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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
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第三十九話 バカの末路

「――なるほド、つまりこれはボクたちだけの戦いじゃないってわけカ」


 ターヤンは口の中に溜まった血反吐を吐き捨てる。その顔に、もう冗談を孕んだ笑みはない。修羅に燃えた男の顔がそこにあった。

 そして、ターヤンはボキボキと快音を鳴らして強く拳を握り締める。


「くれっきー……縛レ」


 その合図を皮切りに、ガフタスの掴んでいた暮木の業血の大剣がぐにゃりと溶ける。それは植物の根のように形状を変え、虚を突かれた顔を浮かべるガフタスの体を瞬く間に縛り上げ、身動きを封じた。


「この程度……!」


 ガフタスが体に力を込めると、暮木の縛り上げた業血の縄が容易く引きちぎられる。動きを封じれたのはほんの数瞬に満たなかった。

 だが、その数瞬で充分だった。

 ターヤンの全自重を乗せた踏み込みで床が割れる。その一歩で、ガフタスの懐に潜り込む。ガフタスの「しまった」と言いたげな顔がターヤンの瞳に反射した。


「仕返しダ」


 はち切れんばかりに筋肉が膨張し、血管の浮き出るほど力んだターヤンの腕が風を切る。大砲の如く撃ち出された拳は、ガフタスの無防備な腹を打ち抜いた。


「かは……っ!」


 白目を剥いて唾を吐き出し、体を『く』の字に曲げてガフタスの巨体が飛んだ。壁を二枚ぶち抜き、三枚目の壁でようやく勢いを止める。

 ターヤンはすぐに間を詰めると、そのガフタスの頭を片手で掴んで持ち上げる。頭蓋の軋む音を奏でながらガフタスの巨大な図体が宙にぶら下がった。それを、ターヤンは乱雑に振り回して近くの柱へと頭から叩きつける。高層ビルを支えるコンクリートの頑丈な柱が発泡スチロールのように粉砕され、ガフタスの無毛の頭から血が噴き出る。

 だが、ガフタスの意識は、戦意は、まだ失われていなかった。

 ガフタスは頭を掴むターヤンの腕を掴み返すと、持ち前の握力で潰しにかかる。メキメキと音を立ててターヤンの腕が握りつぶされていく。しかしターヤンが手を緩めることはない。それどころか、


「ぐぅああぁあああああ!」


 一層頭蓋を握り締める手を強めていく。ガフタスの苦しみ悶える叫びがこだました。


「な、なぜだ……!? 先ほどまでは明らかにわたくしめの力が貴殿を圧倒していたはず……! それがなぜ急に……っ!」

「アア、確かにそうかもネ」


 苦しみながらも疑問を呈するガフタスに、ターヤンは至極平静な声色で諭すように口を開いた。


「確かにキミは強いヨ。多分、普段のボク以上に圧倒的にネ。でも覚えておケ。この世で一番強いのは〝大切な人を守るために戦うデブ〟なんダヨ」


 


     ◆   ◆   ◆



 

「――サラ、自分を責めるな。これはお前のせいじゃない。お前が気にすることなんて、一つもない」

「嫌……嫌だよ……パパ……!」

「泣くな、サラ。笑え。どんな苦境も、笑って乗り越えろ。何がなんでも生き抜け。そして最期に『生まれてきて良かった』と笑えるような、そんな生き方をしてくれ。それが俺からの……パパからの一生のお願いだ――」


 その言葉を最期に、父・弥彦(やひこ)は紗良々の額を人差し指と中指の二本の指で小突いた。そこでぷつりと電源を落としたように紗良々は意識を失い、気がつけば警察署の仮眠室で寝ていた。もう十年以上も前の話だ。肩から先の左腕を失い、胸に風穴を空けた父が残してくれたその言葉を、紗良々は一日たりとも忘れたことはない。

 そしてそれを信条に、今まで生きてきた。

 自分勝手好き放題に生きて、笑って、楽しむ。それが自分に課せられた使命。それが父への手向けなのだ。

 そう。死ぬわけにはいかない。何がなんでも。たとえ、どんな手を使ってでも――


「……プヒヒ! けども、さすがにこれはオトンもオカンも悲しむやろなぁ……」


 自嘲気味に笑いを零して、紗良々は立ち上がる。


「な……っ!?」


 そのあまりにも不気味な光景に、綾女もド肝を抜かれたのだろう。そして本能的に危険を感じ取ったに違いない。彼女は焦燥と驚愕を混濁させたような表情を貼り付けてその場から飛び退き、紗良々から距離を取った。


