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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
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第四十七話 火焔と水氷

 熱波が放たれた直後、彼の体が餓鬼を彷彿とさせる甲殻に覆われていった。始まった。餓鬼化だ。それも、前回の暴走時のような半身のみだけではなく、全身が餓鬼化していた。


 ――さて、どうしたものか……。


 丈一郎は今一度フェルトハットを深く被り直し、薄く笑みを浮かべた。この状況に興奮を覚える自分がいたのだ。


「これが……餓鬼化……! 神に近づきすぎた愚か者の姿か! はは! なんとおぞましい! ははは!」


 バケモノへと変わりゆく蓮華を見て梶谷が狂ったように哄笑していた。が、その醜い笑みはすぐに消え失せる。

 カッと開いた蓮華の口先から火球が放たれた。梶谷は顔を強ばらせ、業血の盾を生成して迎え撃つ。火球と衝突した業血の分厚い障壁は跡形もなく消滅し、溶解した業血の穴から蓮華を覗く梶谷は、目を赤く光らせながら悔しさに顔を歪ませていた。


「僕の催眠がっ、効かない……ッ!」

「綾女さん、ガフタスさん」


 丈一郎に呼ばれた二人は、それだけで目的を思い出したように動いた。呆気にとられて固まっていた暮木を綾女が、ターヤンをガフタスが押さえつけて地面にねじ伏せる。綾女は電流を纏わせた業血の刃の切っ先を暮木の背中に宛がい、ガフタスはターヤンの腕を背中側で固定して頭を地面に押しつける。それぞれ身動きを封じるに留め、殺しはしなかった。


「正しい判断です。彼らまで殺してしまっては……蓮華くんがどうなるかわからない」


 蓮華は既に臨界点を超えている。これ以上彼を刺激すれば何が起こるかわからない。そんな恐怖。それを綾女とガフタスも感じ取ったのだろう。


「皆さんは離れていてください」


 丈一郎は一歩足を踏み出した。


「まさか……丈一郎様お一人で相手をするおつもりですか!? 丈一郎様の実力を疑うわけではありませんが、しかし()()は緋鬼の眷属……あまりに危険です! 僕も――」

「すみません、正直に言って邪魔です。巻き込まれて死にたくなければ離れていてください。それがあなたにできる一番の助力です」

「……ッ!」


 丈一郎の冗談を孕まない冷酷な声色に、梶谷は身の程を思い知ったように声を詰まらせた。

 これからの蓮華との戦闘を考えると梶谷に手出しされない方が丈一郎にとって都合がいい。このまま餓鬼教に蓮華を渡すわけにはいかないのだから。


 やることは明確だった。蓮華と戦いながら隙を作る。ただそれだけ。だが、骨が折れそうだった。蓮華を殺さないように――いや、果たしてそんな余裕があるのかどうか。もしかしたら、全力でも――


 命を懸ける緊張感。久しぶりの感覚だった。死の可能性を感じ取って、心が、踊っている。目的や使命なんて差し置いて、蓮華の力に興奮を覚えていた。


 蓮華は全身が真紅の甲殻に包まれ、手には鋭い爪が発達し、頭には角が生え、人間サイズの餓鬼と区別が付かないほどになっていた。


「さあ、蓮華くん。餓鬼化した君の力、お手並み拝見と――」


 再び氷刀を構え悠然と紡ぎかけた丈一郎の言葉は、しかし熱波にかき消された。そして悲鳴を上げたのは、梶谷だった。

 蓮華の手から放たれた見えない熱の波動により梶谷が弾かれ、再び教会の外壁に打ち付けられていた。さらに、呻く梶谷へと蓮華が飛びかかり、その鋭い爪を振りかざした。

 そのまま梶谷を蓮華に始末させても良かったが、しかし梶谷はまだ利用価値がある。今はその時ではない。丈一郎はすかさず蓮華の前に立ちふさがり、振り下ろされた爪を氷刀で受け止めた。


「私を無視ですか……恥を掻かせてくれますね」


 光を失った蓮華の目は何も反応を示さなかった。そこには怒りもない。憎しみもない――感情の排斥された殺戮ロボットのような様だった。

 牙の生えた口が大きく開く。そこには全てを焼き尽くさんとする渦巻く火焔があった。丈一郎はすぐさま地面から氷柱を生成し、その顎を下から突き上げる。放たれた火球は間一髪で照準がずれ、背後の教会の屋根を直撃。紅い爆炎が周囲を染め上げ、教会の上半分を溶解した。


「梶谷さまに何すんだぁあああああ!」


 怒りに触れた綾女が蓮華へと迅雷の弾ける業血を走らせた。蓮華は悠然と首を振り返らせ、迫る業血の刃を見つめた。ただそれだけで、稲妻の迸る鋭い業血が燃え上がり塵と化した。さらにその発火は導火線を辿るように綾女を襲う。


「うわあああああ!」


 炎に包まれた綾女は転がりながら暴れ回った。


「綾女様!」


 ガフタスが動揺して気が逸れた、その一瞬の隙をターヤンは見逃さなかった。拘束を振りほどき、起き上がりながら体を捻ってガフタスへと裏拳を叩き込む。咄嗟に腕でガードしたガフタスだったが、勢いに押されて突き飛ばされた。

