表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
76/103

第二十六話 蛇塚銀次

 蛇塚は元々、山梨の田舎の生まれだった。農家を営む両親を持つ、一人息子。ドラマにあるような歪んだ家庭でもなく、人並みに両親の愛情を受けて育った。蛇塚自身もそんな両親に感謝を抱き、子供の頃から家業をよく手伝っていた。

 それは大学に進学し、東京に出てからも変わらなかった。大学が長期休暇に入ると必ず帰省し、家業を手伝うようにしていた。


 そして蛇塚が大学四年生になり、厳しい就職活動も終えて地元に就職が決まった二十二歳の冬。蛇塚の人生を根底から崩壊させる出来事が起きた。餓鬼との遭遇だった。

 冬期休業で実家に帰省していた蛇塚はその日、母に頼まれ、片付け忘れた農具を裏山にある納屋へと運んでいた。時刻にしておよそ夜八時。夜遅い時間と言うほどでもないが、その日は月もなく闇の深い夜だった。

 全ての農具を片付け終え、一息ついて納屋から出た蛇塚はその瞬間に呼吸を忘れた。目の前に異形の怪物がいたからだ。


 サイコロの六の目のように眼球が整然と並んだ長細い顔。発達した爪を持つ長い指。牙のような湾曲した幾本ものトゲが突き出した背中。虎柄のような鮮やかな黄色と黒の(まだら)な体色。

 背中に生えるトゲの間では蒼白い電流が弾けている。まるで雷神――しかし神と呼ぶにはほど遠く禍々しい。

 唐突に出現したその異形のバケモノに、蛇塚は硬直するしかなかった。声も出ない。悲鳴を上げるという考えが浮かばないほど思考が飛んでいた。


 バケモノは指名するように蛇塚を指さした。鋭く細長い異様な指が蛇塚の胸元に伸ばされ、チクリと痛みが走る。その間も蛇塚は恐怖のあまり動けず、思い出したように荒々しく呼吸を乱して立ち尽くしていた。

 しかし最悪を想定していた蛇塚の恐怖心を裏切るかのように、そのバケモノはのしのしと歩いてその場を去り、闇に紛れて消えていった。


「何だったんだ、今の……」


 夢か幻か――暴れる心臓を静まらせるように胸元を押さえた蛇塚は、しかし先ほどの出来事が紛れもない現実だと思い知らされた。痛みを覚えた胸元の箇所に、不穏な赤い痣ができていた。

 次第に風邪を引いたときのように体が重くなり、頭がぼやけ始めた。さらには押し寄せる異常な空腹と喉の渇き。わけもわからず、今にも倒れそうになって、蛇塚は急いで山を下りて家へと戻った。


 そこで蛇塚に待っていたのは、この世の真理とも呼べる残虐な現実――そして蛇塚の人格を根底から造り替えた出来事だった。

 畳の敷かれた居間の和室が血の赤に塗り替えられていた。倒れる父の胸には大きな風穴が空き、隣に倒れる母は腕が刃物のようなもので切り落とされていた。だが母はまだ息があるらしく、目尻に涙の浮かんだ瞳で蛇塚を見上げていた。そんな有様でありながらも、その瞳は第一に息子を案じて『逃げろ』と訴えていた。


 母は、魔術師のような黒いマントを羽織った男に踏みつけられていた。隣にはもう一人、同じ格好の男がいた。二人ともフードを深く被っており顔は見えない。だからというわけではないが、蛇塚はもうこの男たちの顔を思い出せない。彼らを殺してしまった今となっては、もう思い出すこともないだろう。

 彼らは蛇塚が問い詰めるまでもなく講釈を垂れた。そこで蛇塚は初めて知ることになった。あのバケモノが餓鬼という怪異の、さらに菜鬼と呼ばれる特別な餓鬼であること。自分がその餓鬼に呪われて鬼人になりつつあること。人を喰らうと完全な鬼人になること。そして彼らが餓鬼教という組織の鬼人であることを。


「君は選ばれた存在だ」「我々は君を歓迎する」「これから鬼人として生きる君に、帰る場所など必要ない」――口々に言って、男は掌から血を沸き立たせてナイフを形成すると、母へと振りかざした。

「やめろ!」


 咄嗟に飛び出した蛇塚だったが、軽い蹴りであしらわれて壁まで飛ばされた。激しい痛みに襲われたが、構わず立ち上がって抵抗を試みた。だが、まだ鬼人もどきだった蛇塚と完全な鬼人である彼らとでは、体構造レベルで次元が違った。まるで子供をあしらう大人。手も足も出ず、蛇塚はボロ雑巾のように転がるしかなかった。

