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紫石ノ詩  作者: 風魅
3/14

深泥池の怪・1


(一話目)深泥池の怪




 閑散とした村に男がやって来た。

 少しよれた裁着(たっつけ)、腰には無骨な太刀を差し、編笠を被っている。


 歳は十代半ば頃。若い男だ。髪は結っておらず、身寄りのない放浪者のように見えた。


 しかし、瞳には強い意志。年相応と思えぬほどの思念が宿っていた。

 彼の名を、聖という。


「おっ、ヒジリさんかい」

「また来たのか。もの好きだねえ」


 田畑を耕す男たちが気付き、声をかけた。どうやら顔見知りのようである。


「また世話になる。巫女様は」


 編笠を脱いで挨拶をし、とある人物の居場所を聞く。すると男たちは山の裾を指さした。


「巫女様はいつものお堂だ」


 それを聞いて聖は、挨拶もそこそこにしてそのお堂へ向かった。




 村のお堂は小さくとても古びていて、床は時々軋む。

 屋根は雨漏りがするたびに応急処置として板を施される程度で、万全とは言い難い。

 そんな場所でも聖は丁重に一礼し、草履を脱ぐ。

 すると中にいた人物がこちらに気づいた。


「また来てくださったのですか。聖様」

「お嫌ですか、巫女様」

「いえ、そうではありません」


 お堂の奥。そこで山の方角へと祈りを捧げる女性は困ったように、お堂の隅で正座をする聖を見て笑った。


「本日も、産土神様(うぶすながみさま)に献上品を。そして村人達には米を持ってきました。お納めください」

「毎度のことながらありがとうございます。カカチサマもお喜びになられているはずです」


 巫女はにこりと微笑みを返す。聖も目を伏せて頷き返した。


「村はお変わりありませんか」

「はい。私が幼い時よりもずっと良くなっていますよ」


 だから、そのようなもの悲しげな目をなさらないでください。

 そう言われても、聖の顔は変わらない。聖の瞳はおよそ人が持つ色彩ではなく、よく見れば瞳の光彩は淡く紫がかっていた。


「短いご挨拶でありましたが、私はこのあたりで失礼します」


すっと立ち上がると、巫女も慌てた様子で立ち上がる。


「もうご出立なさるのですか?せめてうちで一休みされては」

「いえ、あまりご迷惑をおかけするわけにもいきません。よそ者が長く止まっては、産土神様もあまり良い顔をなされないでしょう」

「そんな、ことは……」


 巫女の呟きははっきりとしなかった。視線もさまよう。


「何度も言っているはずですよ。同情なされないでください。まして、この産土神様の巫女姫ともあろうお方が」


 まるで突き放すように話す聖の言葉に、巫女は口を噤んだ。


「これは私の贖罪なのです」


 キィ、とお堂の扉が不快な音を立てて閉まった。




 いつもこの村の田の畦道を通るたびに聞こえて来る子供の声。今日もその声が聞こえてきた。


「知ってっかー? カカチサマっていっぺん死んじまったらしいぞー!」

「はあ? ウソつけ。産土神様がそう簡単に亡くなられるわけがないだろ」

「ウソじゃねぇって! 四十年くらい前に殺されたって俺聞いたんだ!」

「ばっ!? 恐れ多いこと大声で言うんじゃねぇ!」


 子供らは何やら昔の噂話を話しているようだった。


「ホラ吹いてんじゃねぇだろな!?」

「親父が言ってたんだ! きりさき……なんちゃら、さくまってやつが、カカチサマを斬ったって!」


 ……霧崎 左衛門佐 朔馬。

 その名前に反吐が出る。


「霧崎家……私は、許さない」


 聖は静かに唸った。




 時は平安。

 都を奈良から京に移して313年。嘉承二年(西暦1107年)。鳥羽天皇が即位した年。まだ五歳の鳥羽天皇に代わって政権を握るのは白河法皇だ。


 朝廷は人別支配を放擲し、富豪層は次第に力をつけ、一般百姓は富豪層の支配下に組み込まれた。

 そして富豪層は自衛のために武装し、武士へと変貌していく、そんな時代。


 しかし神々は未だ根付き、魑魅魍魎は跋扈したまま。

 妖怪退治を専門とする陰陽師は、およそ百年前に存在していたとされる加茂忠行や半妖術師、安倍晴明らが全盛期で、それ以来は各々力を持っていない。


 代わりに台頭したのは、霧崎家。

 家自体は陰陽師と名乗っているものの、その実態は薄暗い術師一族である。




 聖は京の東市を見て回る。

 道には商人が看板を立てて物を売り、籠を頭に乗せた市女が往来する。

 食べ物はもちろん、衣服や珍しいものまで幅広く扱っている。都が発展したのも、この市があってこそなのだろう。


「干しなつめ、ひと袋」


 いつもの店でいつもの菓子を頼む。店主は無口な男で、根無し草の聖の事情に深く突っ込むことはしない。年齢に見合わない立派な太刀を腰に差しているから、関わりたくないのかもしれない。だがそれが丁度良くて、聖はいつもこの店を利用している。

