第二十九話 一矢報いて
「蓮華。ここは俺に任せて、早くあの子を」
「……大丈夫なのか?」
蓮華は不安だった。人質を取るという姑息な手を使われたとは言え、蛇塚の強さは本物だった。誠の実力は知らないが、菜鬼の眷属の力に対抗できる力がそうそうあるとも思えない。
だが、誠は迷いなく言った。
「問題ない。というより、勝手な事を言って悪いが……手を出さないで欲しいんだ」
その言葉の真意を蓮華は理解できなかった。何か策があるのかもしれない、と、そんな意味で捉えて、蓮華は頷く。
「わかった。頼む」
蛇塚はのぞみを襲ったイエロースネークのボスというだけでなく、紗良々にまで危害を加えようとした。蓮華としても、もう黙って見過ごすわけにはいかない。人違いだと判明したときに大人しく紗良々を返していればまだ怒りの収まりがついたものの、ここまでされては一発ぶん殴らなければ気が済まない。だから誠たちと共闘したい気持ちはあった。
だがそれ以上に何より、紗良々の身が心配だった。既に起き上がっていた麗が紗良々を抱き上げていて、蓮華も駆け寄る。幸い、紗良々に目立った外傷はなく無事だった。しかし蓮華の施した手の甲の血文字が霞んで、保温の効力が切れかけていた。すぐに蓮華は血飴を取り出して口に放り込むと、噛み砕いて即吸収し、傷を癒やしつつ戦闘により不足した血を補給する。そして自分の親指を少し噛み切って血を滲ませると、もう一度紗良々の手の甲に血文字を描いた。これで当分は安心だろう。
そう安堵していたところ、背後で破裂音のようなものが響き、蓮華は振り返る。そして目の前にあった光景に言葉を失った。
これから何らかの策を弄した誠が蛇塚と激闘を繰り広げるのだろうと、そう思って疑わなかった。それだけでなく、骸門寺もいる。明らかに形勢はこちらに傾いているのだ。いくら蛇塚が強かろうと、万が一の事態などあり得ないはずだ。――だが、物語は蓮華の予期せぬ形で、急速に幕引きへと向かっていった。
そこにあったのは、蛇塚の帯電した右腕が誠の胸を貫いている姿だった。的確に心の臓を貫いて破壊している。いくら鬼人といえど、肉を喰ったところで回復できない致命傷だった。不死身に近い治癒力を持つ蓮華ならまだしも、誠は通常の鬼人なのだから。
蛇塚の顔に愉悦の笑みが浮かぶ。
「久しぶりだなぁ、桜木ィ。随分と勇ましい登場だったが……秒殺とは呆気ねぇ。思い出話に花を咲かせる時間もなかったなぁ」
ごぷっ、と誠は血塊を口からこぼし、胸を貫いている蛇塚の帯電した右腕を掴んだ。
「そんな……誠……!」
蛇塚がそれほどの強者だったとでもいうのだろうか。だが、様子がおかしい。この惨劇を前にして、骸門寺は不気味な髑髏の頭上で腕を組んで傍観しているだけだった。誠が捕われたとき、一人でイエロースネークに斬り込もうとしてきたほど情に厚い男のはずなのに。
その違和感の真相は、すぐに明かされることとなった。
「お前と、語らうつもりは、ない……。ただ、この時を、待っていた……!」
誠は途切れ途切れに言葉を絞り出す。そして蛇塚の右腕を指が食い込むほど力強く掴むと、
「捕まえたぞ、蛇塚……!」
蛇塚が何か失態に気がついたようにハッと目を見開かせた。その瞬間、蛇塚の足が地面に沈み始めた。沼に嵌まるように、ずぶずぶと自身の影の中へと飲み込まれているのだ。蛇塚が慌てて誠の胸から腕を引き抜いた時には、既に両膝から下が影の中に飲まれていた。蛇塚は抜け出そうと抗ったが、どうやら自力では抜け出せないらしい。
