最古の怨霊・2
一人取り残された実丸も聞き込みをしようと外へ出た。
己が持ってきた話だ。聖にばかり負担はかけられないという気遣いである。
とにかく、疱瘡がどのあたりまで広がっているか、長屋王の噂がどこまで広がっているかなどを市で聞くことにした。
「疱瘡?……あー、随分流行ってるなあ。噂じゃあ祟りとかなんだろう?名前は知らなかったから覚えていないけど」
「知り合いも疱瘡にやられていたよ。え、祟り?それは知らないな……」
「確か、ながやのなんちゃらって人だった気が……。結局その人、何の人なんだい?」
と、結果は散々なものだったが、庶民の間でも疱瘡はやはり流行しているらしい。
高齢の翁あたりは、うわ言のように「長屋王の祟りじゃ……わしは見たんじゃ……」と言っていた。それはあやかしの実丸でも気味が悪かった。
「都の外でも病は広がってるみたいだけど、さすがに長屋王は知られていないか……」
長屋王の祟り、という話はどちらかと言えば貴族たちの間で広まっているらしく、庶民の殆どは知らなかった。
おそらくそれが普通なのだろう。
「今までも度々流行していたのに、なんで今頃なんかに……」
よほど貴族連中に、歴史に詳しい人物でもいたのか、陰陽師あたりがそう判断したのか。
庶民の実丸にはよく分からない。
悶々と腕を組んで考えていると、辻で誰かとぶつかった。そこまで勢いがあった訳では無いのだが、相手が思い切り尻もちをつく。
「あっ、すみません!よく見てなくて……」
倒れたのは十歳前後の少女だった。貧しい出なのか、腕には肉がついておらず、着物も薄く汚れている。
「えっと、怪我していない?大丈夫? 」
屈んで手を差し出すが、少女は目に涙を溜めて実丸の腕に抱きついた。
思わずぎょっとする実丸だが、少女が呟いた言葉で事情を察する。
「かかさまを……たすけて」
□□□
少女に連れられてきたのは、都の端の掘っ建て小屋だった。
雨風ぐらいは凌げそうな小屋であるが、いつ倒壊してもおかしくない。
それにとても陰気が濃い。
恐る恐る中へ入ると、一人の人間が擦り切れた布の上に寝転がっていた。
もはや骨と皮だけのような人間は、微かだが生きていた。しかし顔を中心に、やや白色の豆粒の大きさの丘疹が肌を覆い、呼吸さえも苦しそうで、ほとんど虫の息である。
「これは……」
疱瘡。
薬師でない実丸にも分かる。これはもう手遅れだ。
飯も満足に食べられなかったせいだろう。ただでさえ体力がないときに疱瘡なんかにかかってしまえば、薬師に診て貰えぬ貧困層は大抵死んでしまう。
しかし病名を知らない少女はぎゅっと実丸の着物の裾を掴み「たすけて……」と呟いた。
一体少女にどんな言葉をかけてやればいいのだ?実丸では助けられるはずもないのに、その場限りの慰めの言葉でも言えるのか?それとも、手遅れだ、とでも言えるのか?
このような少女に。
「おれ、は、薬師じゃ、ないから……」
口から溢れ出たのは、どうしようもない言い訳だった。
「俺じゃ、助けられない……」
己の無力さを、許してくれ。
しばらくして、少女の母親は息を引き取った。
せめてなにかしてやれぬかと、掘っ建て小屋の裏に穴を掘って遺体を埋めて土葬した。抱えられるくらいの大きさの石を持ってきてその上に置き、近くで採ってきた草花を置く。
少女はそのあいだずっと無言で泣いていた。人の死を理解出来る年頃なのか。
「きっとかかさまは極楽へ行くよ」
「ごくらく……?」
あやかしが極楽を語るなんて、黛に聞かれたら笑われるだろう。
「良い行いをした人は極楽へ行くんだ。君のかかさまは、君をここまで育てたんだ。ご飯も、君を優先してあげていたんじゃないかな」
きっとこれは気休めの言葉だ。少女の痛みや悲しみが収まればいいと願って。
「そこは、しあわせなところ?」
「うん」
「ごはんもいっぱいある?」
「そうだね」
「わたしも、いける?」
「君もかかさまのように良い行いをしたら、きっと行けるよ」
静かに頷くと、少女は少しだけ泣き止んで、そっと墓石に手を合わせた。
実丸も同じように手を合わせる。
さすがに掘っ建て小屋に少女一人を残しておく選択は出来ず、泣き疲れ寝てしまった少女を背負って家へ帰る。
もう空は茜色。夕方で逢魔時。
あやかしたちが活動し始める時刻だ。
都生まれの力の弱い、顔見知りの小さい雑鬼たちが、実丸の足元にわらわらと集まってきてはケラケラと笑う。
「野衾だ〜」
「仕事帰り?」
「見ろよ、こいつ人間の子を背負ってる」
「飯?晩飯か?」
それぞれ好きなことを口々に言うため、実丸は足でそいつらを追い払った。
