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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
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第三十話 代償

「……なあ、ターヤンは紗良々の過去のこと、知ってたのか?」


 ヘルヘイムのマンションへと戻って紗良々を寝室に寝かせたあと、それは不意に蓮華の口から飛び出していた。胸の内で考えているうちに、つい口に出てしまったのだ。復讐を誓った誠の結末を目の当たりにし、気持ちが暗くなっていたのも原因かもしれない。誠の姿が、紗良々の姿と重なって見えてしまったのだ。恐らく今回の紗良々も、復讐心で動いていたのだから。


 梶谷から語られた紗良々の起源とでも言うべき出来事。いつも自由奔放、勝手気ままで強情に、そしてどことなく闇を晴らしてしまうような明るさで振る舞っている紗良々に、そんな凄惨な過去があったことなど考えもしなかった。だからこそ、今の健気な彼女を思うと胸の奥が息苦しく詰まってしまう。

 蓮華も丈一郎に両親を殺された身だ。だからこそ、胸が痛む。その時の彼女の気持ちがわかってしまうから。――いや、それはおこがましい話なのかもしれない。紗良々は蓮華と違い、自らの手で両親を殺めさせられたのだから。その心中は、きっと蓮華ですら想像を絶する。


「……ボクも知らなかったヨ。『餓鬼教に殺された』っていうようなことは聞いていたけどネ」

「そうなのか……」


 ターヤンでさえも知らなかったとなると、誰にも話していなかったのだろう。

 以前に紗良々と陰陽師についての話をした時も、彼女は父のことをただ『死んだ』としか言っていなかった。おそらく知られたくなかったのだろう。あるいは、口に出したくもなかったのかもしれない。操られていたとはいえ、自分で自分の親を殺めてしまったことなど。


「紗良々は今までどんな思いで生きてきたんだろうな……。どんな想いで……僕たちを助けてくれたんだろうな」


 涙が出そうだった。

 蓮華を餓鬼の世界に踏み込ませないよう尽力してくれたことも、蓮華の両親を救うために丈一郎と戦ってくれたことも、すべて彼女の悲劇的な半生が生んだ行動だったのだろう。そこには、彼女の悲痛な叫びが込められているように思えた。

 自分と同じ思いをして欲しくない。こんな思いをするのは自分一人でいい――そんな、彼女の孤独な叫びが。

 そして彼女は指の隙間からこぼれ落ちていく砂粒を見て自らを責め、涙を流すのだ。また救えなかった――と。


「……なあ、ターヤン。紗良々の呪術って、もしかして僕が緋鬼に呪われた時に使ったのが初めてか?」

「そうだナ……ボクが知る限りはその時が初めてダ。ボクと知り合う前のことは知らないけどネ」

「どうしてそんなに使い渋るんだろうな」

「……どういう意味ダ?」

「考えてもみろよ。呪術はあんなに強力で、戦況をひっくり返す力さえ持っているんだ。その呪術を使うのに何のリスクもないなら、鬼の力よりも優先して使うべきだろ。なのに、紗良々はこれまで数えるほどしか呪術を使ってない。そして今回……結界の呪術を使った直後に明らかな異変を起こした。いや、今思えば、灰鬼の群れに囲まれて結界の呪術を使ったあの時から様子がおかしかった」

