第十二話 救いを求める眼差し
蓮華はベンチに腰掛けてぼーっと視線を泳がせる。「ばっちこーい!」という威勢の良い紗良々の声がして、暮木が華麗なフォームでもってボールを投げると、紗良々がバットをフルスイング。かきーん、と気持ち良い打撃音が鳴り響き、ボールが飛んでいく。
「うひょー! 蓮華! 今の見たか!? しかと見たか!? ホームランや!」
「はいはい。ちゃんと見てたよ。すげーすげー」
どういうわけか、蓮華たちはバッティングセンターに来ていた。
ヘルヘイム側だから当然だが貸し切り状態。その代わり電気が通っていないため投球マシーンが動かない。だから暮木がピッチャーを務めている。それもなかなか上手い。
あの後、居心地の悪い空気の中帰り道を歩いていたところ、紗良々が突然「動きたい」と言い出してここに来た運びだ。とてもそんな気分にはなれない蓮華は見学に徹している。というより、こんなことしている場合なのだろうか、と甚だ疑問なくらいだった。
「蓮華はやらないのカ? もしやりたいならボクが投げてやるゾ。魔球殺人ボールをナ」
「デッドボールする気満々じゃねーか……。いいよ僕は。そういう気分じゃないし」
「そうカ……それは残念ダ」
ターヤンはマッチョモードに変身すると、鬼の形相で誰も居ないバッターボックスへと投球。その次の瞬間には鼓膜を破るような衝撃音がして、バッターボックスの後ろのコンクリート壁にボールがめり込んでいた。穴の開いた防球ネットが静かに揺れている。
「ウーン、イマイチ……。壁くらい貫けると思ったのにナァ」
「どこがイマイチなんだよ……。速すぎてボールが見えなかったぞ……」
蓮華は身を震わせる。あんなのを受けたら死んでしまう。
「さテ、じゃあボクも至福の紗良々たん鑑賞タイムといこうカナ。ムフフ」
「『も』ってなんだ。僕をお前と同類にするな」
ターヤンは蓮華の隣に腰掛け、紗良々に見とれ始めた。ターヤンの周りにお花が咲いているのが見えそうなほど幸せそうな顔だ。
しばらく無言の空気が続く。紗良々のボールを打つ音とハツラツな声だけが響いていた。ターヤンが口を開く気配は、ない。
「……僕に何も訊かないのか?」
「エ? 何ヲ?」
「いや、僕の異変について、とか……。紗良々も何も訊いてこないし……」
「別にキミのことなんてキョーミないシ。てか紗良々たんのこと以外キョーミないシ。訊く事なんてないネ。紗良々たんに迷惑さえ掛けなきゃどーでもいいヨ」
ターヤンの紗良々中心でブレない精神に蓮華は感心すら覚えた。
「ケレド、紗良々たんは敢えて訊かないようにしているだけダロ」
「敢えて……?」
「まだキミ自身も自分のことで混乱しているだろうことを思っテ、気を遣っているんダロ。こうしてバッティングセンターに来てるのモ、少しでもキミの気晴らしになればと思ってのことなんだと思うヨ」
「そう……だったのか……」
紗良々にそんな気を遣わせていたことに、蓮華は申し訳なさが込み上げた。
「ダカラ、整理がついたら自分から話すとイイ」
「……ああ、そうするよ」
「……そういえバ、キミにちゃんと謝っていなかったナ」
ターヤンは突然、静かな声色でそんなことを切り出す。
「何のことだ?」
「のぞみのことダ。そのことについても紗良々たんは心配してイタ。あれからずっと浮かない顔をしているっテナ。まだ引きずっているんだロウ?」
核心を突く一言だった。
蓮華はぎゅっと拳を握り締める。
「……そうだな。正直、まだ引きずってる」
自分がもっと早くに力を付けていればどうにかできたんじゃないだろうか。もっと違う未来があったんじゃないだろうか。――いや、あったはずなんだ。どうにかできたはずなんだ。そう思うと後悔が止まらなくて、蓮華は気持ちが暗く深い谷の底に落ちていく。のぞみの無邪気な笑顔や嬉しそうな顔を思い出す度に、どうしようもなく泣きたくなってしまう。
「のぞみを犠牲にするようなマネをして本当にすまなかっタ。あの時のボクは頭に血が上っていてどうかしていタ。それに……まさかあんなことにまでなるとは思わなかったんダ……。本当に……すまなイ」
「やめてくれよ。ターヤンは正しかった。ターヤンの言っていたように、あれはいずれ起きることだったんだ。誰かに責任があるとすれば、それはやっぱり僕以外あり得ない。のそみを護れなかった僕の弱さのせいだ」
「……キミは本当に不思議な奴だナ。モテる理由もわかル」
「は? 何言ってんだよ。一度だってモテたことねーぞ」
「ぶん殴ってイイカ?」
「何でぶほぁ!」
顔面にターヤンの一撃がめり込んで蓮華はすっ飛んだ。
「本当に殴られた……理不尽すぎる……」
「許可は取っタ。ボク悪くナイ」
「許可してねぇよ!」
「でも断られてもナイ」
「断る暇も与えられずに殴られただけだ!」
なんなんだよコイツ。ジャイアンかよ。似てるのは体格だけにしてくれ。と蓮華は心の中で愚痴る。
「なに男同士でイチャイチャしとんねや。キモいぞ」
気がつけば、紗良々がネットにしがみついて軽蔑的な視線でこちらを覗いていた。
「これがイチャイチャに見えるのか? だとしたらお前の目は腐ってるぞ」
色んな意味で。
「バカタレ。ウチの目は健全や。ばっちぃもんは見えんようにフィルターがかかる高性能な眼球やぞ。せやからいっつも蓮華にフィルターが作動しよって直視できへんのや」
「つまり僕はばっちぃもんかよ……」
と、そんなおふざけを繰り広げていた時だった。がたん、と入り口の方で扉の開く音が響く。蓮華たちの間の空気が一気に張り詰めた。
餓鬼が侵入してきたのだろうか、と身構える。が、姿を現した物音の正体に蓮華たちは肩の力を抜いた。
「お前は……」
立っていたのは、胸の前で手をもじもじさせ、緊張と畏縮をごちゃ混ぜにしたような不安げな眼差しでこちらを見つめる一人の少女――雨里愛奈だった。
そして彼女は意を決したようにその眼差しから不安を脱ぎ去り、代わりに希望を宿して、「あの」と口を開く。
「お願いします。どうか私たちに……力を貸してください」