表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
57/103

第八話 その手は何も掴めない

 薄暗くて、誰も居なくて空っぽで、まるでプラモデルで造った偽物の街みたいなヘルヘイム側の街を蓮華は闊歩する。

 人混みの嫌いな蓮華にとって、ヘルヘイムは楽園のように感じられた。東京は表側の世界が人に溢れ過ぎていてストレスが溜まる。ヘルヘイムは東京を貸し切ったみたいで開放的だし、静かだし、ずっと過ごしやすいのだ。


「……ここだな」


 隣を歩く暮木が呟いた。

 二人の目先にあるのは立派な校舎が立ち並ぶ巨大な学園。荘厳な門や綺麗に整備された庭を持つ私立大学だ。さすが大学の学び舎と言うべきか、高校にはない規模の大きさをした校舎や庭をしている。見た目も現代的でどことなく知性が漂っていて、憧れというかトキメキというか、そんなキラキラした感情を蓮華は抱かなくもない。


「じゃ、行きますか」


 少し呼吸を整えて二人はキャンパス内に足を踏み入れた。その途端、蓮華は肌をぴりぴりと刺激するような空気の張りを感じ取った。

 キャンパスの中心部と思われる中庭にたどり着き、二人は水面に浮かぶ木の葉のように静寂としてその場に佇む。……けれど、様子がおかしい。


「……来ないな」

「……だな」

「ここって餓鬼の巣……だよな……?」

「そのはずだが……」


 暮木は少し自信なさげに答えた。

 しかし、餓鬼の巣であることは間違いないはずだった。この独特の空気感がそれを告げている。

 なのにどうして自分たちが踏み入れても一匹の餓鬼も現われないのか、蓮華は疑問を抱いた。


「少し周りを見て回るか」

「だな」


 それから二人はだだっ広いキャンパス内を校舎の上に飛び乗って散策して――すぐに異変が目に入った。

 そこは本来、生い茂る芝生の敷き詰められた端正なグラウンドだったのだろう。それが今や黒く蠢く餓鬼の群れで溢れかえっていた。


 だが、その中心だけぽっかりと穴が空いたように空間ができている。蓮華が目を凝らしてみれば、そこに二人の人影のようなものが見えた。

 誰かがいて、餓鬼に囲まれて襲われているように見える。


「行こう、暮木さん」

「ああ」


 二人はすぐさま校舎から飛び降りてグラウンドを目指した。


「くそっ……! ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!」


 近づくにつれてグラウンドから聞こえてくる少年の叫び声。時折グラウンドの中心から爆風が巻き起こり、数体の餓鬼が吹き飛んでいく。


 グラウンドに着くや否や、蓮華は業火により中央までの一直線上の餓鬼を一気に焼き尽くして活路を開く。灰となった餓鬼を踏み潰して走り、蓮華は襲い来る餓鬼を焼き払いつつ、暮木は業血により造り出した大剣で餓鬼を薙ぎ倒しながら、二人で中心を目指して駆け抜けた。


「大丈夫か!?」


 餓鬼に囲まれていたのは二人の少年だった。二人とも手の甲に赤い痣がある。見た目は中学生ほどだろうか。少し幼さが残る顔をしている。鬼人は歳を取らないため実年齢はもっと上かもしれないが。

