第十四話 カルマ
「えー! やだやだやだー! もっと穂花ちゃんとイチャイチャしたいー!」
「我が儘言わないでください。あなたを穂花さんと二人きりにするなんてとても容認できません。色々な意味で危険すぎますから」
「丈一郎のケチー! ケチオヤジー! ぶーぶー!」
「はいはい、そうですね。では帰りましょうか」
駄々をこねる奈月を丈一郎は強引に外に連れ出す。
「それでは穂花さん。私たちはこれで失礼します」
「はい、ありがとうございます。丈一郎さん……そして奈月さんも、蓮華のこと、よろしくお願いします」
「お姉さんにまっかせなさい! 穂花ちゃんのお願いなら何でも聞いちゃう! だから報酬としてアタシと濃厚なチューをぶぼぼっ!」
丈一郎は奈月の不埒な顔を水球で包んで黙らせる。無理矢理にでも黙らせないと永遠に不毛なやり取りが続いてしまいそうだった。
「穂花さんも……くれぐれもお気を付けて。では」
引きつった笑みを浮かべる穂花に、丈一郎は最後にハットを浮かせて軽く会釈し、奈月を引きずってその場を去った。
「――ぶほはっ! げーほげほっ! ちょ、ちょっと! 死ぬかと思ったじゃない! 何すんのよ!?」
犬みたいに顔を振り回して水を払って、奈月は声を荒げた。
「あなたが節操のない行動をするからです。少しは反省して頂きたい」
「節操がないとは失礼な! アタシは世の中のかわゆいおにゃの子を平等に愛しているのだ!」
「それを世間一般に節操がないと言うのです」
騒々しい奈月に疲れ果て、丈一郎は一つ大きな嘆息をする。
「そういえば澄風さん。一つお訊きしたいことがあるのですが」
「スリーサイズは教えないわよ?」
「…………。催眠の鬼の力は、操られていると自覚させずに誰かを操ることは可能でしょうか? 例えば、自分の意思で動いていたつもりでも実は催眠により思考を操作されていた、というような」
「うーん、そうねぇ……。ゆるーく時間をかけてじっくりと催眠をかければ可能じゃないかしら?」
「なるほど……。ありがとうございます。大変参考になりました。それでは私は用事がありますので、これで失礼しますね」
「あら、どこか行くの?」
「ええ。蓮華くんたちに少々難儀な動きがあったので、餓鬼教の方へ顔を出しておこうかと思いましてね。……私はもう、蓮華くんを監視できても常に近くにいるようなことはできません。彼に何かあったら……頼みますよ、澄風さん」
「……オトコの面倒見るなんて御免だけど、穂花ちゃんの想い人とあっちゃしかたないわね。やれるだけのことはやってやろうじゃない」
「頼りにしてます」
奈月と別れてすぐ、丈一郎は足早にヘルヘイムに入りある場所を目指す。
その〝施設〟に入ると、まず濃密な血の臭いが鼻を掠めた。遠くから獣のような唸り声も聞こえてくる。
その声を目指して足を進めていく。その道中、牢屋のある通路を通った。どの牢屋の中も血みどろで、原型がわからないほどに変形した老若男女の遺体が転がっている。体が膨張して弾けていたり、体の一部が餓鬼化していたり……どれも凄惨な有様だ。
声を頼りに辿り着いた先は、囚人たちが健やかに体を動かすための中庭のような運動場だった。
高く威圧的なコンクリート塀に囲まれたその運動場で、二人の少年と少女が唸り声を上げていがみ合っている。聞こえてきた獣のような声の正体はそれだった。
そしてその様子を高みの見物でもするように建物の屋上から見下ろしている男の姿を見つけ、丈一郎はその彼の横までひとっ飛びする。
「お忙しいところお邪魔します。梶谷さん」
「これはこれは、丈一郎様!」
梶谷は微笑みを浮かべながらも、眼鏡の奥の瞳を大きく開いて驚きを見せる。
