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紫石ノ詩  作者: 風魅
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序章・上


(序)



 堕ちた神、というものは人に畏れられるものであります。

 山を荒らし、病を蔓延させ、飢饉をもたらす。

 大昔は、八岐大蛇などもその分類で、討伐されたと伺いました。

 それでも、神は神。その力は人がかなうものではありません。

 倒したとしても穢れは身に残り続け、身体を蝕みます。

 触らぬ神に祟りなし、と格言にもあるよう、触れぬことが第一だと、皆そう考えておりました。



 しかし、私たちが倒さぬならば、堕ちた神を斃すのは一体誰なのでしょうか。




□□□




 京の都から遠く離れた森の中。そこにひっそりと私の住む村はありました。

 水源豊富で、日当たりもよく、過ごしやすい土地であります。旅商人らも度々訪れるほどに、少し発展した場所です。


 この村に住む父と母から、二番目に生まれた娘の私は、妹や弟を養っていくため、森の中で毎日昼餉後、木の実を摘むのが日課でありました。


 今日も底の薄い編み籠を持って、川のすそをさかのぼります。

 上を見れば木々はひしめき合い、下を見れば大きな石がゴロゴロと転がっており、大変歩きにくい道です。道、と言っていいのかは私には分かりません。

 しかし、人が訪れにくい場所に、よく木の実がなっていることを私はよく知っています。

 暑い日でありますが、川の水は冷たく、木の影は心地よいものです。


 そんな中を歩いていますと、森は少し開け、大きな滝が見えました。ゴツゴツとした岩肌を滑り落ちるように流れる水の勢いはものすごく、とても壮大です。この場所を知っているのはおそらく私のみで、誰も訪れないこの清らかな滝は、私の秘密の場所です。