「な……なんだよ……その体……!?」


 綾女がそんなありきたりでつまらない疑問を吐いてしまうのも無理はない話だった。


「醜い姿やろ。これが〝怪異墜ち〟したバカの末路や」


 可笑しそうに笑ってみせながら、紗良々は綾女へと振り返る。

 その紗良々の脇腹は、綾女の業血によって半月状に切り取られ、腹の半分ほどが失われている。となれば、大量の血が流出し、(はらわた)がこぼれ落ちる――はずだ。本来ならば。

 だが、紗良々の腹の傷口から覗くそこには、中身がなかった。臓器も、骨も、人を構成する何もかもが。代わりに、そこには黒い(もや)のようなものが詰まっていた。

 かといって出血がないわけではない。『殻』とでも表現すべき薄い肉とそれを覆う皮膚だけは存在し、そこからぽたぽたと血が滴っている。

 その〝血〟だけが、紗良々に生を実感させた。安堵すら覚えた。こんな体でも自分は生きているのだ、と。

 気を取り直し、紗良々は目の前の敵――綾女を見据える。綾女の警戒的にこちらを睨む視線とぶつかった。


「瞬間移動……それがアンタの三つ目の鬼の力っちゅうわけか。油断しとったわ。せやけど、ウチの首を撥ねとかんかったんは失敗やったな。大方、ウチをじっくりいたぶるつもりやったんやろうけど……さっきのがアンタにとって最初で最後のチャンスやったで。さすがに四つ目の鬼の力がある……なんてことあらへんやろ?」


 挑発的な笑みを見せて煽ると、綾女は顔を苦く噛みつぶす。どうやら図星らしい。


「……調子こいてんじゃねぇよチビガキ! そんな体でまともに動けるわけが――」

「ほんなら試してみよか」


 紗良々は横に右腕を伸ばす。その手は何かを握るように形作って。


「来い、影無」


 呼び声に応えるように、その手中へと一本の刀がぼんやりと輪郭を描き出し、次第に実体を伴っていく。やがて確かな質量を持って姿を現したそれは、刀身に呪文のような文字の刻まれた刀――妖刀『影無』だ。


「ふん、そんな貧相な刀一本で何ができるってんだよ! 今度こそ死ね!」


 口汚く言葉を吐いて、綾女は周囲に展開していた雷を纏う業血を放つ。槍のように形状を変化させ襲い来る幾本もの業血に対し、紗良々は静かに影無を構える。

 そして三度、振り抜いた。これまで刀を扱ったことなどない。だが、まるでこれまで共に戦ってきた相棒のように手に馴染む。振り抜いた瞬間、影無は重さを失ったかのように軽くなり、僅かな抵抗もなく綾女の強固な業血を両断した。

 その光景に驚き固まった綾女の、その一瞬の隙を突き、紗良々は超速移動。破壊した業血の隙間を縫うように駆けて間合いに忍び込み、再び影無を横一線に振り抜いた。

 脇腹の負傷など感じさせない機敏な動き。その一太刀は綾女の腹を掻っ捌いた――かに思われた。しかし、紗良々の振り抜いた影無は宙を斬る。


「さすが瞬間移動やな。速い速い」


 紗良々は素直に賞賛を口にし、振り返った。先ほど紗良々が立っていたちょうどその位置に、息を切らし脂汗を浮かせた綾女がいた。


「せやけど……ウチのが一歩速かったみたいやな」

「うぐ……っ!?」


 綾女は腹を押さえ、膝を崩す。彼女の腹部が横一直線に切れて血を流していた。


「それと、ごっそさん。アンタの血、なかなか美味かったで」


 綾女は紗良々のその言葉を不思議そうに聞いて、すぐに目を瞠った。紗良々の抉り取られた脇腹の傷が修復を始め、すぐに可憐なくびれを持つ脇腹が復元されたのだ。なめらかで白い肌をした、傷一つない体を取り戻していた。紗良々は何も口にしていないのに。


「そんな……どうして……!?」

「『影無』、またの名を『吸血刀』――いや、それがこの刀の〝本来の異名〟や。影無はただの愛称やからな。コイツは斬った相手の血を吸う刀の怪異。アンタを斬ると同時に血を頂いたんや。そして〝怪異墜ち〟によってこの刀と〝同化〟したウチは、その吸い取った血を共有できるってわけや」