 起き上がることもできないほど嬲られて、それでも顔を上げると、男の手に持つ血のナイフが長さを変え、刀のように長くなった。そして――母の胸に突き刺さる。


 蹂躙――まさにそんな光景だった。力なき者は喰われるしかない弱肉強食の世界。

 その時、蛇塚の瞳の奥で何かが弾けた。崩壊した。おそらくそれは、これまでの価値観の全てだった。


 力による支配――この世界はそれが全てだと悟った。その瞬間に、目の前に転がっていた母の腕にかじりついていた。血肉を喉に下した途端、体の組織が根こそぎ書き換えられていくような血の沸騰を感じた。


 蛇塚が起き上がると、自身の体から電流が弾けていた。それが自分の力なのだと悟るのに時間はいらなかった。同時に、本能的に使い方を理解した。

 男たちは歓喜したような声を上げていた。しかし次の瞬間には、彼らは消し炭になっていた。蛇塚は電流の跳ねる手を握り締めて誓った。これからは阻むもの全てを己の力で蹂躙してやろうと。


 気に入らない奴は殺した。欲しいものは奪い取った。力を誇示し、全てを思うさまに支配していった。やがて、その力に魅せられた者とその力にひれ伏した者が集まり、グループが形成された。拠点としていた東京にカラーギャングが存在することを知っていた蛇塚は、菜鬼の象徴とも言える黄色をシンボルカラーとして、カラーギャング『黄色蛇(イエロースネーク)』を結成した。もともと黄色をチームカラーとするギャングは東京に存在していたが、潰して色を奪った。


 権力も、金も、肉も、女も、菜鬼の眷属の暴力的な力を前にして奪えないものはなかった。――あの女に出会うまでは。

 すらりとした長く白い足にそそられたことを鮮烈に覚えている。だから例の如く、蹂躙して奪おうと思った。――だが、返り討ちにあった。その女は雷の力を使う、蛇塚と同じ菜鬼の鬼人だった。あっという間に左腕を奪われ、跪かされた。そして気がつくとその女は消えていて、蛇塚はヘルヘイムの一角で一人跪いていた。


 油断があっただけだ――そう自分に言い聞かせた。女一人に腕を奪われ、情けのつもりか命を奪われることもなく見逃された。屈辱以外の何者でもなかった。

 赤い髪の、紗良々という名前の女。その情報がやけに脳に貼り付いていた。見逃したことを後悔させ、次こそは蹂躙してみせる。怒りとともにそう誓った。


 その悲願を果たす機会が早くも目前に迫っている。いつもの展示室で椅子に一人で腰掛けながら、左腕を掴んだ。嬉しくて左腕が疼いていた。

 さあ、どう蹂躙してくれよう。泣いて謝るまでいたぶって、それから生きたまま腸を引きずり出して、血を絞り出して――喰い殺す。ああ、早くあの女を味わいたい。


「蛇塚さん!」


 待ちわびた声が入ってきた。庄平は汗を浮かべ、安堵と焦燥を混濁させたような顔をしていた。外が騒がしい。敵に追われながらここまでたどり着いたのだろう。だがどうでもよかった。あの女さえ手に入れば。

 庄平の肩には赤髪の女が抱えられていた。蛇塚はすぐに理解する。庄平には紗良々をおびき出すよう命じていた。だが庄平は、紗良々を攫ってきたのだ。思った以上に優秀じゃないか、と褒め称えてやりたくなった。

 しかし、歓喜に歪んだ蛇塚の口元はすぐに笑みを失った。庄平の肩に抱えられた女――いや、少女を見て、違和感を覚えた。


「……そいつが例の女か?」

「はい! 蛇塚さんの情報通り、赤髪の、菜鬼の鬼人の女ッス!」


 確かに、鮮やかな赤い髪は記憶通りのものだった。だが、幼い。すぐに、そういえば、と思い出す。庄平が初めに『子供(ガキ)』と言っていたことを。言葉通り、本当に子供のような見た目だった。

 黒い浴衣からは対照的に白い脚が覗いている。だが……違う。おかしい。――俺は、長く白い脚に欲情し、求めたはずだ。こんな子供の矮躯にそそられるはずがない。


 僅かな頭痛が掠めて蛇塚は頭を押さえた。


「蛇塚さん……?」


 庄平が蛇塚の顔を不安そうに覗き込んだのとほぼ同時にして、展示室の扉が破られた。

 凄まじい爆発音と共に扉が吹き飛び、その爆発によって扉周辺は炎に包まれた。その炎の中に立っていたのは、怒りに顔を染めた一人の少年だった。その後ろには、何人ものイエロースネークの兵隊たちが倒れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