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紫石ノ詩  作者: 風魅
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深泥池の怪・2



 文をしたためた。

 深泥池の怪、その被害、正体等、正確に書き記した文だ。最後に聖の真名を書いたそれを貴族の男の家に届けた。


 待合場所は二日後夜の深泥池。

 男は何の疑いも持たずこちらにやってくるだろう。それほど、聖の真名には力がある。

 しかし、出来れば使いたくなどなかった。


 知り合いの男に借りた座敷にごろりと寝転び、天井を眺める。


「気分が良くない。ここまで来て頼るのが私の名だというのが胸くそ悪い」

「まだ言ってる。ええ歳やねんから拗ねんのやめたらどうやの」


 黛は机の上に置かれた湯飲み茶碗から水をぺろぺろと飲み、未だにいじけたままの聖を半眼で見つめる。

 途端、ガラリと襖が音を立てて開いた。


「聖さん今ひま?」


 そう言って座敷に入って来たのは、聖と同年代に見える少年だ。髪は所々はねていて快活そうである。この屋敷の家主だ。


「……何の用だ、実丸(さねまる)


 しかし聖は、実丸と呼んだ少年の方へ見向きもせず、天井を眺めたまま返事をした。


「うわ……久々に都に戻ってきたと思ったら珍しく機嫌が悪そう……。なにこれ。どういう状況です……?」


 実丸は思わず近くの黛に目線を寄越す。


「ただの自己嫌悪や、ほっとき。で、どないしたん。飯か?」


 呆れたもの言いをし、代わりに返事をする黛。実丸は大きな間をあけて口を開く。


「いや、あの、調べておいてって言われたやつ、持ってきたけど……暇じゃないならまた後で……」


 そこまで話すと、聖は急にむくりと体を起こした。じろりと実丸の方を見たため、彼の体がビクリと揺れる。


「霧崎家のか」

「そ、そう。それ」

「見せろ」


 まだ外は明るいにも関わらず、聖の瞳が淡く紫に光るのを見た実丸は、ごくりと唾を飲み込んで腕の中にある紙を渡した。

 聖は紙をすぐ机の上に広げる。そこにはここ数年、霧崎家が行った出来事の数々が記されていた。


「調べた限り、神様への干渉はなかったよ。あやかし退治はそこそこだけど、四十年前に比べたら全然少ない。やっぱり、現当主の霧崎左衛門佐朔馬が現役だった時代が霧崎家にとっての全盛期かも……」

「アホ丸。その名、口に出すんやない。こいつの機嫌もっと悪くなるやろ」


 ゲェ、と言って実丸は口を閉じる。

 聖の前で『霧崎左衛門佐朔馬』という名を口にしてはいけない。

 それは聖のことを知る者らにとって、暗黙の了解である。

 だが運良く聖は紙の文字に釘付けで、実丸の言葉はよく聞いてなかったようだ。


「.......目立った動きはないな。それならいい」


 ほっと一息ついて傍の湯飲み茶碗に入った水を一気に飲み干す。どうやら聖が危惧していたようなことはなかったらしい。


「大丈夫なんじゃない.......?当主が病で伏せてる今の霧崎家に神様への干渉が出来る力はないだろうし。あやかし退治の数も少ないから、聖さんがそう危険視しなくても」

