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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
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第二十五話 無償の愛

「――ッハァ……ハァ……!」


 ターヤンは工場の真ん中で立ち尽くし、疲弊して呼吸を荒く乱していた。筋肉で膨れあがった雄々しい肉体は、しかしいくつもの裂傷をつくり、血を流している。


「うグッ……!」


 突然、また切り傷が増えた。見えない敵によって、徐々に命を削り落とされている。すぐに豪腕を振り回すが、風を切るばかりで的を捉えることができない。

 見える相手ならば、手の届く相手ならば、何者だろうとその持ち前の腕力によってねじ伏せる自信があった。だがその自慢の筋肉も、攻撃の当たらない相手にはただのお飾りにしかならない。相性が悪い。ターヤンの苦手とする相手だった。紗良々の電撃のように簡単にはいかない。


「チクショウ……! こんなところデ……手こずってる場合じゃないんだヨ!」


 ターヤンはがむしゃらに拳を振り回し、暴れ回った。入り組んだ巨大なパイプを殴り飛ばし、引きちぎって投げ飛ばし、タンクを倒壊させ――力の限りに破壊を尽くす。だが、やはり肝心の的を射た感覚はない。いたずらに体力だけが摩耗していく。


「はーっはっはっは! 惨めな姿だなぁ。そんなにあの女が大事か?」


 どこからともなく北条の高笑いが響いてきた。


「アア、ボクの命よりもナ!」


 声のしたと思われる方向へと、近くにあったフォークリフトを投げつける。豪速で飛んでいったフォークリフトは工場の壁に衝突して大破し、爆発して炎を上げた。


「愛か。愛ってやつか。美しいじゃねぇか。羨ましいねぇ。俺たちの中にはそんな仲間想いな奴は一人もいねぇよ。コウキがやられたって時も、報復だなんだと騒ぎはしたが、涙を流した奴なんていねぇ。結局のところ暴れるための火種が欲しいだけ。俺たちってのは、その程度のチームなんだ」

「へぇ、そうカイ。しょーもないチームなんだナ」

「その通り、しょーもないチームなのさ! だが俺は嫌いじゃない。人の目を気にして自分を隠す臆病者より、自分を剥き出しにしたバカ共の方がよっぽどマシだ。所詮人間なんて偽善の塊でしかねぇ。褒められたいから褒められるようなことをするだけ。怒られたくないから悪さをしないだけ。褒める奴がいなきゃ誰も善行なんて積まねぇ。叱る奴がいなきゃ悪行三昧だ。人間ってのはそういう利己的な生き物なのさ。だけどほとんどの奴らは世間の目を気にして仕方なく綺麗な人間の皮を着てやがる。俺はそういう奴らのがよっぽど嫌いなのさ。お前だってそうなんだろう? 『仲間を助ける勇敢な自分』を褒めて欲しくて、見返りが欲しくて行動してるだけ。そうだろう?」

「性悪説ってやつカ。悲しいやつだナ、お前ハ。無償の愛を知らないなんテ」

「無償の愛? あーはいはい。知ってる知ってる。頭ン中お花畑の奴が抱く幻想のことだよな!」


 ターヤンの腹部に衝撃が走り体が弾き飛ばされた。恐らく、蹴りを入れられたのだろう。ターヤンは駐車されていた大型トラックに背中を打ち付けて転がった。ターヤンの巨体を突き飛ばすほどの鋭い蹴り。敵は透明化の鬼の力を持っているだけでなく、肉体的にも鍛えられているらしい。厄介な相手だった。


「幻想なんかジャ、ナイ……。確かに褒められた方が嬉しいケド、でも喩え褒められなくてモ、支えになりたイ……。そういう心だってあるんダヨ」

「そいつは美しいねぇ。で、そいつはどこで買えるんだ? 是非俺にも売って欲しいもんだ!」


 今度は脇腹に衝撃を受け、太鼓を叩いたような音が響いてターヤンの体が転がった。激しい鈍痛が脇腹を蝕む。でも、ターヤンは立ち上がって、見えない敵を嘲笑った。


「貧しい発想だナ……! 売る買うの話じゃナイ。人望があるかどうかの話なんダヨ。きっとお前ハ、人望のない寂しい人間なんだろうナ。だから誰からも愛をもらえないんダ」

「……うるせぇなぁ」


 ターヤンの一言は逆鱗を綿毛で触れる程度には北条の心を波立たせたらしい。これまで支配者のごとく余裕の口振りだった彼は、苛立たしげな口調に変わった。


「無償の愛がなんなんだよ? その幻想のせいでお前は死にそうになってんだぞ? 馬鹿げてると思わねぇのか? 割に合わねぇと思わねぇのか?」

「アア、思わないネ。見返りなんて求めてナイ。彼女を護るためナラ、何だってスル」

「ああそうかよ。じゃあ、その幻想の中で幸せに死にな!」


 攻撃が来る――それはわかるのに、どこから来るかわからない。北条はこれまでいつでもターヤンへとトドメを刺せたのに、それをしなかった。ターヤンをいたぶり、遊んでいた。だが恐らく次の一撃は、容赦なく命を刈り取る一撃となるだろう。そんな気配がした。

 絶体絶命――かに思われた。しかしその時。


「ターヤンさん! 右斜め後ろ!」


 少女の声が降ってきて、その声にハッとしたターヤンは咄嗟に拳を指示通りの右斜め後方へと振り抜く。その拳は空気を切り裂き、しかし見えない何かに当たり、殴り飛ばした。


「うぶ……っ!」


 それは宙に飛びながら色を取り戻していき、北条の全容を映し出す。彼の鼻はひしゃげ、鼻血が噴き出ていた。そのまま彼は地面を転がり、苦痛に呻く声を上げた。


「今の声ハ……」


 ターヤンが声のした背後に振り返ると、工場の屋根の上に立って安堵の表情を浮かべる彼女を見つける。


「愛奈!」

「何かお力になれればと思って。来て正解でした。見えない相手でも、私の力なら居場所を掴めますから。私がターヤンさんの目になります」


 愛奈はターヤンの隣に降り立つと、強い意志のこもった凜々しい顔つきで言った。か弱く護る対象でしかなかった彼女が、今となっては頼もしい出で立ちとなっていた。彼女の中で明らかに心境の変化を、成長を迎えている。そんな立ち姿だった。素直に心強く思って、ターヤンは口元に笑みを浮かべる。


「ありがとウ。助かったヨ。デモ、他の皆ハ? 特に麗は大丈夫なのカ?」

「麗は目を覚ましました。皆もそれぞれの場所に向かっています。そして、私たちの中で一番恩を返したいと思っているのは……麗なんです。だから彼女は向かいました。紗良々さんのもとに」


 紗良々の想いが彼女らを動かしている――それは紗良々の想いが報われている証のように思えて、ターヤンは嬉しくなった。

 だが、喜びに浸る時間はなかった。


「チッ、探知能力の鬼人か……。厄介な援軍だな。だが――チェックメイトだ」


 北条が起き上がる。ターヤンの一撃を食らったその顔にはしかし臆する気配などなく、未だに勝ち気に溢れていた。


「そんな……!」


 その意味を悟ったように愛奈が瞳を揺らした。


「どうしタ?」

「来ます……! 二十以上の、鬼人の集団が!」


 その言葉はすぐに現実として現われた。次々と出現した黄色い群衆が、舞台となる工場を取り囲んだ。


「『足止め』は終わりだ。ここからは一方的な(なぶ)り殺しの始まりだぜ」


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