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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
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第二十話 布石

「――こちらです」


 梶谷に(いざな)われて、丈一郎は餓鬼教の教会の一室に訪れていた。

 学校の教室ほどの広さをした味気ない部屋の中央に、一つぽつんと椅子が設けられている。その椅子には、腰掛ける一人の少女がいた。

 部屋に明かりはなく、心の闇を蝕むように薄暗い。そんな部屋で、彼女は微動だにせず椅子に座っていた。手足を縛られているわけでもない。ただただ、置かれた人形のように座っていた。虚ろな目は空虚を見つめ、半開きの口からはヨダレが垂れている。


「……進捗状況は?」

「じき、僕の〝完全催眠〟が完了します。具体的な時間で言えば……あと二、三時間といったところかと。そうなれば、僕の意のままに彼女を操れます」

「それはそれは……結構なことです」


 丈一郎は彼女の目の前に立って屈むと、虚ろな目を覗き込む。しかし彼女の目は焦点を変えず、丈一郎の向こう側を見たまま動かない。


「良い働きを期待していますよ――穂花さん」


 丈一郎はそう微笑みみかけて、最後に彼女――漆戸穂花の頭を軽く撫でる。二人が部屋を出て行くと、その部屋は再び完全な闇に包まれた。


「では丈一郎様、いかが致しますか? このまま今夜、彼女をお使いになられますか?」

「そうですね……」


 丈一郎は悩ましく唸る。丈一郎の目にはもう一つ、別の情景が映っていた。それは常に蓮華の近くに漂わせている水滴から覗く監視映像だ。その映像では、ベッドで眠りにつく紗良々と、それに寄り添い手を握る蓮華の姿が映っていた。


「……恐らく今夜は難しいでしょう。また時が来たら私から指示をします。それまでいつでも対応できるよう、準備をしておいてください」

「かしこまりました」


 そのまま二人は本堂へと向う通路を歩いていたが、すぐに足を止める。前方からドタバタと騒がしい足音が聞こえてきたからだ。


「梶谷さまぁ~ん!」


 その騒がしい足音の主はすぐに視界に飛び込んできて、甘い声と共に光の速さで丈一郎の横を通り過ぎていく。そして斜め後ろを歩く梶谷へとロケットのように突っ込んで抱きついた。


綾女(あやめ)、只今戻りましたぁ! あーん! 梶谷さま会いたかったですぅ! 梶谷さま不足で死ぬかと思いましたぁ! 梶谷さま梶谷さま梶谷さまぁ!」

「おかえりなさい、綾女さん。ご苦労さまです」


 梶谷の胸に顔を擦りつけるようにして欲望のままに甘える彼女を、梶谷はそれとなく引き離して優しく笑みを作って出迎える。それが不満だったのか、彼女は物足りなそうに口をすぼめた。

 シルクのような艶やかさを持つ黒髪は、通り過ぎる男全ての目を魅了するような美しさを放ち、さらに彼女の透き通った白い肌を一層際立たせている。黒いローブに包まれた上半身は露出が少なめだが、対照的に下半身は黒いフリルのミニスカートになっており、大胆かつ惜しげもなくその美脚を晒している。

 彼女――綾女は梶谷の直属の部下であり、護衛の役目を務めている教徒だ。


「おや、綾女さん。お久しぶりですね。お元気そうで――」


 丈一郎が挨拶しかけたところで、突然、綾女は強烈に床を踏みつける。そこにはいつの間にか、鏡面仕上げの氷ができていた。綾女はそれをヒールの踵で踏み砕いたのだ。


「何しとんじゃ変態青スーツ。私の体は梶谷さまだけのもんじゃい。てめぇのブタみてぇなキモい目で勝手に視姦してんじゃねぇよ殺すぞ」


 綾女は梶谷に対するときとは打って変わって、その美貌からはかけ離れたドスの利いた口汚い口調に変わり果てて丈一郎を睨む。


「ふふふ。すみません。スカートを見るとついクセで」


 彼女の嫌悪の眼差しを丈一郎は愛想笑いを浮かべてやり過ごす。

 音も気配もなく女性の足下に鏡面仕上げの氷を忍び込ませる脅威の芸当は、丈一郎の十八番(おはこ)技。誰にも気付かれずに遂行することなど朝飯前だ。しかし、梶谷以外の男には異様なほど警戒心が強い綾女にはどうしても通用したことがない。こうなればなんとしてでもパンツを拝んでやろう――と、丈一郎の中で妙な闘志が燃えていた。その結果、彼女に会う度にセクハラを繰り返し、今では視界に入っただけで汚物を見るような目を向けられるほど嫌われてしまったというわけだ。


