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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
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第三十七話 欲望に沈む

「――うぁああぁああああッ!」


 蓮華の悲痛な悲鳴がしんとした夜の山林を震わせる。

 右腕が弾け飛んだ。刃物で切られた時とも、念力で捻り切られた時とも違う、腕を内部から爆破されたような痛み。一瞬意識が飛びそうになった。

 数歩たたらを踏んでよろめく蓮華に、再び容赦なく菜鬼の雷撃の球が飛ぶ。本能的に体を丸めて身を守ると、雷撃は蓮華の体に触れた途端、激しいスパークを起こして蓮華を弾き飛ばす。


「ぐあッ!」


 体を打ち付けるように地面を転がった蓮華は、それでもすぐに立ち上がろうとした。しかし、全身に走る激痛を伴う痺れにより体が思うように動かない。先ほどのように肉体を破壊されるようなことはなかったが、全身が電流により異様な痙攣を起こしていた。


 マズい。このままでは紗良々を護るどころの話ではない。二人とも――殺される。


 蓮華は焦燥を浮かべて顔を上げる。目前に立つ菜鬼の脚が瞳に映り込んだ。恐る恐る上へと視線を移すと、菜鬼の規則正しく並んだ六つの目が蓮華を見下ろしていた。

 菜鬼は人差し指を立てて、指をさす。蓮華の脚に向けられたその指先は、二発の閃光を放った。大気を切り裂いた二発の雷鳴。蓮華は何が起きたのか理解できずにいた。しかし自らの脚を見て、


「――ッヅぁぁあああぁああああああッッッ!」


 そこで初めて痛みに悲鳴を上げる。両足の膝から下が吹き飛び、じくじくと血を吐き出していた。

 頭の中で電流が弾けるような激痛に意識が朦朧としてくる。世界が歪んで見える。視点が定まらない。


「ハッ……ハッ……ハッ……ハッ……!」


 痛みのせいか、呼吸が浅く速くなる。まともに息すらできない。そんな中、首に締め付けと体に浮遊感。菜鬼が蓮華の首を掴んで持ち上げた。

 菜鬼の六つの瞳がギョロギョロと蠢き、蓮華を覗き込む。

 死ぬ。ヤバい。死ぬ。死ぬ――かつてない死の気配に心拍数が跳ね上がる。怖い。ただただ、怖い。

 死ぬのは嫌だ。そして何よりも――紗良々を護る。それが自分の役目だ。だから、死ねない。死ぬわけにはいかない――蓮華の死にかけていた目が生気を取り戻す。

 右腕はない。両足もない。既に状況は絶望的。だが、蓮華は残った左腕で首を掴んでいる菜鬼の腕を掴む。


「死んで……たまるか……ッ!」


 渾身の力で左手に力を込め、残った僅かな血を振り絞り――加熱。それが、今の蓮華に出来る最大火力だった。

 じゅうっ、と音を立てて菜鬼の腕が赤く焼き付く。菜鬼はギターの弦を引っ掻いたような奇妙な悲鳴を上げ、振り払うように蓮華を投げ飛ばした。

 蓮華は力なく地面を転がる。もう起き上がることさえままならない。だが、命綱は起き上がるまでもなく、転がった目の前にあった。

 先ほど蓮華が肉弾戦により蹴散らした餓鬼の死骸。その腕の肉片が、目の前に。


『もう餓鬼の肉は喰わん方がええ』


 星の瞬き程度のほんの一瞬だけ、紗良々のその言葉が脳裏に思い出された。しかし、迷う余裕も踏みとどまる時間もなかった。

 蓮華は必死に首を伸ばし、餓鬼の死肉へとかぶりつく。そしてほとんど咀嚼することもなく、肉塊を喉に下した。

 右腕と両足がむず痒くうずきだした次の瞬間には、骨が再生し、再生した骨へと肉が増殖するように貼り付いていき、皮膚が覆い、元通りの手足を取り戻す。


「大丈夫だ……僕は、バケモノなんかには……ならない……! 絶対に……ならない……!」


 自らを呪う呪文のように自分へと言い聞かせながら立ち上がる。

 脚は動く。腕も問題ない。発作も、ない。大丈夫。大丈夫――何度も何度もそう自分に言い聞かせる。

 だが、状況は芳しくなかった。まだダメージから回復しきれておらず、体に思い通りに力が入らない。

 こんな状態で菜鬼のあのスピードについて行けるはずがない。どうすれば――と菜鬼の様子を伺っていた時。菜鬼の全身に激しい稲妻が迸る。

 その様は、怒り狂った雷神を彷彿とさせた。どうやら菜鬼の逆鱗に触れてしまったらしい。


 しかしその時。一筋の(いかづち)が煌めく。それは、菜鬼の放ったものではない。矢のように駆けたその雷撃は、菜鬼を横から射抜いて突き飛ばしたのだから。


「なんやなんや、どえらいことになっとんなぁ」


 そして聞こえてきた、どこか安心感を覚えるほど耳なじみのある関西弁。

 その声の方を見やり、闇夜に咲く一輪の花のように凜とした彼女の姿を目にした蓮華は、思わず顔を綻ばせた。


「紗良々……!」

「プヒヒ! スマンな、えらい待たせてもうた」


 いつものクセのある笑い声。どんな苦境も乗り越えてしまいそうな屈託のない笑顔。いつもと変わらぬ紗良々がそこにいた。朽ちて崩れては再生を繰り返していた彼女の体も、今は何の変哲もない。いつも通りの彼女だった。〝怪異墜ち〟とやらによる変化は、今のところ見受けられない。


