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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
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第三十八話 第三の力

「――ウォオオォオオォオオオォオォオオオオォオオオオッ!」


 おぞましい雄叫びが都会の味気ない夜空を震わせる。牙を剥き出し咆哮する、欲望に支配された蓮華の顔が天を喰らうように仰いだ。そしてその顔や首、腕の所々に、氷が結晶を結ぶようにぱりぱりと音を立てて硬質な皮膚が覆っていく。


「蓮華……アンタ……それ……!」


 その現象を目の当たりにして、紗良々は瞳を揺らす。蓮華の体を覆っていくその鈍い真紅の輝きを宿す硬質な皮膚は、餓鬼の持つ甲殻そのものだった。

 やがて、蓮華は右腕が完全に餓鬼と化し、顔と首も半分以上が餓鬼の皮膚に覆われた。

 異様な空気を感じ取ったのか、菜鬼はその様子をじっと窺っていた。だが、餓鬼の皮膚に浸食されていく蓮華を見て危機を覚えたように動き出す。電光の残像が見えるほどの高速移動で蓮華たちへと一直線に飛び出し、帯電した腕を振り上げた。厄介なことになる前に仕留める――そんな意図が読めるような動きだった。


「チ……ッ!」


 蓮華に気を取られていた紗良々は反応が半歩遅れた。既に目前に迫っていた菜鬼へと苦し紛れに電撃を放つも、菜鬼の帯電した腕に容易に弾かれ足止めにもならない。

 それが誘導のキッカケとなったのか、菜鬼は紗良々へと矛先を変え、刃を振るうように帯電した腕を振り抜く。だが、それが紗良々に届くことはない。


「な……!?」


 紗良々は驚きの声をこぼす。

 蓮華が餓鬼化した右腕で菜鬼の腕を掴み取り、動きを完全に封じていた。菜鬼に帯電している電流が腕から流れ込んでいるのか、蓮華の体に蒼白く光る激しい電流が弾けている。しかし、蓮華はそれをものともせず、飢えた獣の瞳で菜鬼を睨んでいた。そして、


「ウォオォオオォオオオ!」


 臓腑を震わせるような咆哮を上げ、もう片方の、まだ人間のままの左拳で菜鬼の顔面を打ち抜く。まるで銃声のような渇いた打撃音がはためき、菜鬼が風を切って殴り飛ばされていく。そのまま菜鬼は隣のオフィスビルの壁面に体を打ち付け、蓮華の拳打の威力を物語るようにコンクリート壁へとクレーター状の衝撃痕を生み、耳を劈くような破砕音とともに周囲のガラス窓を粉砕。煌めくガラス片が降り注ぎ、周囲から人々の恐怖に染まる悲鳴が上がった。

 蓮華は地面を抉る勢いで蹴り上げ、駆け出す。


「蓮華!」


 紗良々の叫びにも似た声も、届かない。蓮華は理性の飛んだ獣のように、獲物しか見ていなかった。

 壁に貼り付いた菜鬼へと弾丸の如き勢いで飛びついた蓮華は、菜鬼を引き剥がすと地面へと振り落とす。超高層ビルの最上階付近からの急速落下。爆撃のような音と砂煙を上げ、菜鬼は地面に衝突した。さらに追従するように落下していた蓮華が菜鬼の胴体へと着弾。潰れたトマトが果汁を飛ばすように、菜鬼の口から血塊がこぼれる。

 だが、それでも菜鬼は健在だった。菜鬼は顔の前で電流の球体を生み出して射出。のしかかっていた蓮華を弾き飛ばす。続けて道路を転がった蓮華の首を掴み上げると、仕返しと言わんばかりに電流を流し込みながら投げ飛ばす。路駐されていた車を突き飛ばし、アスファルトを抉って、蓮華の体が転がっていく。

 しかしそれでも蓮華はすぐに体勢を立て直し、再び菜鬼へと襲いかかる。硬質な殻に体を守られているからか、これほどの惨状を繰り広げながらも蓮華の体には損傷がほとんどなかった。


「なんやねん……これ……!」


 紗良々は屋上から身を乗り出し、遙か下の地上で巻き起こるその騒乱を目で追いながら困惑しきった声で呟いた。

 猛撃を繰り返す二つの影が、右に左に転がり回り、周囲の店も建物も信号機も電柱も自販機も、何もかもをめちゃくちゃにしながら暴れ回っている。東京の日常に突如降りかかった悪夢に、周囲は混乱に飲み込まれ、止むことのない悲鳴が連鎖している。あるいは突然の非日常に興奮し、スマホで撮影を始める者もいた。


「とにかく、追いかけんと……!」


 蓮華と菜鬼の動きを追って、紗良々は屋上を駆け出す。だが、その足はすぐに止まることとなった。突如として屋上を取り囲むように赤黒い業血の壁がせり出し、紗良々の行く手を阻んだのだ。