「いや、あの家は何をしでかすか分からない。油断はしないに限る」


 紙を畳んで懐にしまった。これは後で燃やすつもりである。


「全く、最近じゃあ武装した人間たちも騒がしそうだし、おちおち夜歩きも出来ないよ」

「なんやアホ丸。野衾(のぶすま)のくせに人間が怖いんかぁ?そらあやかしの風上にもおけへんで、この小心者」

「なっ! 違いますよ姐さん!人間が怖いんじゃなくてですね.......」


 なにやら言い繕う実丸だが、ゴホンとわざとらしく咳き込んだ。


「と、とにかく渡したからね聖さん。なので約束のものを.......」

「あぁ、刀で.......はダメだな。お前が失神するから」


 聖はそう言って着物の襟元を緩めて首筋を晒す。


「数年は調べてもらったんだ。遠慮するな。野衾は血を飲まないと生きていけないんだろう」

「ぐぬぬ……本当に申し訳ない……」


 野衾は、人や動物を襲っては血を飲むことで生きながらえるコウモリの妖怪の名だ。

 しかし実丸は小心者で、刀や血を見ると失神してしまう、とても妖怪らしくない存在である。

 ここしばらくは獣の血を飲んで、飢えを凌いでいたらしいが質が悪いのだとか。

 実丸は正面から聖の左首筋に鋭い歯を突き立てる。ぷち、と肌を突き破る音がして、実丸は貪るように赤い血を啜った。


「なあ童。それ痛くないん?野衾の歯って普通より尖ってて、死ぬほど痛いって聞くんやけど」

「何度もしてると慣れるもんだ。それに実丸には諸々世話になってる。これくらいはどうってことない」


 ぽんぽんと実丸の背を叩く。だいぶ血を吸われているがそれでも実丸は離れない。


「だめだなこれは。随分飢えていたのか……」

「あんたは自覚してないようやから言うんやけど、あんたの血肉、そこらの人間よりよっぽど霊力宿ってんねんで?あやかしなら喉から手ぇ出るほど喰いたい存在や」

「ああ、道理でお前が喰らいたいわけだ」


 聖は納得して、もう一度実丸の肩を叩く。それでも離れない。完全に理性が飛んでいるようだ。


「だからなあ、こんの若輩野衾が先に何度も童の血肉を貪るのは見てて怒りが湧いてくるわ。うちも丸呑みして前みたいな力取り戻したい、よっと!」


 怒り任せに黛は実丸の側頭部を尾で殴る。

 ただの蛇ではない黛の膂力をもろに受けて、実丸の身体はすっ飛んで近くの壁にぶつかった。それはもう綺麗に。


「いっ……て……?!へ……?な、にが……。うわあ!?聖さんごめん!」


 だらだらと首筋から血を流す聖を見た実丸はすぐ正気に戻って、顔を青くする。

 聖は右手で傷口と血を隠すが、その隙を黛が見逃すはずもなく、流れ落ちる血を舌で器用に舐めた。


「いや、いい。それより黛がすまないな。せっかくの飯を邪魔されてさぞ不満だろう。まだ喰うか?」


 聖はよく、実丸のことを弟のように扱う。それが実丸にはむず痒いような嬉しいような、そんな感覚がして照れてしまう。


「も、もういいよ! さすがにこれ以上貰ったら聖さん倒れそうだから」

「ん? そうか」


 黛を追い払い、聖は傷口を手拭いで止血する。それはもう手馴れた作業のようで、迷いがない。

 実丸も急いでさらしを持ってきて聖の首元に巻いた。


「せやアホ丸。ついでに秘蔵の酒持って来てや。あんのは知ってんねんで」

「うっバレてる……」


 あれ高いのに……と実丸はぶつくさ呟いて障子の向こうに消えた。

 彼がいなくなったのが分かると、聖は壁にもたれて深く息を吸う。そして静かに吐いた。

 よく見ればじっとりと額に汗をかいている。次第に肩で息をするようになった。


「童、無理したやろ。吸われすぎや」


 黛は聖の指先に体を寄せる。ゾッとするほど肌が冷たかった。


「……実丸は、命張って……霧崎家を、調べてくれたんだ……。これくらいの対価、安いものだろう」


 霧崎家は術師一族だ。攻撃手段を持たない実丸が見つかれば、即退治されてしまうだろう。

 だからこそ実丸が満足できる血の量を与える。それが、聖が示せる最大限の誠意だった。


「もう話さんでええわ。寝転がって目ぇつぶり。その体勢が一番楽やろ。アホ丸帰ってきたら上手いこと言い訳しといたるから」

「……すまん」


 聖は横向きに寝転がって目をつぶる。すると自然に眠気がやってきた。

 いつもなら警戒して深く眠ることはしないのだが、ここまで血が足りないとどうしようもない。

 刀だけは左手に、いつでも抜けるように手を添える。そしてすぐに意識がなくなった。


「ほんと、馬鹿やね…………、」


 黛は静かになった座敷で、ポツリと聖の真名を呟いた。



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