第六話 蠢く蛇
気を失っていたのは一瞬だった。目は覚めていたが、しかしレッドスカルのボス――骸門寺の乱入によりさらに悪化した状況を前に、暴れる心臓を必死に押し殺して気絶したフリを続けていた。
今起きるのは自殺行為だ。だが、このままでは殺される。何か、手はないか――
気絶したフリを決め込んで焦燥に駆られ、汗の滲む中、真嶋庄平は頭をフル回転させて思考を加速させた。
だが。
骸門寺は庄平たちを見逃した。こんな虫けらは殺すまでもない、と。
その言葉通り、本当に骸門寺たちは一切手を出すことなく、道端に転がる虫けらを見下すように去って行った。
助かった――そんな安堵が胸を優しく包み込む反面、猛烈な屈辱が込み上げる。助かったなどと安堵してしまった自分の小物加減にも腹が立った。
やがて炎を纏う少年と雷を放つ少女が立ち去ったのを見計らって、庄平は悔しさに歯噛みしながら起き上がった。
「ちくしょう……! 奴ら、赦さねぇ……! 俺たちをコケにしやがって……!」
墓場のように静まり返ったボウリング場に悔しさの滲ませた声が溶けていった。
「いや、そんなことより……」
今は屈辱と怒りに震えている場合ではない。
「あの雷……。あの赤い髪……! まさかあの女……!」
だとしたら、自分たちが敵うはずもない。あの人の左腕を奪った人物になんて、敵うはずが。
報告しなければ。一刻も早く、このことを――
庄平は拠点の一つであるボウリング場を飛び出した。
「蛇塚さんは女が釣れたって言ってたな……。ってことは、あそこか……」
電話でその連絡があったということは、表の世界にいたということになる。でも、手の早いあの人のことだ。もうヘルヘイムの『喰い場』にいるに違いない――そう推測して、庄平は真っ直ぐにそこへ向かった。
たどり着いた先は一つの美術館だった。ヘルヘイムのためもちろん客などいないが、代わりに門番が二人立っている。黄色い布を口元に巻いた仲間だった。
「庄平!? その顔……!」
「レッドスカルにやられたのか!?」
庄平の無様な姿を見た二人は動揺した様子で声をかけた。だが庄平は不機嫌な面のまま無視を決め込み、ズカズカと二人の間を割って進む。
「お、おい庄平! 今中に入るのは――」
「うるせぇ!」
ほとんど八つ当たりだった。肩を掴んで止めようとした門番を殴って黙らせ、庄平は美術館の中へと足を進めた。
迷路のような館内を突き進み、最後に重厚な扉で閉じられた部屋の前にたどり着く。軋む音を立てて開かれた木の大扉の先には、一枚の絵画の飾られた部屋があった。
夢の中のように白く統一されたその部屋は、ヘルヘイムという暗がりによってより幻想的な空気を漂わせている。飾られた一枚の巨大な絵画は、西洋を思わせる画風の、十字架に磔にされた女性の絵だった。
その絵画に重ねるように本物の女性が磔にされていた。裸に剥かれ、手足を杭で打ち付けられ、腹を引き裂かれて腸を引きずり出された、無残な姿で。
その前には、一人の跪く男がいた。その祈りを捧げるような神聖な姿勢とは相反して、くちゃくちゃと不気味な音を立てて女性の飛び出た臓物を啜り、血を舐めずり回している。ジャンパーの背中に描かれているのは、本物の蛇皮をあしらった龍のような蛇が黄色い稲妻を背景におどろおどろしく口を開けた特徴的な絵だった。
「へ、蛇塚さん……」
恐る恐る、庄平は声をかけた。血を啜っていた彼の動きが止まる。
「どういうことッスか……! 今日はレッドスカルの頭を叩くって話だったじゃないッスか! だから言われた通り俺たちは桜木を人質に攫ってきたのに……! 危うく殺されかけるところで――」
「うるせぇなぁ」
激しい雷光が目を眩ませたかと思うと、もう目の前には彼が――蛇塚銀次が立っていた。ぎょろついた四白眼が舐め回すように庄平を見下ろしている。呼吸の荒さがそのまま苛立ちを表わし、舌先が蛇のようにチロチロと忙しなく動いている。
「真嶋ァ……知ってるはずだよなぁ? 俺ァ食事を邪魔されんのが大っ嫌ぇだって……。だから食事中は『喰い場』に入るなって……何度も教えたはずだよなぁ?」
蛇塚の右手が庄平の首を締め上げるように掴んだ。その手は次第に圧力を増していき、庄平の体が持ち上げられていく。
「レッドスカルなんざいつでも潰せるだろうが。殺されかけたのもテメェが雑魚なだけだろ。ぎゃーぎゃー喚くんじゃねぇよ。わざわざそんな文句を言うために俺の食事を邪魔したのか? 死にてぇのか……?」
蛇塚の手から電流が弾け、庄平の体が跳ねた。
「うぐッ……! うぅ……ッ!」
体は電流により痙攣し、喉は潰れそうだった。得物を睨むような蛇塚の視線に背筋が凍り、痙攣とは別に体が恐怖で震え出す。それでも弁明のために、庄平は必死に声を絞り出す。
「ち、違うんです……! 俺がここに来たのは、ほ、報告のため、で……!」
「報告?」
「へ、蛇塚さんと同じ、雷の力……! 菜鬼の鬼人が……!」
蛇塚の手が離れた。解放された庄平は地面に膝を突いて落ち、盛大に咳き込んだ。
「菜鬼の鬼人が……何なんだ?」
「いたんスよ、菜鬼の鬼人が……! 俺たちを壊滅させたのは、レッドスカルじゃないんス……。コウキたちを殺した野郎の仲間で、雷の鬼の力を持つ、子供みてぇな見た目をした赤い髪の女でした……!」
途端に蛇塚の目が憤怒に染まり、ギラついた。
「菜鬼の鬼人の……女……!」
そして、二の腕から先のない左腕を右手で忌々しく握り締める。
「ああ、疼く……! 赦さねぇ……赦されねぇ!」
チロチロと忙しなく飛び出す蛇塚の舌先には、怒りを放出するように電流が跳ねていた。