表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紫石ノ詩  作者: 風魅
5/14

深泥池の怪・3(終)



 貴族の男を呼び出した約束の日の夜。

 深泥池が見える場所で腕を組み、男の到着を待つ。


 体調は二日程度あれば元に戻った。傷はもう微かに跡が残る程度で痛みももう無い。

 しかし目立ってしまうので未ださらしは巻いたままだ。


 男は指示した通りに来た。人目を避けて来たのか、着物は派手ではないが、それでも上質そうな生地である。

 一人くらいは従者を連れてくるかと思ったが男一人だけだ。よほど今回のことを重くとらえているのか、他人には知られたくないのか、それとも聖の真名のせいか。


「あなたが、えっと、聖殿ですか」

「ああ、外ではそう呼んでもらえると助かる」


 男は、夜でも淡く光る聖の瞳を見て息を飲んだ。


「それでここ深泥池の霊の話なんだが」

「お、お待ちを!聖殿が文に書き記してくださった内容には齟齬が……」


 話に入ろうと口を開いたとき、男が待ったをかける。聖は少し眉を潜めた。


「私や彼女は、心中をしようとした訳ではありません。お恥ずかしい話、駆け落ちをしようとこの場を通りがかっただけなのです」


 心中ではない。

 だというのならこの話の前提が覆ってくる。


「どういうことだ。近所の者の話では心中だと聞いたが」

「この池の前を通ったとき、急に彼女の様子がおかしくなったのです。前に散々、一緒に過ごそうと言い合っていたのですが、その、ここで二人で、命を絶とうと……」


 途端ぞわり、と池の邪気が濃くなる。


「……なるほど。そういうことか」


 聖は一人納得して、男の腕をつかみ、池から遠ざける。男は聖の行動に首を傾げたが、どんどんと薄ら寒くなる空気に肩を震わせた。


「すまない。私の考えが浅かった」


 男を背に庇い、腰の刀に手をやって、いつでも抜けるように構える。


「なに、が」


 ひた、ひた、と何者かが歩いてくる音がする。その音は次第にこちらへ近づいてくるようだ。時折、水音も聞こえてくる。

 男は静かに息を飲む。

 そう、何かが、こちらに、やってくる。


「ふふ。あなた、いい男。ねえ、私と、」


 死にませんか。


 妖艶な女の声が耳朶をなぞる。それだけで普通の男は堕ちてしまうだろう。

 甘い、蜜のような言葉。しかしその内容は邪悪だ。

 男の思考が、あやふやになる。

 向こうに行けば、愛しい彼女の手を取れば、こんな貴族のしがらみから逃れられるのではないか。

 また、彼女と生きられるのではないか、と。


 だがそんな思考は、キンッと金属音を立てた刀の音で一掃される。


「あやかしの声に惑わされるな。あいつらは、人の弱みに漬け込んで、そちら側に誘い込み喰らう悪鬼どもだ」


 聖の声がよく通る。


「確かにお前たちは心中しようとしたわけではなかった。ここを通ったお前の女は、あやかしに憑かれたのだ」


 そして男に、心中をしようと促した。


「なぜ、そんなことを……」

「決まっている。あやかしはいつの時代も、人を喰らう。力をつけるためにな」


 目の前にやってきた者は、前に見かけた美しい女などではなかった。


 六尺|(180cm)を軽く超える体躯。目は赤くギラギラと光り、およそ人でない黒い肌、そして尖った角を持つ、鬼だった。

 池にいた女は、鬼が見せた実体に近い幻影だったのである。


「ねぇ、私と、」

「黙れ。借り物の声でしか物を話せぬ紛い物が」


 この鬼が女を喰らった。

 だからこそ死体は水に浮かばず、骨だけが水底深くに沈んでいた。

 他の男の死体もおそらく後で喰らうために置いておいたのだろう。

 しゃらりと刀を抜き、鬼の目の前にかざす。


「すぐ終わる。恐ろしければ耳を塞ぎ目を閉じろ」


 背後の男にそういうや否や、ダッと駆け出し、鬼の懐に潜り込む。

 狙うのはこの鬼の急所。

 鬼はだいたい、首を飛ばすか心の臓を突けば死ぬ。それはもう長い経験からわかっている事だ。


「ねぇ、私と」

「くどい」


 鬼の爪がこちらへ襲うがそれを難なく躱して、刀を横一線に薙ぎ払う。

 ゴトリと首が落ちて、鬼の身体は力なく倒れた。

 そしてその死体は、黒いモヤのようなものが覆い、跡形もなく消える。


 一瞬の出来事だった。


 念の為辺りを確認してから刀を納め、縮こまっていた男に駆け寄る。


「鬼は倒した。大丈夫か」

「いやぁ……はは。面目ないです。話に聞いた通り、すごい腕ですね……」


 褒めたつもりだろうが、聖は苦い顔をした。


「……彼女は」


 男は池を見つめる。

 鬼が居なくなった池は先程までの邪気は感じられず、どこか清々しい。

 それでもここは境界の地で、池より北側は未だに陰気が立ち込めたままだ。

 おそらくこの先ずっと、ここは境界の地なのだろう。


「女の霊だと思っていたものは鬼だった。あやかしに喰われた者は、地獄にも極楽にも逝けず、輪廻転生の輪に入ることも叶わず、黄泉の国を永遠に彷徨う。そんな者は霊になどなれやしない」


 聖の声は冷たかった。

 男と女の、最後の逢瀬を準備したつもりだった。なのに実際はこの顛末。


「上手く、いかないものだな」


 ポツリと呟いた言葉に、男は顔を上げる。


「……それでも私は、彼女の最後の行動の理由が知れて、よかったと思います」


 彼女は最後まで、己と生きようとしてくれた。心中などではなかった。それを知れただけでも満足だと男は語る。


「女の遺骨は未だ深泥池の底だ。丁重に弔って、それで市場の菓子屋の店主に持って行ってやれ」


 とりあえず送っていく、明日は物忌(ものいみ)と称して休め、と必要なことは言って、男を帰した。




□□□




「昨晩から釈然とせえへん顔して。どないしたん?深泥池の怪は解決して、万々歳やん」


 翌日の逢魔時(おうまがとき)

黛と共にまた深泥池へと訪れた聖。

 池の淵に腰掛け、じっと北の山を見る。

 森林から、大きな目玉がこちらを見つめていた。

 それらはいくつも木々の隙間から顔を出し、聖を見て言葉を紡ぐ。


『おいしそう』

『うまそう』

『くってやる』

『骨の髄までくろうてやる』


 それらは北の山に住まう鬼だった。


 聖を、今にでも食い殺さんと腕を伸ばす。しかしここは境界の地。弱いあやかしは簡単に入ってこれない。


「なんやの、どいつもこいつも弱っちいやつばっかや。そんなに童を喰らいたいんかあ?あはは、ざぁんねん。うちが先」


 黛が鬼たちに対し、舌を出して挑発した。

 聞こえたのかどうかは分からないが、鬼たちはざわざわと騒ぎ立てる。


「黛、挑発するな」


 聖はそんなさわぎたてる鬼たちを視た。どの鬼も、軽く刀を振るうだけで死んでしまう、弱い奴らばかり。

 しかしそんな鬼たちでも都に侵入してしまえば、人々は大混乱に陥り、死人も多数出る。

 風が聖の頬を撫でた。


「あやかしや妖怪がいなくなるのはいつだろうか」


 私の存在理由がなくなるのは、いつなのか。


 おそらくそれは、ずっとこない。



(一話目)深泥池の怪・終

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