 同様に綾女の呪縛から解放された暮木も起き上がり、ターヤンと並んで体勢を立て直して業血の大剣を構え直す。


「場所が悪いですね……」


 丈一郎は蓮華の側面から高圧の水を噴射させた。水圧に押された蓮華は流されるように宙に舞い、そして水の噴射が龍の如き濁流へと変化して蓮華を飲み込み、そのまま蓮華を攫っていく。


「ここは任せましたよ、梶谷さん」

「はい、お任せ下さい」


 砂埃に(まみ)れた梶谷がメガネを直しながら起き上がって答えたのを見て、丈一郎は教会を飛び出し蓮華を追いかけた。


 空を駆ける龍のような水流に運ばれた蓮華は、しかし上空で火花を咲かせて水流を霧散させて落下していった。

 落下地点は荒川の中心だった。幅の広い河川の真ん中で水柱を上げて蓮華が着水する。追いついた丈一郎が一度(ひとたび)河川に足を踏み入れると、足が水面に触れると同時に銀氷が広がっていく。瞬く間に河川一帯を凍りつかせ、銀世界に変えた。


 河川の中で氷漬けになった蓮華だが、やはりその程度では身動きを封じる事さえ叶わない。すぐに爆炎と共に氷が溶解し、蓮華が飛び出した。

 爆風は周囲の冷気によって瞬く間に熱を奪われ、冷たい風が丈一郎の体を撫でた。肺に冷気が染み渡る。血が冷えるようだった。その感覚は、緋鬼を目の前にした時に似ている。


「……憎いですか、彼女を奪った私たちが。それとも悔しいですか、彼女を守れなかった自分の弱さが」


 蓮華は答える代わりに炎を纏った。その炎は蓮華の背中に集約されていき、一対の翼を形作る。バケモノの姿とは裏腹に神々しささえ放つその翼は、まるで鳳凰のような風格を漂わせた。

 翼を羽ばたかせた蓮華はロケットのようなスタートを切り、丈一郎へと燃え上がる右腕を振り下ろした。


 ――あれは受け止められない。仮に氷刀で腕を受け止められたとしても、直後に一瞬で炭に変わるほどの火焔に見舞われるだろう。


 丈一郎は正面に手を翳し、巨大な氷の柱を射出。蓮華を近づけさせないよう弾き飛ばした。

 氷柱は勢いのままに蓮華を押し戻し、対岸の河川敷へと墜落した。通常の生物ならば大質量の氷に潰され原型を留められない威力だが、当然のように生存の狼煙があがった。氷柱が光輝く紅いひび割れを起こして爆散し、何事もないように蓮華が起き上がった。


 すかさず丈一郎は頭上に水の渦を召喚。そこから超高圧力の水が噴射され、氷の大地を抉りながら蓮華を狙う。ウォーターカッターの要領で放たれた水の刃は、しかし大地こそ抉るものの、蓮華の体に傷を付けることはできなかった。仁王立ちする蓮華の周囲には蒸気が漂っている。その体内に秘める熱量により、体に到達する前に蒸発してしまったらしい。


「ゲームとかだと、水は火の優位属性のはずなんですけどね……」


 丈一郎はトレードマークのフェルトハットを正しながら嘆く。まさに焼け石に水――いや、太陽に水でもかけているようだった。優位属性と言えど、中途半端な威力では通用しない。だからこそ、餓鬼の歴史では蒼鬼が緋鬼に破れているのだ。


 蓮華が丈一郎に向けて指をさすと、その指先に小さな火球が生まれ、弾丸のように弾き出された。歪んだ周囲の空間がそれの持つエネルギーを物語っていた。丈一郎はその軌道上に真珠のような水の球体を作り火球を飲み込むものの、火球は容易くそれを突き抜けようとする。だが丈一郎もこの程度では防げないことはわかりきっていた。水球を火球と同程度の速度で後退させ、さらに水球に猛烈な縦の回転を加える。相殺することも、止めることもできないのならば、軌道を逸らすしかない。


 ――重い。


 ありったけの力を込めて水を操作してもなお、火球の軌道は変わらない。あと数メートル――水を操舵する丈一郎の手がビキビキと悲鳴を上げた。そして着弾寸前、僅かに火球の軌道が右斜め上に逸れ、遙か後方の街が紅蓮に染まる。あらゆる建造物が溶解し、マグマの海と化した。


 難を逃れ安堵したのも束の間だった。丈一郎は目を瞠る。目の前には炎を上げる爪を振りかざした蓮華がいた。水球の影に隠れ距離を詰めていたのだ。


 丈一郎は咄嗟に氷刀を構えて防御を姿勢に入る。が、それは悪手だった。


 右肩から先の感覚が失せた。時の遅くなった世界で右腕が宙に舞い、紅い炎に包まれ、塵へと変わっていく。氷刀が打ち負け、容易く砕かれたのだ。


 時を取り戻し、時間の流れが戻る。思い出したように右肩から血が噴き出て、激痛が走る。だが悶えている暇はなかった。丈一郎はすぐさま右肩に氷を張って止血を施すと、同時に後ろへ飛び退き距離を取る。丈一郎の腕を削ぎ落とした蓮華の爪はそのまま氷床に突き刺さり、紅い亀裂を生んでいた。直後、彼の周囲が紅蓮の火柱に包まれる。もう半歩遅ければ灰になっていたところだ。


「……私のスーツを傷物にしたのは君が初めてです」


 丈一郎は額に脂汗を滲ませながらも薄く笑みを浮かべた。


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