「桜木……テメェ、何を……」
「クソ……足、だけか……情けねぇ……。ごめん、美鈴……。でも、これで……」
誠が膝から崩れ落ちる。その瞬間に、彼は事切れたらしい。倒れて血溜まりをつくり、動かなくなった。
それと同時にして、ぶつり、と何かの断裂するような音が響いた。蛇塚が地面に倒れ込む。蛇塚の地面に埋まっていた両足が失くなり、血が噴き出していた。
「まさか……俺の足を……」
蛇塚が右腕だけで体を起こしつつわなわなと震え始めた。
「赦さねぇ……俺の足を……! 赦されねぇ……!」
怒りを体現するかのような雷が蛇塚の体がから放たれた。その雷は天に向かって光を伸ばすと、エネルギーを溜め込むかのように蒼白い球体を生み出す。
「消えろォ!」
咆哮の直後、天に浮かんでいた電流の玉から一筋の光が足を下ろす。それは蛇塚に直撃し、彼自身を起爆剤として周囲に強烈な電撃の爆発を巻き起こした。
激しい雷鳴とフラッシュが収まった頃、蛇塚の周囲は木っ端微塵に吹き飛び抉れた地面が残るだけになっていた。既に命亡き誠を、さらに跡形残らず消し去らんとした一撃だったのだろう。まさしく生身の人間など肉片も残らない威力だった。
だが、誠の亡骸は無事だった。落雷の直前に飛び出した骸門寺が誠の亡骸を抱き上げ、爆心地から運び出していたのだ。骸門寺は直撃は免れたもののその一瞬で安全地帯まで避難することはできず、背中に爆風を受けて誠を抱えながら転がっていた。
「骸門寺ィ……邪魔すんじゃねぇ……! そいつは俺が形も残らねぇように消し飛ばす!」
骸門寺は何も答えず、優しく誠の亡骸を降ろして寝かせると、蛇塚へと振り返って冷たい双眸で蛇塚を見据えた。冷静を貫きながらも、その奥には激しい怒りの滾る瞳だった。すると、骸門寺の周囲に不気味な骨が組み上がっていき、骸門寺を肋の中で包み込むような巨大な上半身だけの髑髏が出現した。
「舐めんじゃ……ねぇぞォ……!」
蛇塚はもう右腕しか残っていないというのに立ち上がった。両足の断面から蒼い電流を放出し、足を形作った電流の義足を生み出して。執念深い姿だった。
蛇塚が右手に電流を集めて突き出すと、電流が弾丸となって放たれる。その弾丸によって骸門寺を覆う髑髏の何本かの肋骨が消し飛んだが、すぐに増殖するように再生した。
蛇塚の電流の足が地面を蹴ると、周囲を電光石火のごとく駆け巡り、果ては遙か遠くのビルの壁面へと飛び移ったかと思うと、さらにその向かいのビルの壁面へと飛び回り、持ち前の光のような素早さで撹乱を始めた。そして一頻り周囲を飛び回ると、骸門寺へと飛んでいく。しかし、骸門寺の前で突如として地面から突き出した巨人のような骨の拳が蛇塚をアッパーのように打ち上げた。宙を舞い、やがて落下してきた蛇塚へと髑髏がその巨大な腕を振りかぶって拳を叩き込む。凄まじいインパクト音を打ち鳴らして飛んだ蛇塚は、瓦礫の山と化した美術館に墜落して砂塵を巻き上げた。落下地点は終始腰を抜かしたままの庄平のすぐ隣で、彼は泣きそうな顔で瓦礫の中の蛇塚に首だけ振り返って見ていた。
「どいつもこいつもォ……蹂躙される側の分際でェ……!」
それでも蛇塚は瓦礫を崩しながら這い上がった。そしてまるで物を掴むかのように、庄平の頭を掴み上げた。その時点で庄平は何をされるのかを理解したのだろう。
「へ、蛇塚さん……! や、やめ……!」