 しかし、今日は違いました。


 滝壺の池の脇の、浅いところに若い男の人がおりました。

 足首までを水に浸し、冷たい水で顔を洗っています。傍の平らな石の上に、小さな旅道具と刀が置いてありました。

 村の者ではありません。旅のお方でしょうか。


 木陰からその様子を伺います。

 すると男の人はこちらへ目を向けました。気付かれてしまったようです。

 声もかけずに、出歯亀のように見てしまったことを恥ずかしく思い、顔が思わず熱くなります。

 しかしその男の人の瞳が、薄く紫がかって見え、少し見とれてしまいました。


「近くの村の者か?」


「あ、はい。申し訳ありません。決して覗こうと思ったわけではないのですが……」


 おそるおそる木陰から出ると、彼は刀を腰に携えます。

 髷は結っておらぬようでざんばらですが、その方が似合う人のようです。着物は少しよれており、やはり旅人なのでしょう。


「この土地は良い。水も豊かで樹もよく育っている。ここに来て当たりだった」


 村のことを褒められているのだと気付き、私は嬉しく思います。


「はい!これもヤマガミサマのおかげです」

「ヤマガミ……この土地に奉られている神の名か?」

「はい。この滝の裏の、山に住まう神様だと伝わっております」


 山の木の実や、川の水、魚などをもたらして下さった神様です。村に住む私たちは、それはもう大変敬っております。


「人に良いことをもたらす神か。まだ良い神らしい」

 彼の言い方に少し疑問を覚えます。

「良い神ばかりではないのですか?」

「ああ、もちろん。人に害を及ぼす神もいる。私が知る限り、村一つを滅ぼした神もいた」


 冷や汗が流れました。神というのは、等しく人を守る存在とばかり思っていましたから。


「堕ちた神ほど厄介なものは無い。撒き散らすのは恩恵ではなく、穢れと滅びだ」


 そう言って編笠を被る男。着物の裾から覗く腕は鍛えられていて、武芸者であることが伺われます。


「あなたは、一体……」

「名は、聖。このとおり旅をしている者だ」


 ヒジリ。聞いたことの無い響きです。文字書きをしていないので、どのように書くのか、見当もつきません。


「わたしは、」

「まて、真名は言うな。ここは思ったより神に近しい場だ。万が一、神に名を知られたらまずい」


 神に名を知られると攫われる。それは昔から伝わるお話です。


「……あけびとお呼びください」


 好きな花の名を答えます。秋に採れるあの実はとても美味しいのです。


「ということは、ヒジリ様も真名ではないと?」

「通り名みたいなものだ。真名ではない」


 通り名。あだ名みたいなものでしょうか。

 どのようにして付けられた名なのか、私には分かりません。

 ヒジリ様は私の籠をじっと見つめ、口を開きます。


「実を摘んでいる最中だったか。終わってからで構わないから、良ければ村まで案内してくれ。宿があれば重畳だ」


 どうやら、私の村へお泊まりになられるらしい。

 旅商人の方がよく利用する宿が一件だけありますので、そちらをご紹介しようと決めました。


「はい!分かりました!」




 実を摘んでから山を降ります。

 ヒジリ様は寡黙な方で、あまり話を致しません。

 他の村の様子はどうですか、と尋ねてみても、簡素な物言いをなされます。多くを語らない人のようです。旅商人の方はあんなにもおしゃべりだと言いますのに。


 日も暮れかけ、村の人達は家路を急ぎます。

 私も少し急いで、ヒジリ様を宿へ案内致しました。


 その後、少しだけ重くなった籠を抱えて歩いていると、本日ここへいらっしゃったらしい旅商人が私に声をかけます。


「そこの。さっき案内した男の名は聞いたか?」

「はい。ヒジリ様とお伺いしましたが」

「やはりか。奴にはあまり近寄らん方がいい。嬢ちゃんのためだ。念の為、川で身を清めろ」


 なぜか。

 そう聞こうと思いましたが、旅商人の方はそそくさと宿にお戻りになりました。


 私はその夜言われた通り、川の水で身を流し、床につきます。

 いつも通りすぐに寝ることは出来ましたが、何故かその日、不思議と目が覚めてしまいました。

 外を見ると、空には星がきらきらと光り、今にでも落ちてきそうです。誰の声も、物音も聞こえません。

 草木も眠る丑三つ時。そんな時間です。


 少し空を見てうつらうつらとしていると、外で何か動きました。

 獣の類いでしょうか。猪なら、畑が食われ大変なことになります。それだけは避けねばなりません。

 皆を起こす方が良いのかと思案しますが、それは杞憂でした。


 外にいたのは、昼間に出会ったヒジリ様です。ヒジリ様は、まるで風の音を聞くように、目をつぶり、突っ立っておられます。

 何をしているのか、気になってしまうのが人の性。私は家を出て、声をかけます。


「こんな夜更けに何をしていらっしゃるのですか」


 そう聞きますが、ヒジリ様は私の言葉を聞き流し、とある方向へ歩いていきます。


「あの、なにを……。夜の山はあぶのうございます」


 身を案じるように言いますが、ヒジリ様はポツリと言葉を零します。


「あやかしの声を聞いていた」

「あやかし……」


 物の怪、妖怪の類い。人に害をもたらす悪なるもの。それの声を聞いたという。


「ヤマガミの領土なるこの村にあやかしが出たと言うならば、神は乱心したか……?」

「それは、どういう……」


 しかし深く言わぬまま、ヒジリ様は山の中へ駆け出していきます。


「待ってください!」


 私は思わず追いかけました。

 夜の森は危険です。この村に住む人でも立ち寄らぬその森に、今日来たばかりのあの方では道に迷います。


 ですが先に、私がヒジリ様を見失いました。明かり一つない森。聞こえるのは木々のざわめきのみ。

 あの方がどこに進んだのか、まるで分かりません。仕方なく、村に戻ります。


 途端、ドサッと何かが落ちる音が聞こえました。重い物のようです。遠くの、小さな音でしたが、静かなこの土地ではよく聞こえます。


 森の入口で少し待っていると、ヒジリ様が戻ってきました。無事であったと喜びますが、ヒジリ様の持つ刀は、濡れておりました。


「大きいあやかしだった。だが安心しろ。すぐに倒した。血も川で流したし、穢れはない」


 足が、すくんでしまいました。あやかし、というのは実際目にしたことはありませんし、抜き身の刀も見る機会があまりありません。


 私の知らない世界が、すぐそばにありました。





 翌日、あれは夢ではないのかと思いました。

 ヒジリ様の、人ならざるような佇まいが印象に残ったからです。

 もしかしたら、ヒジリ様自体私の夢なのではないか、とも考えましたが、村に滞在している旅商人と話している姿を見かけましたので、そうではないようです。


 不気味な夜でしたが、ヒジリ様を怖いとは思いません。



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