第三十四話 黒き刺客
ターヤンは暮木と共に拠点としているマンションの屋上に上り見張りをしていた。東京を一望できるくらいには高く、見晴らしは良好。見張りには打って付けだ。
しかしここはヘルヘイム。景色は最悪といっていい。人が居なければそこに営みが生まれるはずもなく、つまり景色は変動を見せず、時を止めたようにそのまま在り続けるということ。何も起きなければ、ただの薄暗いプラモデルの街を眺めているのと同じだ。非常につまらない。さらに風もなければ音もなく、まるで写真の中に入ってしまったような錯覚すら覚えてしまう。
「あーア、紗良々たんは大丈夫かナー……」
あまりの退屈さにターヤンは一人ごちる。すると置物のように動かず周囲を見渡していた暮木が反応した。
「ついて行けば良かっただろう。見張りなど俺一人で充分だ」
「そりゃボクだってついて行きたかったサ。でもせっかくのデートの邪魔をするなんテ、そんな野暮なマネはしたくないしネ」
「……最近のお前には驚かされる。紗良々を取られてもっと怒り狂うかと思っていたのだが、意外と冷静なんだな」
「くれっきー、それは冗談が過ぎるヨ。まだ二人はくっついてないシ。取られてないシ」
「そうか」
面倒くさそうでテキトーな返事だった。
「それに蓮華にはあの想いを寄せる幼馴染みがいるしネ。紗良々たんの想いは報われないのサ。そこでボクがそっと寄り添って紗良々たんの傷ついた心を癒やしてあげて『ああ、やっぱりウチにはターヤンしかおらへん』っテ……っ!」
「考えが腹黒いな」
暮木は半ば呆れている。
しかし、ターヤンはそんな桃色の妄想からすぐに現実へと戻り、溜め息をついた。
「……冗談ダヨ。本当は紗良々たんの想いが報われればいいト、報われて欲しいと思ってル。紗良々たんの幸せがボクの願いだからネ。彼女が幸せになってくれるナラ、それが一番ダヨ」
それは言い訳なのかもしれない。本当は、自分だって紗良々の一番そばにいたいのだから。そして紗良々を幸せに出来れば、それ以上はない。
「純粋で潔いことだな。だが美しい反面、悲しい考えだ。そこまで自分を犠牲にすることもないだろう」
「いいのサ。きっとボクはそういう自分にも酔っているんダ。普通じゃない生き方を望んでいたからネ。燃えるダロ? こういうノ」
「まったく理解できん」
「くれっきーってあんまり恋愛とかしてなさソ――」
冗談を叩き合っていた時、近寄ってくる気配を感じ取ってターヤンは口を噤む。
ビルからビルへと飛び移って高速で忍び寄る一つの黒い影。その軽々とした身のこなしからだけでも直感できる。かなり手強い相手だと。
「……見張りなど俺一人で充分だと言ったが、前言撤回だ。お前がいてくれて良かった」
「ダロ? ボクって役立つ男だからサ」
ずん、と重低音を奏でて二人の前に降り立った、黒い祭服を纏った巨漢。とてもビルの上を軽快に飛び回っていたとは思えないほどガタイがよく、祭服を破らんばかりに筋骨隆々とした肉体が主張していた。
小麦肌をした、外国系な顔つき。無毛の頭。両目の下には逆三角形の模様が描かれている。そして何より、彼の着ている祭服はターヤンと暮木がつい最近目にしたばかりのもの――梶谷と同じ服だ。つまり、餓鬼教の教徒。
彼は二人を一瞥すると、堅苦しく口を開いた。
「失礼。わたくしめはガフタスと申す。お二人をオーガキラーの衆とお見受けするが……間違いないか?」
腹に響くような野太く厚い声だった。
「そうだと言ったらどうナル?」
ターヤンの挑発的な受け答えに、彼――ガフタスは祈るようにゆっくりと瞼を閉じる。
「これも綾女様より頂戴したありがたき命令……。悪いがその命、差し出してもらおう――」