない」


 また疱瘡神が生まれる。

 聖は口には出さなかったが、実丸はそれを理解した。

 噂というのは、元を絶たなければ意味が無い。


「じゃあどうすれば」


 実丸のような庶民が何かを言ったところで現状は変わらないだろう。藤原氏が否定をするか、陰陽師が否定をするしかない。


「……文を出す。その家縁の神官に渡せば届けてもらえるだろう」


 そう言う聖の眉間には皺が寄っていた。


「全く、こうも立て続けに私の名を使うことになるとは……」


 聖の呟きは誰にも聞こえなかった。




□□□




 数日も経てば、少女の容態は良くなった。身体は丈夫な方らしい。

 疱瘡神を視たというのに熱だけで済んだとは大変珍しいことで、聖も驚いていた。

 少女の気持ちが落ち着くまでは、屋敷に滞在することを許可し、聖も特に何も言わなかった。

 しかしその日は長く続かない。

 少女は人間だ。

 いつか少女の背が伸びて大きくなったとき、実丸らが一切成長していないことに気づくだろう。


「普通の子供は、長く私たちのそばに置かない方がいい」


 ぽつりと呟かれた聖の言葉が、実丸の耳に残っていた。

 ならばどうすればいいのか。

 長く考えてもその答えは出ない。


「とある村にツテがある。知り合いの旅商人に託せば、衣食住ぐらいは安心出来るだろう」


 結局、聖に相談してみると直ぐに案を出してくれた。

 だが問題は母親の墓石だ。遠くへ行くというのなら、あの少女は滅多なことがない限り、墓参りが出来なくなる。

 その案を、毎日のように母の墓へ訪れる少女に提案するというのは、なんとも心苦しい。


「安心してくれ。母親の遺骨はきちんと骨壷に納めて持たせる。都の端とはいえ、ずっとあの場所に埋葬していると魔が寄ってきやすいからな」


 心を読んだかのように言葉を紡ぐ聖。

 優しく頭を撫でられて、全くこの人にはかなわないな、なんて思った。




 それから数日後。

 少女は都を離れることとなった。

 遺骨はきちんとした寺で祓い清められ、骨壷に納められ、それを屋敷の前で待つ少女に持たせる。


「この文を巫女様に。そうすればあの方は察してくれるだろう」


 聖は、知り合いの旅商人に言伝と文を託していた。


「いいけどよお、ヒジリが護衛してくれるんじゃないのか?前に護衛してくれたとき、バッタバッタと盗賊共を返り討ちにしてたの、爽快だったぜ?」

「お前も十分強いだろう?賊の二人や三人くらいならなんともないはずだ。だからこそ任せられる」

「おっ、武人のアンタに褒められちゃ照れるねぇ。んじゃあ頑張りますか」


 なんとも気の良さげな旅商人だ。腕も立つようで、とりあえず実丸は安堵した。

 しゃがみ込み、少女の目線に合わせる。


「向こうに行っても元気でね?大人の言うことはちゃんと聞くんだよ」

「……おにいちゃんも、げんきでいてね。それにありがとう……」


 骨壷をぎゅと抱き抱えて、少女は旅商人の男と一緒に都を出た。




「結局、名前は聞きそびれたなあ」

「聞いてしまえば名残惜しくなる。なら、聞かない方がいい」


 相変わらず淡々と話す聖を横目に見て、実丸は思い出したように、

「そういえば、なんで聖さんは俺を傍に置いてくれるの?」


 聞く時期は今しかない。これを逃してしまえば、いつまで経っても聞けなくなるだろう。

 すると聖は一瞬きょとんとした顔をしたが、しばらくして少し笑った。


「懐かしいなあ。もうお前に出会って三十年だ」


 そう言って頭を撫でる。

 何度もされる行為だが、それでもやはり恥ずかしい。


「そうだな。お前が一度も人間の血を吸わなかった稀有なあやかしであったということと、」

「……と?」

「……少し、昔の私に似ていた、というところかな」


 なにそれ、と実丸もつられて笑った。




□□□




 とある貴族の邸宅。

 イグサの匂いが強く香る畳の座敷で、直衣(のうし)を着た壮年の男が、文を読みつつ神官の男にものを尋ねた。


「本当に、この文を届けろと言ったのは十代半ばの少年だったのか?」

「はい、真でございます」


 男は少し唸って、もう一度文に目を通す。


「『長屋王の祟り』の件、何の根拠もない嘘偽り、ただの噂。であるからして、直ちに藤原様御宅を祓い清めなされ……か」


 いたずらにしては正確だ。

 この男も、最近の疱瘡騒ぎに重い腰を上げようとしていたのだが、まさかあの男から連絡が来ようとは思わなかった。


「今更どういうことだ……?あの家はしばらく沈黙していたはずじゃ……」


 稀代の陰陽師だった安倍晴明。その玄孫、安倍泰長(あべのやすなが)は大きく息を吐いた。



 文の署名には、かの男の名。


 霧崎左衛門佐朔馬、と。




(二話目)最古の怨霊・終

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