 しかし、今回ばかりは違った。


深沼池(みどろがいけ)に近づくな」


 一度も店主の声を聞いたことがなかったため、反応が遅れる。


「深沼池……。都の北の果てか」


 下賀茂神社より北に位置する池。あの付近は人の手が加わっておらず、まず人は寄り付かない。


「各地を旅しているらしいお前は知らんだろうが、その池周辺で男が何人か、行方が知れない。安易に近づかないことだ」


 ぶっきらぼうに答える店主。しかしその内容に眉をひそめた。


「穏やかじゃないな。人攫いか? 役人はどうしてる」

「さあな。噂によれば、あやかしや妖怪の類の仕業だとか」


 あやかし。


 受け取った多めの干しなつめを手ぬぐいで包み、腰に下げる。


「なるほど。それではいくら腕が良くとも無理だろうな。肝に銘じておく」


 目を伏せ、淡々と応答して店を去った。

 市場はまだ賑わっている。人々の活気で明るい。

 しかし人々はその影にある薄暗さなど、見向きもしないのだ。

 さきほど買った干しなつめを一口齧る。甘い味が口に広がった。





 あやかしと聞いて黙っていられるほど、聖は冷たくない。

 鴨川沿いを北へ上り、下賀茂神社を右手に見つつまた上がると深泥池に着く。

 この場所はあの世とこの世を分ける境界の地である。沼より北は山ばかりで人が踏み入れるような場所ではないからだ。

 夜の沼の近くにはポツリと、とある貴族が造ったとされる地蔵が立っており、余計気味の悪さを際立たせる。


「.......陰気が濃い」


 まだ夏の暑さも残るというのに、この場所は薄ら寒い。ザワザワと近くの木々が風で揺れる。


「もし」


 左の耳元で、女の声がした。

 同時にひやりとした感触が首元にへばりつく。それが手のひらだと分かった頃には、脇から黒髪の美しい女性に顔を覗き込まれていた。


「ふふ。あなた、いい男。ねえ、私と、」


 かちりと、刀の鯉口を鳴らす。すると女は泥のように解けて、びちゃびちゃと地面に水音を滴らせた。

 空いた右手で首元を拭う。べったりと水気が肌を濡らしている。


「呆気ない。これが件のあやかしか?」


 聖が鳴らす鯉口の音は、神職が鳴らす拍手と同列だ。それだけで力の弱いあやかしや霊などを祓えてしまう。

 だが、今回は手応えがなかった。あやかし、というより思念に近い形だ。そんなやつが果たして人を攫えるのか。


 腕を組み考えていると、右足に何かが巻き付くような感触がして、また刀に手を伸ばす。

 しかし途端に右足を強い力で浮かされて、がくりと尻もちをついてしまった。

 瞬く間に刀の柄を抑えられてしまい、首には長い紐のようなものが巻き付き、気道を押さえる。


「なんや色男がおる思ったら、童や。久しいな?」


 チロチロと赤い舌が見えた。大きな蛇だ。蛇は聖の四肢を拘束し、訛りの強い京言葉で語りかけた。

 返事をしようと試みるも、気道をキツく抑え込まれ声が出ない。


「えぇ? 声が出ぇへんて?珍しく油断するから悪いんや。ふふ、かわいい童。そのまま首絞めて喰ろうてしまおうか?」

「.......ふざけるな。斬り刻むぞ」


 紫の双眸が、強く光を発する。

 それを見て蛇は目を細めた。


「なーんや。声出るやん。面白ないなあ」


 蛇は即座に胴体をほどく。聖はゲホゲホと咳き込んで蛇をまた睨んだ。


「そう睨まんといて。油断した方が死ぬって言ってたん、あんたやろ?」

