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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
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第四十二話 仮面

 丈一郎は教会の地下牢前で優雅にティータイムと洒落込んでいた。しかし丈一郎の腰掛けるのは対照的に洒落っ気のない粗末な木製の椅子。周りの景色は石造りの壁に鉄の格子。そんな薄暗く陰鬱な空気の漂う地下で紅茶を啜る丈一郎の姿はどこかアンマッチで浮いていた。


「……どうですか、体の調子は?」


 丈一郎は鉄格子の向こうの男へ話しかけた。


「――うひははは! ああ、すこぶる絶好調だ。完全に()()()()()ぜ。ありがとよ、丈一郎」


 牢屋の中で壁に縛り付けられていた男――レオは自身の両手首を縛っていた鎖を念力で捻り切って体の自由を手に入れると、せいせいしたように言った。

 その様子に丈一郎は満足して微笑むと、隣にティーカップを置いた。そこにテーブルはなかったが、丈一郎のティーカップを置く動作に合わせて氷のテーブルが出来上がっていた。


「あなたのために一番新鮮な肉を用意しました。美食家のあなたにとっては物足りなかったかも知れませんが」

「いいや、最高だったぜ。ただの肉があれほど美味く感じたことはねぇ。空腹は最高のスパイスとはよく言ったもんだ。だが、こんな地獄はもうごめんだぜ。飢え死ぬかと思った」

「面白い冗談ですね。鬼人は飢えでは死ねないというのに」

「へっ、本当に面白いと思ってんなら笑えよ。相変わらず愛想笑いしかしやがらねぇ」


 レオは呆れたように言って隣の簡易ベッドに腰を落とした。


「しっかし丈一郎、まさかお前が餓鬼教の転覆を目論む反乱分子だったとはな。何が目的だ? 復讐か?」

「復讐……ですが、その相手は餓鬼教ではありません。緋鬼です。ですが緋鬼を神と崇め、守ろうとする邪魔な組織が存在した。それだけのことです」

「すっかり騙されたぜ。お前も餓鬼に陶酔するイカれた連中かと思ってた」

「餓鬼の王を神と崇めるなど、まったくもって理解に苦しみます。緋鬼を殺すためだけに生きている私からすると、狂っているとしか言いようがありません」

「うひははは! 化けの皮が剥がれた途端にこれか。おもしれぇ。だがどうして俺にその胸の内を話した?」

「あなたは緋鬼を崇拝しているわけでも、餓鬼教に固執しているわけでもない。ただ利用しているだけ。だからこそ、利害さえ一致すれば味方にできると踏みました。あなただって、このままでは気が済まないでしょう?」

「……ああ、その通りだ。梶谷の野郎……ぶち殺してやる」


 レオが正面のブロック壁を苛立たしげに睨むと、亀裂が生じて粉砕された。


「だが、あの拷問はどうにかならなかったのか? お陰で目が覚めたとはいえ、死ぬほど苦しかったんだぜ?」

「大目に見て頂きたいですね。なにぶん、私も専門外のことですから。最適解を持ち合わせていないのです。目を覚まさせる方法と考えた時、水責めくらいしか思い浮かびませんでした」

「それで水責めに思い至るってどうなんだよ……」


 レオは怪訝そうに眉根を寄せていた。

 丈一郎の施したレオへの〝お仕置き〟。それは、鬼の力も使えないほど血が枯渇した状態で壁に縛り付けられたレオに、容赦なく水を浴びせ続け、時に水に閉じ込めて窒息させる『水責め』だった。だが、丈一郎の真の目的は叛逆行為を働いたレオへのお仕置きではない。『レオが梶谷に操られていたとしたら』という仮定のもと、レオの目を覚まさせるために拷問を行ったのだ。

 結果、丈一郎のその仮定は正しかった。レオは苛烈な水責めの末に催眠から解き放たれ、正気を取り戻したのだ。そして今日、丈一郎は一ブロックの人肉をレオに与え、レオの目覚めを祝福した。

 そこまでした理由は、レオを仲間に取り入れるためだった。餓鬼教に裏切られた形となったレオならば丈一郎の肩を持つ見込みがあった。そのため、丈一郎はいずれ餓鬼教を潰して緋鬼を殺すつもりであるという本当の目的を話したのだ。