「ざんねーん。行かせないよ」


 そしてその息苦しい閉鎖空間に響いた、いたずらに弄ぶような女の声。ねっとりと纏わり付くその声を耳にした途端、紗良々の目が重く据わる。

 紗良々が振り返った先には、業血の壁の縁に足を組んで腰掛ける一人の女がいた。全ての光を吸い込みそうなほど黒く艶やかな髪。黒いローブに黒いフリルスカートという黒尽くめの衣装。対照的に雪すらも見劣りしてしまうほどの白い肌が眩しいコントラストを生んだ、人形のように美しい美女だった。


「……綾女……キサマやったんか……」


 紗良々は、重く憎しみの乗った声を震わせる。


「うふふ。久しぶりだねぇ、紗良々ちゃん。元気してた?」


 綾女のそれは、わざと神経を逆撫でするような陽気な声色だった。


「ウチはアンタと遊んでられるほど暇やないねん。失せろや」

「あらそうなの? でもざーんねんっ。これは強制イベントなのでしたっ。……ってか……てめぇはここで死ぬんだよクソチビが」


 綾女はぶりっ子な喋り方から一変、ドスの利いた野蛮な声へと変貌する。その直後、屋上を取り囲む業血の壁から紗良々を目掛けて針状の業血が飛び出し、牙を剥く。

 だが雷鳴と閃光が迸り、一瞬にして業血の針は塵に変わった。


「おかしいと思ったんや。いくら『影無』を外に出したからって、表の世界にあないな餓鬼の群れが現われるわけがあらへん。全部キサマの仕業やったっちゅうわけか」


 攻撃的に弾ける電流を体に纏いながら、紗良々は納得したように言った。


「だいせいかーいっ。綾女ちゃんは尾行が得意なの」

「ストーカーの間違いやろ。相変わらずキモい女や」


 紗良々のばっさりと切り込んだ物言いに、綾女の眉間にシワが寄る。だが、彼女は笑顔を崩さない。


「あっ、でも菜鬼に関してはさすがの綾女ちゃんも完全に想定外だよ? 雑魚餓鬼にいたぶらせるだけのつもりだったのに、まさかあんな大物が釣れちゃうなんて綾女ちゃんもビックリ!」


 またぶりっ子な口調に戻って、綾女はひょいと業血の壁から飛び降りた。


「でも良かったぁ。クソチビもあの緋鬼の鬼人も、菜鬼に殺されちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしたよ。緋鬼の鬼人が死んじゃったら綾女ちゃん怒られちゃう。なにより……梶谷さまに傷を付けやがったてめぇは私がぶっ殺さないと気が済まねーから」


 怒りで感情が高ぶっているのか、またしても口調が野蛮に変わって顔に修羅が刻まれ、背中からは業血の翼のようなものが生え始めた。

 そんな彼女に、紗良々は冷ややかな視線を浴びせる。


「さっきも言うたやろ。アンタと遊んどる暇はあらへん。失せろや」


 紗良々が掌を向けると、問答無用の雷撃が飛ぶ。龍を彷彿とさせるその稲妻は、麗との戦闘で業血を打ち砕いてきたどの雷よりも数段大きかった。

 しかし、その稲妻は綾女の業血を砕くことは叶わなかった。

 綾女が雷に向け、避雷針のように業血を伸ばす。すると、雷はその業血に飲み込まれ、消えてなくなった。


「あっははは! ざんねーん。もう私に雷はきかねぇよ?」


 高笑いする綾女の業血にはヒビすら入っていない。それどころか、紗良々の雷を吸収したかのように、業血が蒼白い電流を帯びている。

 紗良々は別段驚く様子も見せず、ただその事実を受け止めたように、目を細めた。

 改めて見れば、綾女の両手の甲にはそれぞれ餓鬼の呪いの痣が刻まれている。


「そうか……天助の言っとった『雷と業血の二つの鬼の力を操る女』ちゅうのはアンタのことやったんやな。よくよく考えれば、アンタはあのクソメガネの側近。当然っちゃ当然やな」

「二つの鬼の力? ……ふふふ。案外マヌケなんだなクソチビ」


 綾女が可笑しそうに口元を歪めた、その瞬間。彼女はその場から忽然と、音もなく、姿を消した。

 そして、紗良々は目を見開く。ゆっくりと視線を下に落とすと、背後から貫かれた業血によって右脇腹が抉り取られていた。そのまま紗良々は膝を崩し、地面に倒れ込む。


「あっははは! てめぇらを尾行して一緒にあの寺に行ったはずの私がどうして今ここにいるのか、考えなかったの? バァーカ」


 音も気配もなく一瞬にして紗良々の背後に現われた綾女は、悦に浸った顔を浮かべて紗良々を見下し、舌を出して口汚く(あざけ)り笑った。その舌の上には、餓鬼の呪いの赤い模様が浮かんでいた。


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