プリクトの政権交代
ウォルが死の魔王を討伐した日の深夜、プリクト王国の首都ガザにある王城で幻影の魔王ヤークティヒはすでに動いていた。
城内の警備百五十名いる衛兵は目の前を歩く魔王に関心を示さない。
「僕の部屋ってどこだっけ?」
「四層の最上階ではありませんか」
「風邪だからかな、案内してくれよ」
あまつさえ、衛兵は魔王を国王と思い込み国王の寝室に案内してしまう。
一切騒ぎを起こさずに魔王は国王の部屋にたどり着き、部屋に踏み込む。
「何者だ? ここがどこか知っていての狼藉か?」
「僕の名前はヤークティヒ。この国の新しい王だ」
「何をふざけ――、その角と翼、お前は魔人か」
「不正解。僕は魔王だよ。幻影の魔王ヤークティヒ、お前を殺して成り代わってもいいんだけど、誰かのフリして国を操るのは面倒なんだよね」
「衛兵、魔人だ! 魔人の襲撃だ!」
プリクト王は緊急用の連絡管を使い、城内にいる護衛に連絡を取るが、国王の言葉に反応する物は誰もいない。
「無理無理、この国にいる誰にも僕とお前の声は届かない。ほら君の伴侶かな? こんなに騒いでいるのに、起きようとしないだろ?」
「アリス! 目を覚ませ! 今すぐここから……ひっ!」
国王が王妃の肩を揺すると王妃の首がコロンと床に落ちる。
そんな幻を見た。
「ビックリした? 一つ教えてあげると、今の幻を現実にする力が僕にはあるよ」
「これでも私はプリクト国王だ! 相手が魔王でも怯むことはない……」
瞬きする間もなく国王の両腕は地面に落ちる。
悲鳴さえ忘れる衝撃の直後、落ちた腕は自分の体に戻っていた。
「力の差は感じてくれた?」
国王が構える剣に魔王は近づく、体に触れる剣先は玩具の様に反り返り傷一つ付けることはできない。
また次の瞬間には魔王は元の位置にいて剣も真直ぐと魔王に向いている。
幻影の魔王の幻に押されながらも、国王は王としての誇りだけで魔王に向かい合っている。
「流石国王、まだ耐えるんだ。それならどこまで心を保っていられるか試してあげるよ」
国王が突如感じたのは体を襲う浮遊感。
焼けるような太陽の光を浴び、地上に落下する。
雲を突き抜け、眼前に広がるのは針の草原。
そこに触れる瞬間また景色が変わる。
手足を封じられ魔獣がひしめく森の中、ゆっくりと近づく魔獣が牙を突き立てる寸前、また世界が切り替わる。
煮えたぎる鉄の真上に吊るされ、その中に落とされる。
「やめてくれ! わかった、明け渡す、明け渡すから助けてくれ!」
それから十を超える死に落ちる経験を経て、国王は埃を捨て懇願する。
その願いが届き、景色は元の自室に戻る。
情けなく腰を抜かし、手や足は激しく震える。
「流石、こんなに耐えたのはお前が初めてだ。それはそうと、約束は守ってね。もし嘘だったら次は現実で同じことが起こるから。お前とそこで何も知らずに寝てる女と一緒に」
そう笑う魔王に国王は畏怖を覚える。
言い伝えでしか聞いたことのない魔王という圧倒的な恐怖。
こんなものと戦い生き延びていた過去の人間たちはどれほどに勇ましく、今の人間たちがどれほど矮小な存在なのかと自問する。
「明日がいいかな。理由は何でもいいや、後は僕が国民に幻を見せるから。それじゃあまた明日。その辺で僕は寝させてもらうから。この部屋での最後の夜なんだからゆっくり眠りなよ」
魔王が部屋から出ると、国王は放心した。
魔王に付き従う以外に自分や妻が生き残る道はないのだと理解し、気がつくと夜は明け太陽が昇っていた。
†
その日正午、城の前にはガザに住む住人が集まる。