「このような場所にお越しになられるとは珍しいですね。何かご用件でも?」
「ええ……少しね。それにしても、いつ見ても趣味が悪い場所ですね……あなたの『実験場』は」
「はははは! あの牢屋を見られてしまいましたか。お見苦しいところをお見せしてしまったようで申し訳ない」
「それで、これは何をやっているのです?」
「『選別』ですよ。鬼人の中からより強力な個体を選び抜いているのです。頑健な肉体と魂が備わっていなければ、たちまち餓鬼の毒に侵され肉体が崩壊を始めてしまう……。牢屋の中に転がっていた肉塊は、そんな〝失敗作〟たちです」
あれを『失敗作』……いかにも命を弄ぶ狂人の言いそうな言葉だと丈一郎は思った。
「……おや、そろそろケリがつきそうですよ」
梶谷は運動場を見下ろし嬉々とした笑みを浮かべて言う。
丈一郎もそちらへ視線を移すと、二人の少年少女が互いに濁流のような血の刃をぶつけ合い、死闘を繰り広げていた。どうやら二人とも業血の鬼の力を持っているようだ。
やがて体力も血も底を突いたのか、少女の動きが鈍り始める。生み出された血の刃は脆く崩れ、少年の業血によって打ち砕かれていく。そして最後、少年の造り出した槍のような業血が少女の胸を貫き、闘いは幕を閉じた。
「素晴らしい。あの少年ならばきっと自らのカルマを打ち砕いてくれることでしょう。さっそく準備に取りかからなければ」
梶谷は数回の拍手を浴びせた後、目を赤く光らせる。すると少年の体が一瞬硬直し、糸が切れたように倒れた。
「梶谷さん。残念ですが、恐らくその時間はありません」
「どういうことでしょう?」
「ここにいる望月麗という少女をご存じで?」
「ええ。彼女でしたら僕のお気に入りの一つですので、もちろん把握しております。なんでしたら、今すぐ呼びましょう」
梶谷の目が再び赤く染まる。直後、階下から影が飛び出して屋上に着地した。それはまるで人形のように生気のない顔をした少女だった。
丈一郎はこの少女を覚えていた。教会で梶谷に呪血の採取の同行を誘われた時、呪血を生み出すための餓鬼の餌役として監禁され、さらにその場で呪血を植え付けられていた少女だ。
「それで……彼女がどうかしたのですか?」
「どうやらこの少女には探知能力を持った鬼人のお友達がいたようです。ここを探知されてしまいました。じき、彼女を救出するために攻めてきます」
「それは涙ぐましい絆ですね……。ですが、まあ問題ないでしょう。並大抵の鬼人であれば僕一人でも――」
「それが、残念ながら相手はただの鬼人ではありません。こちらに攻めてくるのは、蓮華くんを含むオーガキラーの四人衆です」
「なんと……!」
梶谷は驚愕を顔に貼り付けた。
「そのお友達は偶然オーガキラーと巡り会ってしまったようでしてね……。さすがに相手が悪い。ここはその子を置いて、大人しく撤退した方が得策でしょう」
「そうですか……。非常に悔しいですが、相手がオーガキラーとあっては仕方がないですね……。また別の場所を探しましょう。この子はお気に入りだっただけに残念ですが、処分するしかありませんね……」
「……どうするおつもりで?」
「貴重な材料ですから。有効活用させて頂きますよ。それに……この子はかなり良質な魂を持っている。試さない手はありません」
そう言って、梶谷は徐に腰に携えたポーチから小瓶を取り出す。呪血の入ったそれの蓋を開けて、麗の痣のない方の手を取り、垂らした。
「普通は僕の完全催眠の中で自我を保つことなどできません。深い眠りに落ちたように自我を失うのです。それなのに、この子は僕の催眠の中でも絶えず意識を保っている……。健やかにして頑強な魂を持っている証拠です。だからこの子なら必ずや二つ目の呪血を受け入れてくれる……そう信じ、これまで大切に扱ってきました。それだけに、このような未熟な状態で試すことになってしまったことが大変心苦しいところです……。この子はまだ鬼人になって二週間弱。本当はもっと餓鬼の血に体が馴染んでから行うのがベストなのですがね……。この際仕方がありません。後はこの子を信じるだけです」