 一人は鬼の力を駆使して懸命に戦っていたのだろう。血を消費しすぎて顔色が悪く、息が切れている。助けに来た蓮華らを朧気な瞳で見返していた。

 そしてもう一人は完全に腰が抜けているのか、泣き出しそうな顔でへたり込んでいた。


「なんだよ……あんたら……。まさかオレたちを助けに来たのか……?」


 息も切れ切れに少年は口を開いた。


「まあな。たまたま見つけただけだけど」

「ハッ、馬鹿かよ……。この餓鬼の数だぞ? 奴らの餌が増えただけじゃねーか……。それにたまたまって、どうしてこんなところに……」

「それはこっちのセリフだ。お前たちは何故餓鬼の巣なんかに入り込んでいる?」

「そ、それは……」


 暮木の厳しい口調に、少年は歯切れ悪く言葉を濁した。


「そんなことより、暮木さん。まずはこいつらを片付けよう」

「ああ……そうだな」

「何言ってんだよ……こんな数の餓鬼相手にどうにかできるわけ――」


 うだうだと御託を並べる少年を無視して蓮華は軽く腕を薙ぐ。その掌の動きに合わせて扇状に火焔の放射が広がり、噴き付ける炎の嵐となって餓鬼の群れを焼いた。

 次いで後方の餓鬼の群れへと向けて指を鳴らすと、各地で赤い光の明滅が起こる。それは臨界点を迎えたように一際大きな輝きを見せると、爆発。赤熱したドーム状の爆発がまるで空爆のように連続的に巻き起こり、餓鬼の群れをことごとく炭に変えて吹き飛ばしていく。

 灼熱の炎が周囲を紅蓮に染め上げ、熱風をまき散らす。炎が収まった頃、そこには焼け野原へと変わり果てたグラウンドの姿があり、ほとんどの餓鬼が炭となっていた。


「密集してくれてたお陰で逆に簡単だったな。あとは残った餓鬼を潰せば終わりだ。暮木さんは後ろを頼むよ。僕は前を片付ける」

「任せろ」


 暮木は大剣を担ぎ上げ、荒れ果てたグラウンドを駆けだして餓鬼を切り倒していく。餓鬼の数も残り少ない。暮木なら何の問題もないだろう。


「なんだよ……今の……。が、餓鬼が一瞬で……。あんたがやったのか……?」


 少年はよほど衝撃的だったのか、開いた口が塞がっていない。


「ああ、そうだけど」


 言いながら蓮華は火炎の弾を放ち、こちらに向かってくる生き残りの餓鬼を狙い撃ちして一匹ずつ確実に焼却していく。


「あんた……一体何者(なにもん)だよ……?」

「ただの通りすがりの鬼人だ」

「通りすがりって……! 餓鬼の巣を通りかかる馬鹿がいるわけねぇだろ! 真面目に答えやがれ!」

「助けてもらっといて偉そうだなお前……」


 蓮華は少しイラッとして眉を顰めた。


「今日ここに来たのは本当にたまたまだ。たまたま、今日はこの餓鬼の巣を潰そうと思って来たんだよ。運が良かったな、お前」

「餓鬼の巣を潰す……?」

「餓鬼の数が減ればその分ヘルヘイムでの危険が減るだろ。そしたら餓鬼に襲われる人の数も減る。だからこうして餓鬼を駆除して回ってんだよ」

「なんだよそれ……バッカじゃねぇの? この世にどんだけ餓鬼がいると思ってんだよ。こんな餓鬼の巣一つ潰したところで何一つ変わんねぇぞ」

「わかってるさ。願わくば餓鬼を絶滅させたいところだけど……全国の餓鬼の巣を潰して回るなんて現実的に考えて不可能だ。でも、何かしたいんだ。僕にできることを、できる限りを」


 ほんの小さな一歩でもいい。前に進みたい。立ち止まっていたくない――そんな想いが蓮華の中で燻っていた。

 与えられたこの悠久の時間を、自分の色で隙間なく塗り尽くしたかった。

 そう、寿命のない鬼人に与えられた、永遠の時間。時間はいくらでもある。着実に、少しずつでも――進めればいい。


「だから手の届くところだけでもと思って駆除して回ってんだよ」


 それに、蓮華たちの最終目的である餓鬼の王『緋鬼』の討伐においても、邪魔になる餓鬼を少しでも減らしておくに越したことはない。だから蓮華は空いた時間を使って餓鬼の巣を潰して回り始めた。今日は暮木に同行してもらってこの巣を潰しに来たのだ。


 しかし、少年は難色を示す。


「馬鹿じゃねぇの。ヒーローにでもなるつもりかよ。ウザすぎ」

「イラッ。お前さぁ……さっきから口悪すぎじゃないか? 礼の一つでもないのかよ? 僕たちはお前らを助けてあげたんだぜ?」

「恩着せがましいこと言うんじゃねぇ! こんな腐りきった世界でそんな簡単に他人を信用できるわけねぇだろ! 助けに来たと見せかけてオレたちを貶めようとしてる可能性だってあるじゃねぇか!」