「勝手なこと言うな。この子は飯なんかじゃない」
ため息をつきながら呟くと、また雑鬼たちが性懲りも無く集まる。
「また獣の血で済ませるのかー?」
「そんなんだから痩せっぽちになるんだよ」
「でも今元気だなー」
「そういや、ヒジリ帰ってきたんだって?」
「あー、なるほど。奴から貰っているのか」
「いーなー。おれもヒジリ喰いたいー」
だんだんとムカついてきた。
聖曰く「相手にするだけ労力の無駄だ。適当に追い払え」らしいが、雑鬼たちの言葉をいちいち無視できるほどの寛容さを実丸は持ち合わせていない。
「ああ、もううるさいな!あと、俺は別に毎日血を貰っているわけじゃないから!」
そそくさと足を速めて家路を急いだ。
「ただいま戻りました……って、聖さんいない」
屋敷に帰ると、人の気配はなかった。
貴族と違い照明具などもないので、座敷は薄暗い。
それでも夜目のきく実丸には何の問題もないため、敷布団を敷いて少女を寝かせる。
「そういや、名を聞いてなかったなあ……」
ふと思い出した。
少女に出会ってから色々思考が追いついてなかったため、聞く時期を失っていた。
こういう場合は聞いた方がいいのか、それとも聞かぬほうがいいのか。
「聖さんなら、聞かないだろうけど……」
名を聞けば情が移るという。
別にこれから先、少女をここへ置いておくわけにもいかないのだから、聞かぬほうがいいのだろう。
少しだけ悩ましく思いながらも、実丸は座り込んで目を閉じた。
□□□
誰かに身体を揺らされて目を開ける。
顔を上げると、そこには昨日の少女がいた。
「おはよう、おにいちゃん」
「……おはよう。早いね」
目をくりくりさせて挨拶をする少女は、昨日より元気そうに見えた。
ぐっと背を伸ばして、近くの戸棚を開ける。確かここに、聖が置いていった干しなつめがあったはずだ。
人間はあやかしと違って腹が減る。
いや、野衾も血を飲まぬと生きていけないが、それは間をあけてもどうにかなる。
しかし人間はそうもいかない。
「これ、干しなつめだけど食べられる?」
そう言って差し出すと、少女は嬉しそうに齧り始めた。
「こんなにおいしいの、はじめてたべた」
「それはよかった」
少女が笑うのを見て、実丸もつられて笑う。
小動物のようにもぐもぐと干しなつめを食べる少女が微笑ましくて、しばらく眺めていた実丸だったが、ふと時間を思い出して我に返った。
「うわっ、仕事忘れてた!」
バタバタと隣室で、洗濯した衣服に着替える。
屋敷を出る直前に少女を見た。
「俺、仕事行くんだけど……留守番できる?」
恐る恐る聞いてみると、少女は頷く。
「うん、できる」
それを確認して、実丸は屋敷を後にした。
□□□
「あまり同情するんじゃない」
昨日の出来事を、紙漉き職人の爺に相談したところ、そんな言葉が返ってきた。
「わかっているんですが……」
都の外には少女のような貧困層は多くいる。それらをずっと見ないでいただけで。
今回たまたま出会ったのが、あの少女だっただけだ。
同情なんて、対等に見ていない証拠である。
己自身も、わかっている振りをして同情されると、辛い。それなら冷たくされた方がよっぽどいい。
昨日と同じように鍋をかき混ぜる。じとりと汗もかいてきた。
「今の時分に、子供を喜んで養ってくれる家なんて、貴族様くらいなものだ。皆、自分の生活にいっぱいいっぱいだからな」
「でも聖さんは……」
何故、聖さんは俺を置いてくれたのだろう。
そんな疑問を口にする。
聖はあやかしに対して、とても冷たい。式の黛に対してもそんな感じで、およそ隙を見せない。
だというのに、聖は実丸を弟のように扱う。
それがよく分からなかった。
鍋をかき混ぜる手を止めず考えていると、爺はこちらをじっと見る。
「お前は知らんだろうが、聖様は害を及ぼさないあやかしに対しては大変寛容であらせられる」
「そうなんですか!?」
これは驚きだ。
なにせ実丸が見た聖というのは、何体ものあやかしをバタバタと斬り倒していく鬼神の如き姿だけだ。
それと寛容さが結びつかない。
「でも……確かに雑鬼たちは適当にあしらっているような……」
いやあれは寛容さ、というより面倒臭くなった末のものか。
「気になるのなら、聖様に聞いてみなさい。あの方は、中途半端な理由では誰もそばに置かないから」
「……親方」
爺の背中はどこか淋しそうだった。
何故かは分からない。何故か分からないのに、無性に実丸は泣きたくなった。
「わたしはもう年老いた身だからな。良ければわたしの代わりに、あの方のそばにいてくれ」