「紗良々……無事に、終わったのか……? 体は大丈夫なのか……?」

「見ての通りや。お陰様でな」


 紗良々は蓮華のもとまでひとっ飛びして快調そうに言う。とてもついさっきまで立っていることもままならなかったとは思えないほど、軽快な動きと口調だった。


「こないな餓鬼の群れからウチを守ってくれとったんやな……。ボロボロやんか」


 餓鬼の死骸が散らばった惨状を前にして、紗良々は重く悲しげに言葉をこぼした。だから蓮華は、紗良々に気負いさせないよう、明るく笑ってみせる。いや、安堵から自然に笑みがこぼれていたのかもしれない。


「生きてるんだから問題ねーよ。なにより、紗良々が無事で良かった」


 一瞬、紗良々の顔が上気した。


「……プヒヒ! ホンマ、嫌な男やなぁアンタ。あんまり乙女の心を弄んだらアカンで」

「は? 何言ってんだ?」

「なんでも。……とにかく、ホンマにあんがとな、蓮華」


 気持ちを包み隠さず吐露したみたいな言葉で紗良々は言う。それは木漏れ日のような温かみのある声で、蓮華はなんだか胸が温かくなった。

 その直後、奴は雷鳴と共に再び姿を現した。その体には、怒りを具現化したような電流が激しく散っている。


「まさか菜鬼が現われよるとはなぁ。ウチが奴に呪われたんもこの寺の近くやし、ここらは奴のテリトリーなんかもしれへんな」

「そうか……。紗良々は昔、ここで菜鬼に……」


 なぜ突然菜鬼が現われたのかと混乱していたが、ようやく合点がいった。そうだ、そもそも紗良々は幼少の頃、菜鬼に呪われて鬼人になったのだ。菜鬼がこの近辺をテリトリーとしている可能性は十二分に考えられる。


「それで……どうするんだ?」


 一転して緊張感のある気持ちに切り替えて、蓮華は問いかける。目の前にいる鬼は、三色鬼と呼ばれて区別されるほど恐ろしく強力だ。蓮華はそれを身をもって知っている。紗良々が復活したとはいえ、勝てる相手なのか不安なところだった。

 それに、蓮華はまだ〝怪異墜ち〟によって紗良々にどんな異変が起きているかも知らない。彼女に無理をさせていいものなのかも不安要素の一つだった。


「せやなぁ……。今のウチらじゃ火力不足や。アイツにまともなダメージすら与えられへんやろな。せやからここは『逃げ』一択や」


 そう言って、紗良々は右手の人差し指と中指を立てて口の前に添えた。あろうことか、それは呪術の構えだった。


「おい、何しようとしてんだよ!?」


 蓮華はすぐに阻止しようと声を荒げる。


「せっかく回復したのに、呪術なんて使ったらまた振り出しじゃねーか!」

「それは人間の体が残っとった頃の話や」


 紗良々は取り乱すこともなく、落ち着いた声で反論した。


「前のウチは人間の体が残っとったから対価に魂が必要やった。せやけど、完全な怪異になった今、話はべつや。呪術は妖術に本質を変える。つまり、鬼の力と同じように血を対価にして呪術が使えるようになってんねん」


 言葉で説明されたところで、蓮華としては半分ほども理解出来なかった。しかし一つだけ、揺るぎない現実を突きつけられた気がした。

 紗良々が〝怪異〟になった、という現実を。

 見た目に変化はない。だが、どうやら本当に、彼女は人間を捨てたらしい。


「……呪術を使っても問題ないってことか?」


 動揺を隠せないまま、蓮華はそれだけ確認しておく。


「ま、そういうことや」


 紗良々は説明を放棄するように、半ば投げやり気味に言った。そして、


「オン マユラ キランデイ ソワカ――」


 呪文を唱える。彼女の構える指先が蒼白く発光を始めた。

 だが、それを阻むかのように菜鬼が手を振りかざした。眩い閃光が迸り、迅雷が紗良々を狙う。

 紗良々は落ち着いていた。ただ手を振り上げるような自然な所作で空いた左腕を真っ直ぐ前へと伸ばすと、一筋の雷光を放つ。それは菜鬼の放った迅雷と衝突し、一瞬辺りを明るく染め上げる。その後、二つの雷は溶け合うように収縮し、相殺された。