 確かにそれは正論だと蓮華は思った。特に喰うか喰われるかの鬼人の世界において、安易に他人を信用するべきではないかもしれない。


「で、でも、コウちゃん……」

「うっせぇ! 天助は黙ってろ!」


 腰を抜かしっぱなしの少年は天助で、口の悪い少年はコウと言うらしい。せっかく天助が口を開いたというのに、コウに口汚く罵られて天助はしぼんでしまった。上下関係は完全にコウの方が上のようだ。


「わかった。じゃあ僕らのことを信用しなくてもいい。その代わり、取引きをしよう」

「取引き……?」

「別に大したことじゃない。もしここからお前たちを無事に助け出せたら、いろいろと情報を教えて欲しいんだ。どんな些細なことでもいい。僕たち鬼人にとって有益そうな、そんな情報を」


 暮木の討ち漏らした餓鬼が一匹、コウの背後に飛びかかってきているのを察知して、蓮華は瞬時に炎の槍を生成して投げ飛ばし、餓鬼を射殺す。そのままロケット花火みたいに飛んでいった餓鬼は、上空で炎の花を咲かせて爆散した。


「……なんだよ、情報って……。いくらなんでも抽象的すぎるだろ」

「そうだな。じゃあ僕たちが欲しい情報について質問するから、知っていれば答えてくれ。知らなければ知らないって答えてくれればそれでいい」

「……オレたちを助ける見返りがそれだけか……?」

「それだけだ」

「そんな虫のいい話があるわけねぇ。何企んでやがる?」

「いや何も企んでねぇから……」


 疑い深いコウに困って蓮華は頭を掻く。疑い深すぎて面倒くさい。


「なんでそこまで僕を疑うんだよ?」

「これだけ強大な鬼の力を使ったんだ。あんたは相当量の人間の肉を喰わなきゃならないはずだ。人間の肉は買おうとすれば百グラム二万円前後。たかが情報なんていう見返りに、そんな大金と見合う価値があるとは思えねぇ」

「人肉ってそんなに高いのか!?」


 人肉を買ったことのない蓮華にとって、それは衝撃の事実だった。まさかそれほど高価な取引きをされているとは知らなかった。


「まあでも、それなら僕には関係ない。僕は人肉を買う必要がないからな」

「まさか殺して喰ってんのか……!? だったらそんな危険な奴、なおさら信用ならねぇ! オレたちのことも隙を見て喰うつもりだろ!?」

「ちげーよ。そういう意味じゃない。僕は人肉を喰わないんだよ」

「は……? じゃあどうやって鬼の力を使うんだよ?」

「なんだっていいだろ、そんなこと。それにさっきも言ったけど、僕らは元々ここにいる餓鬼を一匹残らず殺すつもりで来たんだ。お前たちを助けようと助けなかろうと、同じだけ鬼の力を使っていた。だからその分の見返りをお前たちに求めるのは筋違いなんだよ」

「……オレたちを助けるのはついでに過ぎないから、大した見返りは求めねぇってことか?」

「そういうことだ」


 (たと)えこの二人を助けるためにここに来たとしても蓮華は見返りを求めるつもりなどないが。そもそもあまり欲のない蓮華は、どんな見返りを求めればいいのかわからなかった。


「……あんた、人が良すぎるぜ。この世界でその優しさは損するだけだ。いずれ身を滅ぼすぞ」

「言われなくてもわかってるよ。この世界は理不尽で不条理で不公平だ。時に正しい奴が馬鹿を見ることだってある。でもだからこそ……僕はこの世界に抗いたいんだ」


 火炎を放ち、グラウンドに残った最後の一匹の餓鬼を炭へと変えて、蓮華は何かを掴み取るように掌を握り締める。宙を握り締めた蓮華の手は、当然何も掴み取れない。蓮華はまだ……何も掴み取れていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