 それは、紗良々にとっても今この瞬間までは机上の空論に過ぎなかった。元通りになった自慢のすべすべな脇腹を撫でて紗良々は思わず「プヒヒ」と笑う。


「どうやら鬼人と影無は相性がええみたいやな」


 〝怪異墜ち〟は本来、取引きした怪異と同じ特性を持つ怪異に成り下がることを言う。紗良々はこれによってほとんどの肉体を失い、()()()()()となった。

 だが紗良々も文献で読んだ程度の薄っぺらい知識があるだけにすぎない。それも、人間が怪異墜ちした場合についてのみだ。鬼人が怪異墜ちした前例など文献にはなく、紗良々にとっても未知の領域だった。だから紗良々はこう予想した。鬼人が怪異墜ちすれば、両者の特性を引き継いだ新たな怪異になるのではないか、と。怪異墜ちすれば餓鬼の呪いが消えるなどという都合のいい話があるはずがないのだから。

 そして今、その予想が証明された。影無の『吸血』という特性と、餓鬼の『治癒』という特性。この二つが同時に作用したということは、予想通り両者の怪異の特性が余すことなく引き継がれたということになる。


「血を吸ったからって、あの傷を一瞬で治すなんて……! 肉を喰っても治せない致命傷だったはずだろ! 不死身にでもなったってのか!?」

「さっき見たやろ。今のウチには〝中身〟があらへん。外側の皮を再生するくらい少しの血でも事足りる」


 紗良々は狙いを定めるように刀の切っ先を綾女へと差し向ける。


「アンタに勝ち目はあらへん。大人しく死んどき」


 焦燥ばかりが貼り付いていた綾女の顔に闘志が宿った。


「クソが……調子に乗んなよチビガキ……! てめぇは私が殺す……私がこの手でぶっ殺す!」


 綾女の背後で尾のようにうねっていた業血が紗良々へと向けられると、その先端に凝縮された雷の玉が形成され、レーザーの如く放たれる。

 紗良々は、その一筋の雷撃を軽々と片手で受け止めた。


「バカやなぁ。ウチにこないなしょぼい雷が効くかっちゅうねん」

「バカはてめぇだバァカ!」


 すぐ背後から綾女の声。気がつけば目の前から綾女の姿が消えている。雷の閃光に紛れ、瞬間移動により紗良々の背後に回ったのだ。

 直後、右腕に衝撃。肘から先の感覚が消え失せる。影無を握っていた右腕が業血により破壊されていた。


「あっははは! これで厄介な刀も――」

「刀がどうしたって?」


 あっけらかんと、紗良々は言った。そして()()()()()()()()()()()を振り上げる。その斬撃は、現実に置いて行かれ頭が空っぽになったかのような顔をする綾女の右腕を切り落とした。


「ッあぁあああああぁああッッッ! う、腕がぁあぁああ! 私の腕がぁああぁああ!」


 血の噴き出す右腕を押さえながら、綾女が壮絶な悲鳴をまき散らす。それに呼応して、屋上を取り囲んでいた綾女の業血が形を保てなくなり崩落を始めた。出血に加えて影無に血を奪われ、もはや鬼の力を使う血は残っていないのだろう。綾女は干からびたように呼吸を荒げていた。


「残念やったな。同化したウチらを切り離すことはできひん。ウチが念じれば、影無はそこに現われる。そういう関係なんや」


 紗良々は瞬時に修復されていく右手を開閉させながら言った。


「くっ……! バケモノが……!」


 綾女は負け惜しみじみた捨て台詞を吐き、呼吸を乱しながら紗良々を睨む。

 紗良々はそれをそのまま受け止めた。本当にその通りだとすら思っている。自分の体から血が出なければ、生きている実感すら湧かなかっただろう。この体になってから、温度を感じない。痛みを感じない。紗良々の体は、物に触れた時の僅かな感触だけしか感じ取れなくなっていた。〝怪異墜ち〟による副作用のようなものだ。

 だが、悲観するつもりはなかった。生きている。自分という意識は確かにここにある。それだけで十分だった。


 ふと、遠く下の地上から悲鳴と喧騒が聞こえてきた。急がなければ取り返しのつかないことになりかねない。


「本当はじっくり切り刻んで殺したいところやけど、時間があらへん。ひと思いに殺したるわ。最期に遺言でもあんなら聞いたるで? そしたらあのクソメガネを殺すときに聞かせたるわ」


 綾女の首に刀の切っ先を向ける。いつでもその命を刈り取れるように。

 綾女はごくり、と固く唾を飲み込んだ。そして、


「――――ッ!」


 何かを叫んだ、ように口を動かした。だが、その声はどこにも響かない。


「口パクの遺言とは、これまた新しいな」


 紗良々はその首を落とさんと刀を振り上げた。


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