早朝に各家々に国王が退任するお触れが出された。
「プリクト国民の諸君。この度は急な招集にも関わらず集まってくれて感謝する。この度、余は国王の座を真の国王ヤークティヒに明け渡す」
審議を疑っていた国民が一斉にざわめく。
傲慢でありながら、その傲慢さに引けを取らない程の能力を持ち合わせているのがプリクト国王アイゼン・ベルガモットだ。
そんな彼がこんなこという異常事態に国民がざわつくのはしかたのないことだった。
「皆さん、初めまして。僕がプリクト国の新しい王、ヤークティヒです。突然の事で驚いている皆さんの心中は察します」
魔王の言葉に国民は口を閉じた。
それは決して魔王のカリスマがなせる業ではなく、魔王としての能力だ。
「僕はガチャを引き、王を引き当てていたんですが、ここに居る前国王に結果を奪われてしまいました。そのせいで僕は国を追い出され今日まで放浪の旅に出ていました」
「なっ!?」
「酷いと思いませんか? 僕が泥水を啜って生きている間に、この男は僕の立場を使い贅の限りを尽くしていた。そんな彼に僕は罰を与えたい」
アイゼンが歯噛みする中、魔王は嬉しそうに笑う。
少し考えればわかる違和感だ。
この魔王の見た目は二十そこそこ、俺の半分の年齢なのに、なぜ誰も疑わない。
そんな見た目の問題は幻影の魔王には関係ない。
違和感を無くす幻を作ればいいだけだ。
見る人達にそう認識させるだけでいい。
「また、幻か? 幻だろ!?」
「残念。これは全部現実。なんならここから飛び降りてみる? 幻だと信じてるなら地面に落ちる前に目を覚ませるよ」
幻とわかるほころびをアイゼンは探す。
しかしそんなものは今この場にあるはずもない。
「この声が聞こえるかな?」
「あいつが王の座を奪ったのか?」「酷い。そこまでして王の座に座りたかったのか?」「最低」「死ねばいいのに」
魔王の幻であつまった国民から投げかけられている怨嗟の言葉に、アイゼンは救いを求めるように自分の妻を見る。
「あなたを選んだのは私の汚点ね」
とどめの様に吐きかけられる言葉にアイゼンの足は揺らぐ。
城の端でよろけたアイゼンに衛兵も妻も駆け寄るが、彼にはそれが自分を突き落とそうとしているように見えてしまう。
「さようなら」
城壁から落ちたアイゼンはそのまま城の周りにある水路に落下した。
「兵士さん、申し訳ありませんが彼を助けてあげていただけますか? これまでこの国を支えていた方ですから」
衛兵をその場から離す魔王は国民に甘言を与える。
「国民の皆さんにお伝えしたいことがあります。皆さんが今行っている戦争を終わらせようと思います。それは国民の皆さんに参加しろというわけではありません。寧ろ皆さんは何もしなくていい。家族と共に暮らし、畑を耕し、狩りに出る。そんな穏やかな生活を送っていただきたい。ハイネスと戦うのは僕が旅の途中で知り合った兵が行います。調教師の友人とと共に、いつこのプリクトに帰ってきてもいいようにと戦力を集めていました。だからもう心配することはありません。僕がこの戦争を終わらせますので安心して平和な日常を過ごしてください」」
その甘いだけの言葉に国民は歓喜の声を上げる。
小競り合いの続く戦争は国力を大きく下げていた。
そのせいで進む貧困化がこれで止まると国民は信じていた。
「僕が来たからもう大丈夫です。皆さんは安心して生活してください」
笑顔で繰り返される言葉に国民は完璧に騙されてしまう。
され、これで僕の立場は問題ないな。
ココリに封印された時の様に派手に動かず、ゆっくりと世界を侵食しよう。