懇願虚しく、蛇塚は庄平の首を噛みちぎった。真紅の鮮血が噴水のように噴き出し、血の雨の中で蛇塚は夢中になって庄平を喰らっていた。一通りめぼしい肉を喰い漁った後、雑に庄平を投げ捨てる。当然ながら庄平は息絶えていた。
血を浴びて赤く染まった蛇塚は獰猛な野獣のような有様で骸門寺を睨んだ。体にバチリと電流が弾けると、姿が消える。その瞬間に骸門寺を覆っていた巨人の髑髏が砕け、骸門寺が吹き飛んだ。両足を失ってなお、これまでよりもさらに速く消えるようなスピードで攻撃を仕掛けたのだ。しかしその動きは体の限界を超えたものなのだろう。蛇塚は唸り声を上げながらよろめいていた。両足を失いながらも執念だけで動き続ける蛇塚の姿は、バケモノのようだった。
骸門寺が立ち上がるとまた新たな髑髏が生成されて彼を覆った。それだけでなく、蛇塚を取り囲むように巨大な四体の髑髏の上半身が出現する。それらは一斉に蛇塚へと拳を叩き込んだ。大地の激震の直後、しかしそれぞれの髑髏の拳に亀裂が生じ、その亀裂は腕を伝って髑髏全体に走り、四体は弾けるように砕け散った。中心には激しい稲妻を身に纏った雷神の如き蛇塚が立っていた。
蛇塚が宙を殴るような素振りをすると、苛烈な稲妻が走って骸門寺を襲う。骸門寺が何体もの髑髏を生み出して壁を築くと、雷撃はそれら全ての髑髏を跡形もなく消し飛ばした。
雷撃を凌いだ骸門寺は反撃に転じ、地面に拳を叩きつけた。蛇塚の周囲の地中から無数の大きく鋭い骨が飛び出し蛇塚を挟み込む。それらの骨は蛇塚に届く前に稲妻に粉砕されてしまったが、さらに蛇塚を取り囲むようにデタラメな骨が組み上がっていき、堅牢な骨の檻が完成した。その蛇塚を閉じ込めた骨の檻は、骸門寺の纏う髑髏が腕を振り上げてハンマーのように拳を振り下ろし、粉砕した。
蛇塚もろとも叩き潰したかに思われたが、蛇塚は骨の中で髑髏の拳を受け止めていた。だが両足を失った無理のある戦闘はいくら肉を喰っても補いきれないのだろう。その姿は辛うじてといった様子で、限界が見え隠れしていた。
「うおおおおおおおお!」
蛇塚は自身を奮い立たせるような雄叫びを上げて稲妻を撃ち、髑髏の拳を破壊。地面を蹴り得意のスピードで翻弄して骸門寺へと攻撃をしかけるが、先ほどより格段に速度が落ちていた。骸門寺に完全に動きを捉えられ、再生した髑髏の腕で弾かれた。雷撃により髑髏を粉砕するも肝心の骸門寺には届かず、髑髏は粉砕されたそばから再生する。
それでも蛇塚の執念の攻撃が連続し、しばらく骸門寺の防戦が続いた。骸門寺は反撃にも出ない。蛇塚の急激に消耗した様子を見て、このまま電池切れまで消耗させるべきだと判断したのだろう。事実、数分もしないうちに蛇塚が膝を突いた。膝から下の電流の足を維持できなくなったのだ。
足を失った彼は俯せに倒れ込んだ。
骸門寺は自身を覆っていた髑髏を消し、代わりに地面から一本の槍のような骨を生み出して手に取った。
「何か言い残すことはあるか?」
「……最期くらい、あんなマズい肉じゃなくて、いい女の肉を喰いたかったなァ……」
その言葉を聞き届けて、骸門寺は蛇塚の背中、およそ心臓の位置を墓標のように骨の槍で突き刺した。
「……終わらせよう。長すぎた、蛇と骸の戦いを」
骸門寺は踵を返し誠の亡骸に歩み寄った。そして誠を抱き上げ、そのまま何も言わずに立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