打ち上げられた魚のように暴れ回った呪血は麗の手の甲に潜り込み、新たな赤い痣を刻む。
「……うぁあ――ッあぁああぁああああああああああッッッ!」
それまで人形のようだった麗は断末魔のごとく悲鳴を上げ、のたうち回る。呪血を注がれた腕が別の生き物のように暴れ、膨張や収縮を繰り返している。おぞましい光景だった。
「さあ、せめぎ合う餓鬼の魂に打ち勝てるか……それがあなたの運命の分かれ道です。どうか見せておくれ。キミの魂の輝きを。キミのカルマを!」
狂気に染まった梶谷の目が苦しみ藻掻く麗を見つめる。
数十秒……いや数分だろうか。やがて麗は静まった。あれだけ変形を繰り返していた腕も今は何事もなく、元通りの姿形を保っている。
「……ははは……あはははは! 素晴らしい! やはりあなたは僕の期待通りだった! あなたは見事運命を掴み取った! 自らのカルマを打ち砕いたのです!」
高らかに笑う梶谷の笑い声がこだまする。丈一郎にはさっぱりわからなかったが、どうやら成功ということらしい。
「梶谷さん……興を削いでしまうようで申し訳ありませんが、そろそろ切り上げるべき頃合いです」
「何を言っているのですか丈一郎様! 二つ以上の呪血を受け入れられたのはまだこれで三人目! この成果を前に切り上げるなど到底できません!」
梶谷はかなりの興奮状態にあるようだ。目がギラついている。
「ですが、その少女を連れて行くことはできませんよ? オーガキラーの方々はその少女を追いかけて来るのですから」
「確かに連れて行くことはできません……。ですが、ここで性能を確かめることはできます。貴重な実験体……骨まで使い切らなければもったいない……!」
「……オーガキラーと戦わせる気ですか?」
「ええ。そして是非ともその魂の行く末を見届けたい。いや! 僕にはその義務がある。それに、そろそろ丈一郎様に連れてきて頂いた〝彼女〟が仕上がります。その前に緋鬼の鬼人をこの目で確かめておくのも悪くないでしょう」
「そうですか……私としては逃げることをお勧めしますが」
何よりも、丈一郎としては梶谷をオーガキラーの面々に接触させたくないところだった。
梶谷の力は、彼らでも太刀打ちできない可能性がある――
「いいのです。『天冠の日』が近づいている今、多少の無茶は承知でも念入りに下準備をしたいのです」
梶谷は悦に浸った様子で天を仰ぐ。
「『静寂せし世界に黒き太陽が昇りし時、紅き魂交わりて冥界の門は開かれん』。ああ、ついに教祖様の悲願が果たされる日が目の前に……!」
「……お好きにして頂いて結構ですが、ほどほどにした方が身のためですよ。では私はこれで」
「おや、帰られてしまうのですね。丈一郎様にお供して頂ければ心強かったのですが……残念です」
「すみませんが、私は他にも用事がありましてね。何かあったらすぐにこちらへ駆けつけて差し上げますよ」
「それはありがたい。ところで、用事とは?」
「裏切り者の尋問です」
「……そうでしたか。お務めご苦労様です」
梶谷はいつもの笑みを貼り付けたまま言う。しかし、メガネの奥でその目だけが笑っていなかったのを丈一郎は見逃さなかった。
それから丈一郎は餓鬼教の教会の地下に赴き、一つの牢屋の前に立つ。
そして牢屋の中で半裸のまま鎖に縛られた瀕死状態の男に向かって、丈一郎は微笑みかけた。
「さあ、レオさん……。お仕置きの続きを始めましょうか」