「よく気がついたな、俺が梶谷に操られてたなんてよ」

「不合理でしたから」


 丈一郎は再びティーカップを手に取って一口啜ってから答えた。


「あなたは信仰熱心ではないどころか、暴れ回って騒ぎばかり起こす問題児でしたが、しかし愚かな叛逆行為に出るほどバカでもありませんでした。餓鬼教に背き蓮華くんを独り占めしたかったのなら、蓮華くんを手に入れた段階でさっさとどこか遠くに逃げればいい。なのに、あなたは何故かわざわざ餓鬼教の教会を利用した。まるで『捕まえてくれ』と言わんばかりじゃありませんか。不思議に思って、考えてみたのです。レオさんが失脚して得をする人間は誰か、と。すぐに、後任として東京司教区教区長の座に就任した梶谷さんが浮かびました。彼の信仰心は狂気染みて本物です。教区長の座を欲したのか、あるいは不信仰なレオさんに不満を募らせていたのか……動機としてはどちらもあり得ない話ではありません。そして何より、催眠の鬼の力。可能性は充分に考えられました」

「うひははは! おもしれぇじゃあねぇか。この俺様に楯突くどころか、踏み台にしてくれやがったとはな。高くつくぜぇ、梶谷ァ……!」


 レオの怒りが漏れ出すように教会全体が揺れを起こし始め、このままでは崩壊してしまうと思った丈一郎は無言でレオの頭からバケツ一杯分ほどの水を浴びせた。水を被って頭を冷やしたレオは鬱陶しそうに頭を振って水を払った。


「ところで、俺は今後どう動けばいいんだ? そもそも、こんなところでこんな話をしてて大丈夫なのか?」

「それについてはご心配なく。皆さん表側の教会にいらっしゃいますし、周囲も私の水が見張っています。私たちの会話を聞かれる距離には誰もいません。……少々厄介な人が外で私を待っているようですがね」

「は? どういうことだ?」

「面倒なことが起きているということです。やれやれ、まったくあの子は……」


 丈一郎は溜め息交じりに立ち上がった。丈一郎の瞳に映っている別の視点。外を見張る水滴とは別の、蓮華を監視する水滴。そのレンズが数分前に捉えた光景は、餓鬼化して暴走した蓮華の姿だった。だが、溜め息の原因はそれではない。蓮華が餓鬼化して暴走することは目に見えている事態だったのだから。問題なのは、その暴走した蓮華を止めた水の奔流だった。


「怪しまれる前に私は表の教会に戻ります。レオさんは……そうですね、適当に暴れて逃げて、どこかで体力を回復させてください」

「テキトー過ぎだろ……。らしくねぇな。そんなんでいいのか?」

「構いません。そろそろ餓鬼教の信徒のフリをする必要もなくなりますから。せめて緋鬼の所在が掴めるまで利用しようかと思っていましたが、潮時です。頃合いを見計らって合流しましょう。それでは」


 そう言い残してハットを浮かせると、丈一郎はその場を去った。そして教会を出た矢先に、面倒事は餓鬼の死骸の山と共に待っていた。

 前庭に積み上げられた、無残に切り刻まれた餓鬼の死骸。その(いただき)に鎮座していたのは、特殊部隊で用いられるような要所をプロテクターで保護されたバトルスーツに、顔に舞踏会を思わせる仮面を被った男だった。両腰には彼の愛用する二本のブレードがぶら下がっていた。

 丈一郎は別段驚くこともしなかった。水滴を通して彼の存在は把握していたからだ。


「……お久しぶりですね、ジャックさん」

「ええ、それはもう本当に……お久しぶりですねぇ、丈一郎さん」


 彼がこちらを向いて、仮面の中で不気味に笑ったのがわかった。


東京(こちら)に戻っていらしたんですね」

「ええ。私の任務は果たしましたから」

「……と言うと?」

「緋鬼を発見しました」


 その報告に丈一郎は軽く目を瞠った。

 ジャックは綾女たち同様、緋鬼の捜索に出ていた一人だった。そのためここしばらくは顔を合わせていなかったのだ。いや、それ以前に丈一郎はジャックを意図的に避けていたため、顔を合わせることが少なかった。丈一郎はジャックが少し――苦手だ。


「……緋鬼は今、どちらに?」

「私はあなたにそれを報告する義務はありません」


 癪に障る言い方だった。


「いやあ、いつ見ても素晴らしい迫力でした。つい斬りたい衝動に駆られましたが、どうにか我慢しました。そんなことしたら破門されちゃいますからね」

「神を斬りたいなどと、口が過ぎますよジャックさん」

「うふふふふ。やだなぁ。あなたは緋鬼のことを神だなんて崇めていないくせに」


 これこそ、丈一郎がジャックを苦手な理由だった。彼は天性の勘の鋭さで本心を見抜いてくるのだ。


「それより、〝外〟の騒ぎをご存じですか?」


 表の世界で蓮華が暴走していることを言っているのだろうことはわかったが、丈一郎は口を閉ざした。ジャックがここで待ち伏せていた理由もそこにあることはわかりきっていた。