「……まさカ……!」


 ターヤンも察したように瞳孔を開いた。

 蓮華は頷き、言葉にする。


「ああ。もしかしたら呪術には、重大なリスクがあるんじゃないのか?」


 その導き出された答えを。


「――プヒヒ。バレてもうたか……」


 なんの予兆もなく唐突に声を上げた紗良々に蓮華とターヤンは飛び上がった。


「紗良々!」

「紗良々たん! 起きたノ!? 大丈夫!?」

「ああ……スマンかったな。ちょっと前から意識はあってん……。なんや、迷惑かけてたみたいやな……」


 紗良々はのそのそと上体を起こして言った。あれだけの騒動の中で安眠できるはずもなかったのだろう。蓮華はとても申し訳ない気持ちになった。


「ごめんな。僕たちが不甲斐ないばかりに……」

「なんで謝んねん。単純に嬉しかったわ。皆してウチのこと助けようとしてくれて」


 紗良々は笑って言った。とはいっても、顔色はまだ悪く、瞼も半分落ちていて明らかに無理をしている様子が窺えて、蓮華は胸が痛くなる。


「紗良々さん、起きたの!?」


 騒々しく寝室の扉が開かれ、麗を筆頭に浩太郎、天助、愛奈がなだれ込んできた。暮木は周囲の警戒に出払っているため不在だ。


「良かった……! 紗良々さん、良かった!」


 感極まった様子で麗が紗良々へと抱きついて、紗良々は苦笑いを浮かべていた。


「元気そうやな。無事に催眠が解けたみたいで良かったわ」

「はい。紗良々さんのお陰です。本当に私、感謝しかなくて……ずっとお礼を言いたくて……! ありがとうございました、紗良々さん!」


 麗は涙ぐみながらも感謝を口にした。

 それを皮切りに、愛奈が一歩踏み出て深々と頭を下げる。


「本当に、ありがとうございました。見ず知らずの私たちのために……むしろ無礼を働いてしまった私たちなんかのために、ここまでして助けて頂いて……! 本当に、ありがとうございました……っ!」


 嗚咽混じりに震えた愛奈の声。感動と感謝に打ち震えた気持ちがそのまま声に出てしまったかのようだった。

 そんな愛奈に続けて、浩太郎と天助も頭を下げ始める。


「すんませんでした。オレ、あんたらのこと疑ってすげーナマイキなことして……。マジですんません。オレらは何も持ってねぇし、力もねぇからどう償えばいいか、どうお礼すればいいかもわかんねぇから頭下げるしかできねぇけど……とにかくすんません」


 揃って律儀に頭を下げる彼ら彼女らを一瞥して、紗良々は「プヒヒ」といつものように笑った。


「そんなん受け取れへんわ。結局ウチは、私怨で動いとっただけやしなぁ……」

「そんなわけにはいきません」


 今度は愛奈が勢いよく頭を上げたかと思うと、大きく息を吸って、(まなじり)を決する。命を捨てる覚悟すら決めたような大仰とした眼光を走らせて一直線に紗良々を見据え、右腕を差し出した。

 その彼女の手に何かが握られているわけではない。文字通り、彼女は『腕』を差し出したのだ。


「約束の『対価』です。私の腕でも、足りなければ私の命でも、どうぞお受け取り下さい」

「「は……?」」「え……?」


 浩太郎と天助、麗が揃って水を被ったように目を見開いた。何も知らない三人にとって、それは寝耳に水だっただろう。まったく状況を理解できないといったように目が泳いでいる。


「愛奈……? 『対価』って……?」

「どういうことだよ……? お前、麗を助けてもらうかわりに何か取引きしてたのか……?」

「うん、そうだよ。私の『腕』と引き替えに助けを頼んだの。麗ちゃんを助けられるなら安いもんじゃない」


 雨上がりの空を彷彿とさせるような清々しく明るい声で愛奈は言う。あるいは二人を心配させないよう、強がっているのかもしれない。


「そんな……! 待ってくれ! そんなことしないでくれよ! 頼む! オレが何でもする! なんだったらオレの手足だってくれてやるから! だからそれだけは勘弁してくれよ!」

「俺からもお願いします!」

「そもそも私を助けるための取引きだったんでしょ? それなら私がその『対価』を払えばいい話です!」

「みんな……」


 三人を見て、愛奈は心揺さぶられるように小さく声をこぼした。

 深く、そして強く繋がった絆。そんなものが目に見えてきそうなほど、彼らには互いを想い合う情に溢れていた。

 そんな彼らを前にして、紗良々はまたも「プヒヒ」と笑う。


「ああ、あれな。冗談や」

「え……?」


 よほど意表を突かれたのか、愛奈の目が点になった。


「冗談って……。え……? どうして……」

「ウチらが命張って助ける価値があることなんかどうか、見極めさせてもろたんや。アンタが半端な覚悟やったら見捨てるつもりやった。そもそも、ウチのためにアンタらも戦ってくれたやんか。それで十分すぎるほどや」