「こ、こら! 綾女さん! 丈一郎様に向かってなんてことを……! 申し訳ありません丈一郎様!」

「いいんですよ、梶谷さん。むしろ私にとってはご褒美です」


 そんな冗談で場を和ませようとした丈一郎だったが、綾女からは舌打ちと同時に歯をむき出しにしていがまれてしまい、どうやら火に油だったらしい。


「うぉおおぉおおおぉおおおおん!」


 さらにもう一つ、泣き声にも似た叫びを上げて近づいてくる騒がしい気配があった。


「遅くなり申し訳ございません! このガフタス、全身全霊をもって陳謝……深く陳謝致しますっ!」


 小麦肌をした、ガタイのいい大男が走ってきて、土下座をする勢いで頭を下げた。


「これはこれは、ガフタスさん。あなたもおかえりなさい。頭を上げていいですよ」

「ああ……っ! 感謝……深く感謝致しますっ!」


 丈一郎に優しく促された彼――ガフタスは神を拝むように両掌を結び、丈一郎を見上げた。

 彼を簡単に表現するとすれば、無毛の頭をしたインド系大男といったところだ。両目の下には何かの風習を思わせるような逆三角形の模様が描かれているが、その双眸はガタイに似合わず常に涙で潤んでいる。


「お二人が帰ったということは、捜索を終えたということでしょうか?」


 丈一郎が訊ねると、綾女が「ああ、そうだよ」とぶっきらぼうに答えた。


「ったく、こんな陳謝男と二人で長期遠征とかマジ最悪だったし。いつこのブタに犯されるかわかったもんじゃなかったっつーの。あーあ、どうせなら梶谷さまとが良かったなぁ? 梶谷さまになら襲われても大歓迎っていうかぁ、むしろ襲ってっていうかぁ?」


 上目遣いに梶谷へと色仕掛けを始めた綾女だったが、梶谷はいつもの笑顔を貼り付けてスルーだった。さすがに梶谷はもう彼女の扱いに慣れている様子だ。


「それで……状況は?」

「そ、それが……っ!」


 丈一郎が報告を求めると、ガフタスは口ごもる。その様子からもう丈一郎は察しがついた。


「見つけられなかったのですね?」

「も、申し訳ございません! 陳謝っ! 深く陳謝致します! 陳謝陳謝……ただひたすらにっ、陳謝ぁ!」


 ガフタスは取り乱したように陳謝を並べ、涙を散らす。

 綾女はバツの悪そうにそっぽを向いて舌打ちをした。


「私らだってあちこち探し回ったんだよ? 千葉に神奈川に埼玉に群馬に……。でもどこにも居なかったんだもん。しかたないじゃん」

「別に咎めるつもりはありませんから大丈夫ですよ」


 言い訳を並べる綾女に丈一郎は軽く諭す。

 二人には緋鬼の捜索を命じていたのだ。およそ三ヶ月に及ぶ大捜索となったわけだが、残念ながら成果はなかったらしい。


「これだけの時間をかけて捜索しても見つからないとなると、紗良々さんの呪術によってよほど遠くに飛ばされたか、あるいはどこかに隠れているとしか考えられませんね……」

「そうですね……。丈一郎様の仰っていたように今回現われたあの緋鬼が偽物であるとするなら、本物は王位継承戦に向けて力を温存しているのかもしれません」


 丈一郎の呟きに梶谷も同調を見せる。と、そんな梶谷を見て綾女が「あっ」と声を漏らす。


「か、梶谷さま! 首に傷が……! どうされたのですか!?」

「ああ、いや……これは……」


 梶谷は首を押さえると、目を泳がせ、畏縮した視線でちらりと丈一郎を覗き見た。

 まだ恐怖がその身に染みついているのだろう。僅かに彼の体が震えている。そしてその畏怖のあまり、ヘタなことは言えない、と答えに困っているに違いない。

 丈一郎としても、これ以上綾女の逆鱗には触れたくないため、余計なことは言わないで欲しいところだった。だから、にこりと意味深に梶谷へと微笑みかける。それを見た梶谷は一瞬肩をびくつかせ、すぐに視線を外した。


「……先ほど、オーガキラーの面々と一戦交えましてね……。そこで負傷してしまったのですよ」

「へぇ……オーガキラーの奴らが梶谷さまの体に傷を……」


 綾女の目が重く座る。深淵のように深い闇が瞳の奥で蠢いていた。


「あいつら、東京に来てたんだ……。ふふっ。ちょうどいいや。ちょっと前に打っておいた梶谷さまと私の愛の布石が役に立つかもね」


 禍々しい笑み。これは余計悪い方へ転がってしまったのでは――丈一郎はそんな嫌な予感がしてならなかった。


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