「緋鬼の鬼人が大暴れしていまして。いやあ、さすがは緋鬼の力を受け継いでいるだけあって素晴らしい暴れっぷりで……斬りたくなってしまいました。でもアレも斬ってはダメな部類ですから、私にとっては生殺しのようでして。あんなものを見せられたら体が疼いて疼いてしかたなくて……ついこんなに斬ってしまいました」


 積み上げられた餓鬼の残骸。ジャックの欲望のままに切り捨てられた哀れな姿がそこにあった。

 猟奇的な殺戮狂。切り裂き(ジャック・ザ)ジャック(・リッパー)の異名に違わぬ有様だった。


「しかし、不思議なんですよねぇ。彼の暴走を止めたのが、膨大な『水』だったんです。丈一郎さんはここにいたようですし、誰がそんな鬼の力を使ったんでしょうねぇ? 今現在、蒼鬼の鬼人は丈一郎さん以外にいないはずなんですが」


 ようやく彼は核心に迫った。疑い一色の視線。いや、それを口実に一戦交えたいという期待。そんな気配が色濃く漂っていた。


「さあ。私にそんなことを聞かれましても。あなたの言うように、私はずっとここにいましたから」


 直後、ジャックが腰に携えたブレードの一本を抜いて飛び出し、丈一郎へと斬りかかった。丈一郎は咄嗟に氷剣を生み出してそれを受け止め、鍔迫り合いに持ち込む。


「惚けないでください。あなたが〝何か〟を企てていることはわかっています。『仮面』を被るのがお上手なようですが、私は誤魔化せません」


 ジャックが餓鬼教に加わったのはつい一年ほど前からだ。その時からそうだった。その勘の鋭さから丈一郎を疑っていた。だから丈一郎は彼のことを避けるようにしていた。


「あなたは私の斬りたい相手の一人です。いずれ、その仮面を剥がしてみせます。その時は是非、お相手お願いしますね。うふふふふ」


 彼はブレードを収めると、ひとっ飛びしてビルの向こうへと消えていった。

 丈一郎は一つ嘆息して帽子を被り治した。近いうちに『仮面』を脱ぐ予定であるとはいえ、邪魔をされるのは困ったものだ。


「早めに行動に移さなくてはなりませんね」


 ジャックの言が確かならば、緋鬼もついに動き始めた。つまり、『天冠の日』が近づいている。






 丈一郎が表の教会へと戻ると、そこは騒がしい有様だった。奥の食料庫から「ちくしょう、ちくしょう」と綾女のあらぶった声が響き渡り、その様子をガフタスと梶谷が悲しげに見守っていた。


「おや、どうされたのですか?」

「丈一郎様……それが……」


 梶谷は事のあらましを説明してくれた。それによると、綾女は紗良々に戦いを吹っかけたものの、返り討ちにあい右腕を切り落とされたらしい。今はその右腕は繋がっているため、肉を喰って腕を繋げたのだろう。さらに紗良々は血を吸う奇妙な刀を使い、綾女は根こそぎ血を奪われたとのことだった。彼女の暴食の理由はそういうことらしい。

 紗良々と綾女の戦闘については特に観察していなかったため、そんな経緯があったとは驚きだった。


「それだけではありません。綾女さんの話によると、紗良々さんは体の中身がないバケモノのような姿になっていたとか……」

「体の中身がない……?」

「ええ。業血で脇腹を抉ったにも拘わらず、彼女は立ち上がったそうです。その傷口から覗く体の中は、黒い靄で満たされていたそうで……。くくく。――あ、いや、失礼。いったいどういう構造なのか気になってしまいましてね……」


 この男はまたよからぬことを考えて……。丈一郎は嘆息した。

 丈一郎が紗良々を水滴で見たのは、寺で行われた『怪異墜ち』とやらの儀式が最後だ。その影響によるものと考えるのが妥当だった。


「申し訳ありません。私というものがついていながら……深く、深く陳謝致します……っ!」

「お二人が無事だっただけでも良かったですよ。その情報を持ち帰っただけでも充分な功績です」


 丈一郎の優しく繕った言葉にガフタスは目を潤ませて「感謝致しますっ」と再び頭を下げた。


「しかし、どうされますか丈一郎様。話によると、緋鬼の鬼人が暴走を始めたそうですが……。僕としては、これ以上厄介な行動を起こされる前に捕らえるべきかと……」

「そうですね……」


 当然その話になるだろうとは思っていた。梶谷としては、一刻も早く蓮華の身柄を拘束するために行動に出たいのだろう。緋鬼に動きがあったことも、すぐにジャックから報されることになるはずだ。彼らの計画をこれ以上先延ばしにするようなことはできない。


「わかりました。明日にでも穂花さんを使いましょう」


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