55話
一体どれ程の時間が流れたのだろうか。
千尋さんの魂が戻らないまま、1週間が経過してからは最早日付の感覚すらなくなってしまった。
今日が何日で、何曜日なのか……。
あの日から俺は一度も邪心を狩っていない。
「ねぇ……珪太。気持ちは分かるけど、ちーちゃんは必ず目を覚ますから……ボクとしてはもう少し邪心を狩って、珪太自身に強くなってもらいたいんだけど……」
ミカも毎日顔を出してくれる。
そんなミカが痺れを切らした様に言ってきた。
「あぁ……」
ミカの言い分も分かる。
俺自身も、そうすることが正しいと分かっているが、頭で理解出来ていてもそれを実行出来るかと言われるとなかなか難しいものがある。
「それにね、このままじゃ珪太の気も滅入っちゃうよ……」
確かにここ数日間で体重がかなり落ちた。
食欲が湧かず、丸一日何も食べずに過ごす日もある。
「あぁ……」
「ハァ~……」
俺の空返事に、ミカも打つ手無しと溜め息をつき、部屋を出ていった。
邪心を狩らずに、千尋さんに付きっきりって訳ではない。
家からは出ないが、俺はあることを試していた。
「スーッ………ハー……」
大きく深呼吸し、心を落ち着かせる。
閉じた目を見開き、両手を前に出してエネルギーを押し出した。
薄い光の壁が、半球状に俺を取り囲む。
千尋さんは目覚めても、必ず戦いに出るだろう。
いくら俺が引き留めたとて聞くような人ではない。
それなら俺は彼女を必ず守ると誓った事を、有言実行しようじゃないか……。
そう思い立ってから、俺はひたすら防御壁として使える魔法の練習をしていた。
これが思ったよりも難しい。
少しでも気が緩むと、防御壁は効果を無くしてしまう。
常に気を張らなくてはならず、このままでは邪心と戦う事など到底無理な話だ。
かと言って、瞬時に壁を作れる訳でもない。
だが数日間の練習でやっと形もでき、壁も薄いが強度を増すことができた。
初めの頃はただの光の壁とも言える様なモノしか作れず、光により視界も悪くなるし、実戦では次の動きが読めないので全く使い物にならないようなものだった。
薄くすることにより、光は発っさずに視界も良好になり、強度を増したとてエネルギーの消費も抑えられるようになったのだ。
「もう少し早く発動出来ればなぁ……」
もしくは、何をしていても常に発動状態に出来れば良いんだが……。
こればっかりは、練習して体で覚える外無いのだ。
◇
――ピチャッ……
――チャポンッ……
どこかで水が滴る音が聞こえる。
真っ暗な視界。
一筋の光さえない漆黒。
どれ程の時間が経ったのか。
私は何も考える事が出来ず、ただただうずくまっていた。
自分が誰で、何なのか……
ここが何処で、何故こんな場所にいるのか。
そんなことすら考えられない。
途方もない時間が経った時……
ぼんやりとした光の塊が目の前に現れた。
それが何なのか分からないけど、恐怖や好奇心などもないけど
”これに触れなくてはならない“
……無意識にそう思った。
光の塊に、そっと触れると……
暖かいものが一気に私の身体に流れ込んで来た。
「――!!」
『千尋。 この子の名前は千尋にするわ』
『千尋ちゃん、私達の元に来てくれてありがとう』
1人の女性が愛しそうに赤ちゃんを抱いている。
『はいはーい! ちーちゃん、ちょっと待ってね!!』
顔を真っ赤にして泣き叫ぶ赤ちゃんに、女性が駆け寄り母乳を上げている。
『えっ? 嘘ッ!? 今歩いた!?』
『あーぅー!』
テーブルに掴まり、1、2歩ヨチヨチとつたい歩きする赤ちゃん。
女性は感動して子供を抱き上げた。
『ちーちゃん、ランドセルとっても似合ってるよ!』
『えへへ! そうかな?』
真新しいランドセルを背負った少女は、自慢げに家族に見せて回る。
一人の女性の人生を映画で観ているような感覚。
成長していく過程を、ワンシーンだけくり抜き繋ぎ合わせたような……
時間にすればそれほど長く無い。
言わば走馬灯のようなものだろうか。
『一体何時だと思ってるの!? 高校生になってから遅くなりすぎよ!!』
『うるさいなぁ!! 私にも付き合いがあるの!』
『門限守れないなら、もうお小遣い無しだからね!!』
『……最悪!!』
『こらっ! まだ話は終わってないわよ!!』
女性の制止を聞かずに、少女は自室のドアを力任せに閉めた。
『私、一人暮らしするから。仕事も安定してきたし』
『えー!! お姉ちゃんだけずるーい!!』
『楓ははまだ高校生でしょ。お母さん心配性なんだから、あまり心配かけないようにね』
まだあどけなさが残る楓と言う少女は頬を膨らませたと思えば、急に笑顔になり姉へと抱き付いた。
『夏休み泊まりに行くからよろしく! どうせなら都心にしてー!』
『まったく……あんたは』
『ちーちゃん……。どうしよう……楓が……』
女性が病院に駆け付けると、年配の女性は膝から崩れ落ちてしまった。
『お母さん!! なにがあったの!?』
『バイトの帰りに襲われたって……。強姦されたうえに何度も刺されたって……。ちーちゃん……どうしよう……どうしよう……』
言葉を詰まらせながらも、必死に状況を説明する年配女性。
最後には泣き崩れ、最早聞こえるのは年配女性の嗚咽混じりの泣き声だった。
『キミの願いを叶えてあげるよ』
絶望の淵に立っていた女性の前に、1人の天使が現れた。
『お願い!! なんでもするから楓を助けて!!』
『ん? キミの妹は奇跡的に一命を取り留め、生きてるじゃない』
『違う!! あの子はもうボロボロなの……。このままじゃあの子はいつか死んじゃう……』
『具体的に、どう助けて欲しいの?』
『あの子の……襲われた日の記憶を消してあげて。一生思い出すことがなく、消し去って』
『記憶、ね~。本当は他者に干渉するのはダメなんだけど……。1日分の記憶が消えたところで差ほど影響ないからいっか~』
天使はニコッと笑い、女性の願いを叶えたのだ。
『千尋さん!! 千尋さん!!』
ある男性が現れた瞬間、ギュゥッ……と胸が締め付けられる。
『あぁ……!! そんな……!!』
グッタリと横たわる女性を抱き締め、悲痛の叫びを上げる男性に、何故か目頭が熱くなる。
「私……帰らなきゃ……。皆のところに帰らなきゃ!!」
そう叫んだ瞬間、一筋の光の道が現れた。
恐怖心は無かった。
何処かも分からない暗闇の中で、私はこの道を進まなければならない。そう確信した。
一歩一歩と進むも、何も変わらない景色が続く。
何処に続いているのかも、何が待ち受けているのかも分からない。
それでも私はこの果てしなく続く光の道を歩き続ける……。