まるでバケモノ同士のような激闘を傍観していた蓮華は、思わずその背中を呼び止めた。このままでは、あまりにも……納得出来ない。
「どういうことだよ……何が起きたんだ? どうしてお前は、誠が殺される前に助けに入らなかったんだよ!?」
「それが誠との〝約束〟だったからだ」
骸門寺は立ち止まると、蓮華に振り返ることはせず、静かな声で答えた。
「誠の鬼の力は『影』だ。一定以上の濃さの影があれば、その影へと瞬時に移動できる。誠がお前の助けに現われることができたのも、その力のお陰だ。だが……それだけなんだ。とても蛇塚の力に対抗できる鬼の力ではない。だが、それでも誠は蛇塚との一騎打ちを望んだ。どうしても自分の力で蛇塚を殺したいと、それだけの想いで」
「どうしてそこまでして蛇塚を……」
「誠は蛇塚に恋人を殺されている。その復讐だ」
それは物語としてありふれていて、不純物がなく直線的で、しかしだからこそ誠の抱えた痛みが伝わってくるような動機だった。
「誠には、もし蛇塚との決戦を迎えられる日が来たら手を出さないでくれと頼まれていた。これは誠の復讐劇だ。俺が横槍を入れていいものでもない。だから俺は……俺たちレッドスカルは約束した。誠の戦いを見守ることを。そしてもし誠が復讐を果たせなかった時は、俺たちレッドスカルが蛇塚を殺してみせると」
蓮華にはもう何も口出しできなかった。できるはずがない。これほど深い絆を前にして、部外者の自分が物を言えるはずがない。
「影の力は触れた相手も影に飲み込むことができる。だが、その力に殺傷能力はない。触れた相手も一緒に影移動ができるというだけだ。もし影に体の一部を飲み込ませた状態で鬼の力を解除しても、強制的に影から吐き出されるに過ぎない。……だが、もしその状態で術者が死に至った場合は話が異なる。影の力は解除されるのではなく、消滅する。その二つは似ているようで全く異なる結果を生む。消滅した場合、飲み込んだものも消滅するからだ。だから蛇塚の足は消滅した。誠は、相打ちの覚悟で初めからそれを狙っていたんだろう。本当は蛇塚の半身くらいを影に飲み込むつもりで」
説明は終えたとでも言うように骸門寺は歩き始めた。ちょうどその時、無数の気配が近づいてきた。現われたのは、赤い衣類を纏った集団だった。さらに、
「蓮華!」
ターヤンの声が呼び、振り返るとターヤンや暮木、それに浩太郎たちが駆けつけていた。どうやら誠の言っていたレッドスカルの救援により、無事に勝利に収めたようだ。
「紗良々たんは無事カ!?」
「ああ、この通りだ」
麗の抱きかかえる紗良々を見てターヤンは安堵の息をついた。暮木も無表情ながらにほっとしたような空気を纏わせ、浩太郎たちも盛大に息を吐いて安堵を示していた。
「こうして無事でいられたのも……誠やレッドスカルの皆のお陰だ」
見ると、レッドスカルのメンバーは骸門寺の行く先に列を成し、頭を下げて黙祷を捧げていた。その姿に誰一人として動揺はなく、ただひたすら仲間の死を悼んでいる。彼らもわかっていたのだろう。誠が蛇塚と相打ちの覚悟で復讐を果たそうとしていたことを。
カラーギャング――紗良々から初めてその言葉を聞いた時はまともな印象を受けなかった。イエロースネークのように不埒な輩の集まりなんだろうと偏見を抱いていた。だが目の前の光景には、それが間違いだったと思い知らされる。
仲間を想い、想いを尊重し、仲間のために戦うその生き様がそこにあった。