第四十話 守るべきものがある
「――大切な人を守るために戦う、か……」
ガフタスはターヤンに頭蓋を掴まれながらその言葉を復唱した。
「ならば、それはわたくしめも同じこと……!」
突然、ガフタスの語気に力がこもる。刹那、彼は体を捻り足を振り上げ、ターヤンの脇腹を蹴り抜いた。
無防備な脇腹への一撃。堪らずターヤンは手を離し、勢いのままに転がった。
「ふんっ!」
ガフタスの力んだ拳が鉄槌のごとく振り下ろされる。ターヤンは素早く転がって回避すると、的を外したガフタスの拳は床を砕いた。
ターヤンはすぐに立ち上がると、追撃して殴りかかってきたガフタスの拳を掌で受け止め、しばし均衡した取っ組み合いにもつれ込む。
「しぶとい奴だナァ……!」
ターヤンが悪態を零すとほぼ同時、ガフタスの背後に忍び寄った暮木がハンマー状に変形させた業血を大きく振りかぶる。
「ぬがぁ!」
巨大な業血の槌はガフタスの肩を叩き、巨体を突き飛ばした。
「サンキュー、くれっきー」
「ああ」
ゆっくりと起き上がるガフタスに対峙して、二人は大きく息を吐く。
「このおっさん頑丈すぎダヨ。どうしヨウ。負ける気はさらさらないケド、かといってこのおっさんを殺せるビジョンも浮かばナイ」
「ああ、俺もだ」
再び立ち上がったガフタスは、全身砂埃にまみれているといえども、負傷は頭部のぶつけた切り傷のみ。暮木のハンマーによるダメージもまるで見られない。むしろ、先ほどの一撃で暮木のハンマーが押し負けて砕けていた。
「守るべきものがあるのはわたくしめとて同じこと……。その想いの強さが貴殿に劣ることなど、断じてない!」
そう豪語する彼は、心なしか先ほどよりも体格が大きく見える。目に見えて情熱のようなオーラが見えるような気さえして、ターヤンは焦りの汗を垂らす。気迫に押されそうだった。
「さあ、これで互いの底が知れたであろう。諦めて大人しく――」
ガフタスが投降を呼びかけるように言葉を紡いでいた、その時。
「――ガフタス!」
どこからともなく、女の張り詰めた呼び声が響き渡った。
ターヤンと暮木は警戒的に周囲を見渡す。だが、その声の主はどこにも見当たらない。気配すら感じない。声だけが突然湧いてきたように。
その意味を、ガフタスだけは理解しているようだった。彼は悟ったように顔の緊張を落し、
「……綾女様」
静かにその名を口にして、突然、窓に向かって走り出す。そしてどういうわけか、そのまま窓を突き破って外に飛び出し、消えてしまった。
「……ナ、ナンダ?」
突拍子のない展開に、ターヤンは困惑して棒立ちした。横では暮木も「さあ」と首を傾げている。
そのまましばらく棒立ちし、少し冷静になった頭で考える。
知らない女の声。ガフタスだけはその声に反応した。どう考えても彼の仲間の声という考えに結びつけられる。気がかりでしかない。
「……後を追ってみた方がいいかもネ」
◆ ◆ ◆
紗良々は刀を振り下ろす。直下で跪く綾女の首を狙って。
刀身は月明かりを反射させながら弧を描く。だがその瞬間。突風が吹き抜け、その刃は風を切るに終わった。目の前にいたはずの綾女の姿は消えている。
紗良々が前を向くと、遙か前方、隣のビルの屋上に、褐色肌の大男が綾女を抱えて立っていた。しっかり綾女の腕まで拾って。
「助かったぞ……ガフタス!」
「綾女様……ご無事で。瞬間移動でお逃げにならなかったのですか……?」
「もう使えねぇんだよ……! 妙な刀で血をごっそり持ってかれた! 声を飛ばすので精一杯だったんだよ! ちくしょう……!」
何やらごちゃごちゃと喚き合っている二人を見て、紗良々は溜め息をつく。
「なんやアンタ。ええとこで邪魔しよって……。そいつの仲間か? って、聞かんでもその見た目はあからさまに餓鬼教やな」
梶谷と同様の黒い祭服を見れば、彼が餓鬼教の一味であることは一目瞭然だった。
「お初にお目にかかる。わたくしめはガフタスと申す」
「なんでもええわ」
彼の自己紹介を軽く投げ捨てて、紗良々は影無を構える。
「餓鬼教は皆殺しや」
殺意に燃えた瞳をギラつかせて、一気に駆け出そうとした。だが、『止まれ』とでも言うように片手を突き出したガフタスを見て足を止める。
件のガフタスは、視線を斜め下に落としていた。というよりは、地上を見ていたのだろう。
「……貴殿の優先すべき目的は今、別にあるはずだ。わたくしめたちに構っている場合ではない。そうだろう?」
見透かしたようなガフタスの口振り。紗良々は舌打ちする。悔しいが、その通りだった。
「綾女様がこうなってしまった以上、わたくしめもこれ以上争うつもりはない。ここは大人しく退散させて頂こう」
「チビガキ……! 次はぜってぇぶっ殺す!」
最後に綾女がそんな安い捨て台詞を残して、二人は闇夜へ紛れるように飛んで消えた。
紗良々はそれをただ見逃し、燃えていた殺意を静かに落ち着ける。
あの大男の言う通り、今は彼らに時間を割いている場合ではない。早急にやるべきことがある。
紗良々は屋上の縁に歩み寄り、地上を見下ろす。遠くの街並みが赤々と炎を上げていた。