 それを聞いて、蓮華はほっと胸を撫で下ろす。

 紗良々が見返りを求めた時はどうしたものかと焦燥を覚えたが、やはり紗良々はそんな冷徹な女ではなかった。やっぱりなんだかんだと優しいのだ。

 愛奈は安堵して気が緩んだのか、目元に溢れんばかりの涙を浮かべ、


「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます……っ!」


 今までで一番深く、頭を下げた。


「ええ『家族』やんか。大切にしぃや」


 紗良々は愛奈の頭をくしゃっと撫でる。愛奈はダムが決壊したみたいにわんわんと泣きじゃくり始めた。

 その心温まる光景を、蓮華は微笑ましく見守った。






 浩太郎たちにはそこで一旦退室してもらった。ここから先は、紗良々と真剣に話をしたかった。


「なんや。ぽかぽかしてて気持ちええな……」

「ああ、それは僕の力だ。ごめん、勝手に手の甲に僕の血を塗っちゃったんだけど……」

「ほぉー。こんなこともできるんか。えらい便利な暖房器具やなぁ」

「だから僕を暖房器具として扱うなっての……」

「プヒヒ。おおきに」


 気丈で屈託のない笑顔で言うものだから調子が狂ってしまい、蓮華は頭を掻く。

だが、流されるわけにはいかない。蓮華は気持ちを入れ替えて、顔を引き締める。


「話してくれよ、紗良々。何が起きているのか」

「……なんで呪術が『呪いの術』言うか知っとるか?」


 紗良々から返ってきたのは明快な答えではなく、前提としての認識を確かめるような問いかけだった。


「……相手を呪う術だから?」

「ちゃう。呪われるんは……自分自身や」

「え……?」

「呪術はな、使う度に術者の魂が削られるんや」

「な、なんだよそれ……!」


 蓮華とターヤンは二人して驚愕に瞳を揺らした。


 ――鬼の力が自らの血を消費するように、呪術は自らの魂を削る……?


 つまり、やはり呪術には代償が存在した。血よりも遙かに大きな代償が。何のリスクもなくあんな強大な奇術を行使できるはずもなかったのだ。

 紗良々が呪術に頼り切りな戦術を用いなかった理由。ここぞという場面でしか呪術を使わなかった理由。蓮華の予想通り、点と点が繋がっていく。


「前に話したやろ。呪術は本来、陰陽師の正当継承者しか使えん。それはな、正当継承者なら呪術を使うても対価に支払う魂が少なく済むっちゅう意味やねん。……でも、ウチは正当継承者やあらへん。ただの陰陽師の血を引いた小娘や。なんせ、ウチが呪術のことを知ったのもオトンが死んでからやからな。そんなただの人間が呪術を使うとどうなるか……それはな、ごっそり魂を持ってかれてまうんや」

「そんな……! じゃあお前は今までずっと、呪術を使う度に――!」

「プヒヒ。せやなぁ……。正直、だいぶしんどいわ……」

「紗良々たん……」


 ターヤンは今にも倒れそうになる紗良々の肩を支えて何かを言おうとして、言葉を飲み込んでいた。ターヤンの目は紗良々を想う心の痛みが表れ、今にも涙をこぼしそうになっている。

 それは蓮華も同じだった。

 これまで紗良々の呪術によって幾度となく蓮華は命を救われている。紗良々はその度に身を挺して魂を捧げていたということだ。その無理がたたってこの悲痛な有様になってしまった彼女に、蓮華も何を言えばいいのかわからなくなっていた。


「プヒヒ。そんな顔すんなや。ウチが勝手にやったことや。気にせんでええ」

「そうは言っても……! こんな状態のお前を見て気にせずにはいられねーだろ!」

「ウチは大丈夫や。まだ奥の手がある」

「奥の手……?」

「……蓮華。頼みがあんねん。今からウチを、実家まで連れてってくれへんか?」


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