「我ここに彼岸と此岸を繋ぐ。落とされし星は門を開き、開かれし門は汝を導かん――『羅天星門(らてんせいもん)』」


 最後に紗良々は目の前に五芒星を描き、右手を重ねる。すると、そのすぐ目の前に五芒星が描かれた魔法陣が出現した。直径は人の大きさほど。緋鬼を飛ばした時に用いた魔法陣より遙かに小ぶりなサイズだった。

 蓮華はそれを見て、当然のように、緋鬼の時と同じく菜鬼をどこかへ飛ばすのだろうと、勝手に思い込んでいた。しかし、違った。

 紗良々は蓮華の手を引いて声を張り上げる。


「蓮華! 飛び込むで!」

「ええ!?」


 どうやら飛び込むのは自分たちの方だったらしい。

 その予想外の展開に驚くばかりで心の準備もままならないまま、蓮華は紗良々に引っ張られて魔法陣へと身を放り投げた。

 光輝く魔法陣に吸い込まれた途端、全身を圧縮されたような奇妙な圧力が襲う。だがそれも数瞬だった。

 次の瞬間には足に伝わる硬い石の感触。唐突過ぎる上、勢いがあるせいで上手く着地できず、蓮華は躓いて盛大に転がる。体の至る所を打ち付け、石畳の無情で硬い痛みが全身に広がる。


「ここは……」


 起き上がってみれば、そこはどこかのビルの屋上だった。いや、どこか、ではない。蓮華もよく知っているはずの場所なのだから。そこは、蓮華たちの根城にしている高級タワーマンションの屋上だった。

 空に星も月もない。でも、それはヘルヘイムだからというわけではない。都会特有の、星の見えない明るい夜空というだけだ。風もある。街に光もある。つまり紛れもなく、表の世界だ。

 いつもはヘルヘイム側でしかこのマンションに出入りしていないため少し空気感が違うが、それでもマイホームに帰ってきたような、そんな安堵を覚える。


 ――しかし、その安堵は一瞬にして砕かれた。


「蓮華! 後ろや!」


 張り詰めた紗良々の叫び声。気配にハッとして振り返り、その危機に瞳孔を開く。


「な――ッ!?」


 光のような速さで菜鬼が蓮華に迫っていた。

 そのまま菜鬼が蓮華へと帯電した腕を振り下ろす。蓮華はすんでのところで転がって回避すると、屋上の地面が綺麗に真っ二つに割れた。少しでも身に受けていればひとたまりもない威力だった。

 菜鬼は転がって避けた蓮華を追いかけるようにまた腕を振り上げた。このままでは避けきれない――やむを得ず、蓮華は菜鬼へと手を翳す。

 そして発火――しようとした。


 だが。

 ドクリ、と心臓が一際強く脈を打つ。


 ――タベタイ。


 知らない自分の声が、もう一人の自分の声が、頭に反響する。視界が歪む。大量のヨダレが分泌され、口の中に溢れかえる。なによりも菜鬼を――喰いたくて仕方がない。

 あの〝発作〟だ。さっき餓鬼の肉を喰ってしまったせいかもしれない。体が言うことをきかない。今にも別の何かに体を、感情を、精神を、全てを支配されそうだった。

 菜鬼が腕を振り下ろす。その刹那。間一髪のところで、紗良々の雷を纏う超速の下駄蹴りが菜鬼の横っ腹に炸裂。菜鬼を激しく蹴り飛ばす。


「く……っ! なんちゅう(はや)さや! 魔法陣を閉じる前に飛び込まれてもうた! 蓮華! はよ立たんかい! こないな場所で奴と()り合うわけにはいかん! もう一度『羅天星門の術』で――」

「ダメだッ……紗良々……ッ!」


 紗良々の言葉を遮り、蓮華は胸を押さえて蹲りながらも声を絞り出す。

 加速度的に欲望が膨らんでくる。発作の程度がこれまでの比ではない。食欲が、抑えられない。このままでは――支配される。食欲に。欲望に。もう一人の、自分に。バケモノに――


「はあ? 何言うて……」


 怪訝そうに眉を寄せた紗良々が振り向く。


 ――ハラヘッタ。タベタイ。クイタイ。


「嫌だ……! 嫌だ……ッ!」


 ――クイタイ。クイタイクイタイクイタイクイタイクイタイ――


 止めどなく、その欲望が頭の中で連鎖する。


「黙れ……ッ! 僕はッ……バケモノなんかに……ッ!」

「蓮華! どないしたんや!?」


 紗良々の慌てふためく声が鼓膜を揺する。

 ダメだ。このままだと、紗良々も危ない――最後に残った自分の意識が、本能的にそう警笛を鳴らした。


「紗良々……逃げ――」


 そこで、ぷつりと電源が落ちるように蓮華の意識は途絶えた。


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