「.......巨椋池(おぐらいけ)に棲むお前が深泥池なんかにいると思わないだろう。いいのか?池から離れて」


 巨椋池とは、京の南に位置する大きな池だ。この蛇はそこに棲むあやかしで、これでも昔は力が強く、人間を喰い散らかしては恐怖に陥れていた。

 だがいつかの日、聖がとある下級貴族に依頼され、身の丈を軽く超える大蛇を始末した、はずだった。


「心配してくれるん? 九割殺して、けったいな印つけて式にしたん、童の癖になあ」


 聖の顔に頭を近づける蛇。


「ぬかせ。便利な式がいなくなるのかと思っただけだ」


 それでも聖は冷たく返した。蛇は(わら)う。


「そう心配しなさんな。これでも力取り戻した方なんやで?そこらの雑鬼なんか丸呑みや」


 聖は余裕綽々な蛇を一瞥して立ち上がる。このような蛇に構っていては時間の無駄だ。全てを無視して池に近づく。


「あーん、袖に振らんといてよー。はいはい、うちがここにいた理由やね」


 蛇は無視されたことが嫌らしく、聖の背後から首に巻き付く。今度はきつく締めることなく、聖の頭に頭部をちょこんと乗せた。


「至極簡単や。ここらへん、嫌な空気が漂ってるって噂でなあ。あんたどっかいってるし、代わりに探索しといたろ思って」


 嘘やないで?とくすくす笑う。

 この蛇は陸の蛇というより水蛇だ。ミズチ寄りのあやかしである。そのためか沼や川の変化にはとても敏感だ。

 正直、ここにいてくれて良かった。聖のみではさすがに池の詳しい状態までは分からない。


「いつからここにいる」

「三日前かなあ。嫌な空気はあんのに、ついさっきまで全然変化なかってんで?童が来たら動きがあった」


 つまり男が池に近付くと、あの女のあやかしが姿を見せるらしい。


「あやかし、というより怨念。首筋に触れられた手は雪のように冷たかったから、霊に近いだろう」


 そう考えを言うと、蛇は先程まで濡れていた首筋をチロチロと舐める。


「えー、どうりで泥臭いにおいする思ったら……。この童はうちのもんやで。いつか丸呑みしてその綺麗な目ん玉、一生愛でるって決めてんねんから、上書きしといたる」

「勝手に決めるな」


 首筋にあたる舌は適度に生暖かく湿っている。冷たいよりかはマシだがくすぐったい。


「女の怨念なんて、ろくなもんちゃうやろ。十中八九、恨みか嫉妬。男しか狙わんのやったら決まりや」


 好いた男を探して一緒に死のうとしている、と。

 蛇の予想も念頭に置いて沼を覗き込む。月明かりが水面を照らすが、底までは見えない。


(まゆずみ)、潜れるか?」


 蛇の名を、呼んだ。

 名というものは言霊において一番短い呪である。昔は、名を他人に知られると死ぬとされていた時代もあったほどだ。今でも名は重要で、神に知られれば隠される。

 だからこそ名を呼ぶ。蛇の本当の名ではなく、所有を意味する聖が付けた式の名を。


「...しゃあないなあ。今度なんか見繕ってや?」


 蛇の黛はするりと聖から離れて沼の中へ潜る。

 しばらく沼のそばで座って待っていると、小半刻も経たずして黛の頭が水面から浮かび上がった。


「やっぱり、うちの想像通りや」


蛇はニヤリと笑う。


「やはりあったか」




 沼の中には、男三名の死体と骨になった女の死体が沈んでいた。



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